とある魔術の禁書目録12 鎌池和馬 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》…ルビ |…ルビの付く文字列の始まりを特定する記号 (例)薔薇のように見目|麗《うるわ》しい姫さま [#]…入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定 (例)[#ここから〇字下げ] ------------------------------------------------------- [#改ページ] 底本データ 一頁17行 一行42文字 段組1段 [#改ページ] とある魔術の禁書目録12  九月三〇日——衣替えの季節がやってきた学園都市。  周囲の慌ただしさを|余所《よそ》に、エリートお嬢様学校・常盤台中学の|超能力者《レベル5》、|御坂美琴《みさかみこと》はコンサートホール前の広場にいた。  待ち合わせである。  けれど、  「……、来ない」  罰ゲームを受けるはずの“あの少年”は一向に姿を見せない。美琴はため息混じりに、薄っぺらい学生鞄とバイオリンのケースを抱えてアイツをずっと待っていたのだが——。  |上条当麻《かみじょうとうま》と御坂美琴が交差するとき、罰ゲームを巡る|学園《ラブ》コメディは始まる!? [#改ページ] 鎌池和馬 ようやく作中の季節が秋になりそうです。秋と言えば食欲の秋、読書の秋という訳で今後はインデックスの出番がさらに増えるのかも? イラスト:|灰村《はいむら》キヨタカ 1973年生まれ。4年ちょいの間生活したアパートを引き払って転居を決意。この巻が出ている頃にはぢょうど引越しであわあわしている最中かも……? [#改ページ]   とある魔術の禁書目録12 [#改ページ]    c o n t e n t s      序 章 白井黒子と枕とベッド Suffering_of_a_Negligee.    第一章 午前中授業のひだまり Winter_Clothes.    第ニ章 罰ゲームはどんな味? Pair_Contract.    第三章 ミサカとミサカの妹と Sister_and_Sisters.    第四章 緩やかに交差する二組 Boy_Meets_Girl (×2).    第五章 曖昧に過ぎていく日没 Hard_Way,Hard_Luck. [#改ページ]    序 章白井黒子と枕とベッド Suffering_of_a_Negligee.  |常盤台《ときわだい》中学の朝は早い。  とは言っても、|流石《さすが》に午前五時二〇分では早すぎる。小鳥の鳴き声もようやく聞こえ始めるような時間帯では、女子|寮《りよう》もまだ静まり返っているのが普通だ。寮生活、と一口に言っても、ここは二三〇万の住人の内の八割が学生という学園都市であって———まぁ、色々と質や種類というものが存在する。その中でも常盤台中学は消灯と就寝にうるさい規則があるのだ(が、一部|超能力者《レベル5》や|風紀委員《ジヤツジメント》などは抜け出す事もある)。  そんな、|誰《だれ》もが眠りこけている常盤台中学『学外』学生寮の中。  おそらくただ一人であろう、|白井黒子《しらいくろこ》だけが目を覚ましていた。  彼女は自分のベッドの中で左右にゴロゴロと転がっている。  正確に言うと、起きているのではなく眠れないのだろう。  いつもは細いリボンを使って茶色い髪を頭の左右で束ねているのだが、今は外してあるため髪がそのままベッドの上に広がっていた。格好は、近づいて観察しないと分からないぐらい|薄《うす》くて透明度の高いネグリジェに、レース満載のショーツだけ。これだと上半身は平たい胸の上から|窪《くぼ》んだヘソの下まで全部見えてしまうのだが、当人は気にしている様子はない。それはここが女子寮だから、だけではなく、ルームメイトが特別な入閲だから、という意味合いの方が強い。 「……、」  いつまでもゴロゴロ転がっていた白井黒子だが、ふと動きをピタリと止める。  |隣《となり》のベッドを見る。  ベッドとベッドの間隔は五〇センチもない。その|近距離《きんきより》で、白井と違ってぐっすりと眠っている少女がいた。肩まである茶色い髪にはわずかに汗が吸い付き、その細くて白い指は淡い青系のぶかぶかしたパジャマからチョコンと出ている。最近心境の変化があったのか、少女は飾りっぽい感じのするヘアピンを頭の横につけているのだが、今はサイドテーブルに並べて置いてあった。  |愛《いと》しのお姉様、|御坂美琴《みさかみこと》である。  学園都市でも七人、名門常盤台中学でも二入しかいない|超能力者《レベル5》であり、同校のエースとも称され、|羨望《せんぼう》の的であるエリート校でもさらに羨望を集めているトンデモ女子中学生は、横向きに崩れる感じでベッドに沈み込んだまま、 「……んふふ……。|罰《ばつ》ゲームなんだから、何でも言う事聞かなくちゃいけないんだからねー……」  何だかとんでもなく幸せそうな笑顔と共に、|可愛《かわい》らしい唇からそんな寝言が飛び川した。 |白井《しらい》はベッドの上で、両手を使って自分の髪をグシャグシャグシャーッ!! と勢い良く|掻《か》きながら、 (ぐあー気になる! 先ほどからお姉様ってば何なんですのよ!? |大覇星祭《だいはせいさい》が終わってからずっとこの調子!! 一体夢の中ではどちら様に向かって宣言しているつもりですの!!)  ぜーぜーはーはーと息を吐く白井。名前の通り白井|黒子《くろこ》は女の子であり|御坂美琴《みさかみこと》も女の子であるのだが、そこはあれがこうなってこれこれこういう女の子特有の事情らしきものがあるのだ。  |直《じか》に言うとかなり生々しいので遠回りに攻めていきたい後輩少女である。  この寝言の相手が白井本人に向けられたものであるなら何の問題もないのだが、少なくとも彼女は|罰《ばつ》ゲームを|賭《か》けて争うような|真似《まね》をした覚えはここ数日ない一となると相手が男だろうが女だろうが大問題だというのが白井の超個人的な感想であった。  と、そういうモヤモヤを一切感じ取っていない御坂美琴は、本来ならば自分の頭を乗せるべき大きめの|枕《まくら》を両手でギュッと抱き寄せると、 「……まずは何をしてもらおうかなー……むにゃ」 (おのれぇぇぇぇぇぇぇッ!! おっ、おねぇ、お姉様ったら|何故《なぜ》そこで枕に向かって|頬《ほお》ずりなんですのよーっ!! そのふかふか枕は一体何の代用ですの!!)  ゴロンゴロンとベッドの上で左右に転がる白井黒子だが、幸せそうな少女が目を覚ます様子はない。  時刻は午前五時二五分。  今日も寝不足の朝が始まる。 [#改ページ]    第一章 午前中授業のひだまり Winter_Clothes.      1  九月三〇日。  九月末日であるこの日は、学園都市の全学校が午前中授業となる。理由は単純で、明日から衣替えだからだ。  東京西部を再開発し、都の三分の一もの面積を誇るようになった学園都市は、一八〇万人前後の学生を抱える。となれば衣替え一つを取り上げても服飾業界は大忙しだ。  実質的な採寸や注文は|大覇星祭《だいはせいさい》前後に済ませているので、今日行うのは新調した冬服の受け渡しだけとなる。しかし、そうであっても大混雑が起こる辺りにスケールの特殊性が|見出《みいだ》せるだろう。また、新しい服を『慣らす』意味も含めて、この日から冬服を身にまとうのも風習の一つとなっている。  だが、それも衣替えに縁のない学生にとってはただの午前中授業である。  例えば|上条当麻《かみじようとうま》という少年がいる。今年とある高校に入学した彼は、入学時に購入した冬服をそのまま着てもサイズ的に全く問題がない。よって、今日の混雑に身を投じる必要はないという訳だ。  それは彼だけでなく、学年単位でそういった傾向があるらしい。バタバタと慌てているのは主に二年生と三年生で、一年生は全体的にのんびりしたものだった。  さて、今は三時間目と四時間目の間にある、一〇分程度の休み時聞である。  先にも名前が出てきた平凡なる高校生、上条当麻は廊下の窓を開けて、ぼけーっと外を眺めていた。前の数学の授業が死ぬほど退屈で、休み時間が始まると同時に水飲み場で目覚ましついでに顔を洗ってきた所だった。  平均的な身長と体重に、やや筋肉だけはついているかもしれない体型。これは別に彼が運動部に所属している訳ではなく、もっと不健全に路地裏でケンカしたり逃げたりしている内についたものだ。黒くてツンツンした髪には一応ファッション誌を参考にしているらしき様子が|垣問見《かいまみ》え、そこら辺に男子高校生としての『ちょっとは|見栄《みば》えを気にしてみよう』という心の|砦《とりで》が|窺《うかが》える。もっとも、眠たそうな目つきで周囲を見回し、大口を開けてあくびを連発している所を見ると、砦の防備は|薄《うす》そうな気もするが。  上条当麻は窓枠に|肘《ひじ》を突き、残暑の厳しさも引いた秋の初めの|緩《ゆる》やかな風を浴びつつ、ボツリと|眩《つぶや》いた。 「はあー……出会いが欲しい」  告げた|瞬間《しゆんかん》に、こめかみは右と左の両サイドから|正拳突《せいけんづ》きを受けて|万力《まんりき》っぽく押し|潰《つぶ》された。  グシャア!! という壮絶な音が|響《ひび》く。  右に立っているのが|土御門元春《つちみかどもとはる》、左に立っているのが青髪ピアス。  共に上条|当麻《とうま》のクラスメイトだ。 「ばっ、にゃにすんれすかーっ!?」  くわんくわん、と頭を振りながら質問を放つ上条だったが、それに対して土御門は、サングラスの奥にある|瞳《ひとみ》をギラリと|輝《かがや》かせると、 「……にゃー。カミやんが言うと嫌味にしか聞こえねんダヨ」 「その言葉を引き金にして、そこらの教室のドアからケッタイなオナゴが転がり出てきそうやもんな。ああそうや、お前はいつもそうや! カミやんなら超電脳ロボット少女から泉の|精霊《せいれい》風お姉様まで豊富な|品揃《しなぞろ》えで何でもどうにかなっちまいそうやし!!」  相変わらず訳の分からない事ばかり言う連中だが、とりあえず悪気はない、  上条|達《たち》は三人とも、黒い|詰襟《つめえり》に同色のスラックスだった。上条は上着のボタンを留めずに、中にある赤系のTシャツを出している。もちろん本来ならワイシャツ着用なのだが、金髪にネックレスだらけの土御門や青髪ピアスの例からも分かる通り、そういう事にはあんまり気にしない校風なのだ。 「で、お前達は二人して何しに来たんだよ?」 「そやそや。ちょっとこれ見てみ」  と言ったのは青髪ピアスだ。  彼は日本で一番売れている週刊の漫画雑誌をこちらに寄越してきた。これを使って|殴《なぐ》られなかった程度には友情というものは存在したらしい。  青髪ピアスは漫画雑誌の裏表紙をぺらりとめくる。、  そこには通信販売のカラー広告が載っている。、 「ほらこの欄にある『|肩揉《かたも》みホルダー君』ってのがあるやろ一 「あん?」 「気になるねんこれ。ここんトコ右肩の辺りが妙に痛いし、自分で自分の肩をグニグニしとると今度は左の肩が痛くなってくるんや」  ものすごく小さな商品見本の写真には、プラスチック製のU字の器具が写っていた。おそらくサイズ的には一五センチから二〇センチぐらいだろう。U字の部分を直接肩にはめて使うものらしい。二個セットで買うとさらにお徳になるようだ。 「そういや、これ深夜の通販番組でも宣伝されてたな」 「そやろ! こんだけ派手派手に紹介されてるって事は、きっとこの肩揉みマシンはものすごく気持ちええんよ!!」 「えー」  と|胡散臭《うさんくさ》そうな声を出したのは|土御門《つちみかど》だ。 「こりゃ多分ブラフだぜい。特に『気持ち良かったか良くなかったか』なんてのは明確な数宇で示せるものじゃないし、『テストメンバーは全員気持ち良いと答えました。あなたは知りませんけど』ってオチじゃねーのかにゃー?」 「けっ!|義妹《ぎまい》に毎日|採《も》んでもらっとるお前には分からんわい!!」 「毎日じゃねーぜい三日に一回ぐらいだにゃーっ!!」  話の軌道や主題がワンフレーズで切り替わっていく辺りが何とも世闇話な感じだが、この二人は自分に何をやって欲しいんだろう、と|上条《かみじよう》は首を|傾《かし》げる。  それに対し、二人は言う。 「で、カミやんとしてはどうなん? ボクは絶対効果があると思うねん」 「いやこれは喜びの声は聞かせらんねーと思うけどにゃー」  ようは二人じゃ多。数決にならないから三人目の意見が欲しいだけか、と上条は|呆《あき》れた。  そもそも何でこの二人はこんなに肩操みマシンに夢中なのだろう? 「っつか、別に俺は肩揉みのスペシャリストじゃないんだし、何を言っても説得力なんかないだろ。それだと多数決の意味そのものがなくなっちまうぞ」 「んな使えねえ指摘はどうでもええねんヘタレ!!」 「使えねえとか言うな!!」  反射的に言い返して、なるほど、これが青髪ピアスと土御門が白熱している原動力か、と上条は遅まきながらに気づかされる。  そして、気づいていても乗ってしまうのが口ゲンカというものである。 「……俺としちゃ効果なんかねえと思うけどな。肩こりって一言で言っても痛む|箇所《かしよ》やレベルは人それぞれだろうし、男女でも効果が違ったりすんじゃねえの? それら全部をみんなまとめて『肩こりなら何でも解消!!』って言ってる時点でちょっと怪しいかな」 「ほら見うにゃー。やっぱり肩こりには義妹が一番ですよ?」 「そんなの実験してみんと分からんやないかい!」  そもそも肩を揉んでくれる女の子がいねえから困ってんだよ!! と青髪ピアスが絶叫し、土御門とポカポカ|殴《なぐ》り合う。目の前の不毛な争いに対し、上条は第三者視点で、 「そうだな」  青髪ピアスと土御門を引き|剥《は》がしつつ言う。 「だったらこれから実際に試してみようじゃねえか。しょっちゅう肩こりに悩まされていて、なおかつこういう通販グッズに口がない人間を、俺は一人知っているぞ」      2  |上条当麻《かみじようとうよ》のクラスには|吹寄制理《ふきよせせいり》がいる。  つい先日まで|大覇星祭《だいはせいさい》実行委員を務めていた責任感の強そうな少女で、黒い髪を耳に引っ掛けるように分けた髪型に、学生にしては大きめな胸を持っている。規則にうるさそうな|雰囲気《ふんいき》を|醸《かも》し出していて、今も休み時間なのに早くも次の時間の教科書やノート類などを机の上に出している。服装は|長袖《ながそや》のセーラー服で、スカートが|若干《じやつかん》短い事を除けばスカーフから|上履《うわば》きまで何もかもが定規で測ったように机格統一されていた、  ちなみに彼女は健康系の通販グッズ集めが|趣味《しゆみ》である。  何らかの引け目があるのか、とある少年以外にその事実を知っている者はいない。  特にこの段階から慌てて宿題のノートを見せ合ったりする事もなく、席に座ったまま近くのクラスメイト、|姫神秋沙《ひめがみあいさ》と世間話をしていた吹寄制理だったが、 「吹寄はいるかーっ!?」  ズパン!! と教室のドアが開け放たれた途端、同方角から飛んできた叫び声に彼女はわずかに身を退かせた。相手は上条、青髪、|土御門《つちみかど》という|クラスの三バカ《デルタフオース》である。これまでも数々のトラブルを起こしてきたこの三人に、吹寄はこれから何があっても平常心を保とうと強く誓ったのだが、上条はそこへ開口一番、 「一生のお。願いだから|揉《も》ませて吹寄!!」  ビキリ、と一発で巨乳少女の頭の中から変な音が聞こえた。  へーじょーしん、という言葉が脳裏を|掠《かす》める前に、飛び掛かってきた土御門|元春《もとはる》と青髪ピアスを|正拳《せいけん》で|迎撃《げいげき》し、その二人の|薙《な》ぎ倒されっぷりを見て顔を引きつらせる上条当麻に硬いおでこを|叩《たた》きつけて吹き飛ばす。ゴロンゴロンと転がっていく悪党|達《たち》を見下ろして勝者吹寄が両手の|掌《てのひら》をパンパン叩いて|埃《ほこり》を落としていると、そこへ身長一三五センチの女教師、|月詠小萌《つくよみこもえ》が教室へ入ってきた。 「さーて皆さん、本日最後の授業は先生のバケガクなのですよー……って。ぎゃああ!? ほのぼのクラスが一転してルール無用の不良バトル空間っぽくなってますーッ?」  いきなりの惨事にうろたえる小萌先生に、吹寄は極めてクールな顔で、 「平和のためです」 「一体何があったのですか? 吹寄ちゃんが平和維持部隊みたいになってるのです!!」  小萌先生の泣く寸前の声が届いたのか、うう、と上条が|呼《うめ》き声をあげる。  上条は床に倒れたまま、 「せ、先生……別に|誰《だれ》が悪かったという訳では……」 「じやあ何でこんな事にーっ!?」  暎く|小萌《こもえ》先生に、|上条《かみじよう》は|吹寄制理《ふきよせせいり》の顔から少し下の辺り。をふら。小らと指差すと、 「……ただ、吹寄さんはすごく気持ち良さそうなのを持ってるのにちっとも|探《も》ませてくれないんですッ!!」  その一言で小萌先生は顔を真っ赤にするとバタンと真後ろに倒れ、それを確認するまでもなく吹寄制理が|追撃《ついげき》の|拳《こぶし》を握り|締《し》めてゆらりと迫ってきた。      3  病院には四人の少女がいた。  出入り口から病室まで|繋《つな》がるルート上から大きく外れているため、特に立入禁止でもないのに自然と誰もやって来ないような場所である。臨床研究エリアと院内では呼ばれているその区画は、|仰《ぎようぎよ》々しい|通《う》称に反して。ポカポカと暖かい|陽射《ひざ》しを窓から取り込んでいる。  少女|達《たち》がいるのは廊下だ。  四人全員が肩まである茶色い髪に、透き通ったような白い肌をしていた。目の形から色、|虹彩《こうさい》や|網膜《もうまく》に至るまで|全《すべ》てが同一という違いのないシルエット。服装は灰色のプリーツスカート に|半袖《はんそで》の白ブラウス、袖なしのサマーセーターと、やや季節遅れな|常盤台《ときわだい》中学の夏服で統一されていた。  彼女|達《たち》を示す名は複数ある。  |妹達《シスターズ》。  |欠陥電気《レデイオノイズ》。  |超能力者《レベル5》の軍用量産モデル。  遺伝子操作や薬物を用いた成長促進技術などの|影響《えいきよう》によって寿命が削られた者達である。それを打開するために病院で様々な処置を受けていたのだが、それも今日で第二殺階へと移る。  今までは病院暮らしだったが、これからは少しずつリハビリのために外へ出ていくのだ。  そんな|妹達《シスターズ》に、顔がカエルに似ている医者が話しかける。  彼が手にしているのは、ウェイターが持っていそうな小型のクリップボードだ。 「で、外出着は全員常盤台中学の冬服で良かったのかな?」 「問題ありません、とミサカ一〇〇三二号は返答します」  告げたのは四人の内の一人だ。  彼女達は名前ではなく|検体番号《シリアルナンバー》によって個体識別がなされている。これはカエル顔の医者が決めたのではなく、もっと以前の製造段階から定められていた事らしい。 「サイズの方は四人|一緒《いつしよ》で良いのかな?」  医者はクリップボードに『注文』を書き込みつつ言う。  質問に対して、四人の|妹達《シスターズ》は顔を見合わせる事もなく、何を当然な事をと言った顔で、 「いちいち計測するまでもなく全員一致です、とミサカ一〇〇三二号は答えます」 「|全《すべ》てのミサカは同一の遺伝子から製造された!!量産モデルですから、とミサカ一三五七七号は補足します」 「そのように作られている以上、サイズの差異など考える必要はありません、とミサカ一〇〇三九号は結論を出します」 「み、ミサカは……」  最後の一人だけ言い淀んだ。 「「「……?」」」  三人の|妹達《シスターズ》が歯切れの悪い|台詞《せりふ》に振り返ると、|検体番号《シリアルナンバー》一九〇九〇号が目を|逸《そ》らして身を縮めていた。両手を使って、特に上半身を隠そうとしている意図が受け取れる。  一〇〇三二号———とある少年からは『|御坂《みさか》妹』と呼ばれている少女は、ほんのわずかに|怪《け》諸な目をすると、ふと思いついたように一九〇九〇号の元へと近づいていく。  そして両手の|拳《こぶし》を握ると親指だけを立てて、その拳をひっくり返すと、左右の親指を一九〇九〇号のスカートと|身体《からだ》の間に、ズボッと突っ込んだ。 「むっ!? スペックシートではピッタリのはずなのに親指が二本も入るほど余裕があります、とミサカ一〇〇三二号は|緊急報告《きんきゆうほうこく》します!!」 「|全《すべ》てのミサカは同一のミサカであるはずなのに、とミサカ一三五七七号は|驚愕《きようがく》を|露《あらわ》にします!」 「ウェストもそうですがその他はどうなのですか、とミサカ一〇〇三九号はあくまで冷静な態度で精密検査を提案します」  言葉に従って一〇〇三二号がスカートに突っ込んだ指を抜いて上へ持って行こうとすると、一九〇九〇号は両手を使ってこれを|迎撃《げいげき》した。|他《ほか》の個体と違い、顔がちょっぴり赤くなっていたりと感情表現も多彩な気がする。  カエル顔の医者は呆れたような顔で、 「一卵性双生児だって食事や運動の差異によって顔や体格に個性は出るからね? クローン人間の閥でスタイルにメリハリが出ても不思議じゃないんだよ」  余計な事を言ってしまったか、と医者は内心で後悔していた。  女性というのは|痩《や》せている方が優秀であり、優秀な女性を男性は選択する傾向が強い、といった知識を教えたらこんな調子だ。これらはカエル顔の医者の偏見込みの|趣味嗜好《しゆみしこう》なのだが、そもそも|妹達《シスク ズ》は男性の知り合いが極端に少なく、彼女|達《たち》にとってはカエル医者ほ一般男性であり『この男がそう言うならあの高校生[#「あの高校生」に傍点]もそう思っているのでは? とミサカはゴニョゴニョ考え事をしてみます』とかいう結論を|弾《はじ》き出したらしい。  そしてどこから仕入れてきたのか『世の中には薬指にはめる特別な指輪というものがあって、それを手に入れるには何事も優秀な方が良いらしい』という正解なんだか問違っているんだか判断に困る知識を元に行動しているため、|妹達《シスターズ》の問でも少しずつ個性というものが現れ始めているようだ(もっとも、彼女達自身はあまり自覚していないようだが)。 「つまりコイツは他のミサカに|内緒《ないしよ》でコソコソと|汚《ダイエ》い|真似《ット》をしていたのですか、とミサカ一〇〇三二号は迫及を続けます」 「全てのミサカ達を束ねる二〇〇〇一号『|最終信号《ラストオーダー》』は何をしていたのでしょうか、とミサカ一三五七七号は使命や役割という言葉を仙ってみます」 「あの|小《ち》っこいのにはその行為が何のための努力か分から。なかったのかもしれません、とミサカ一〇〇三九号は心を乱さずに推測してみます」  それぞれが好き勝手に言い合っている最中、カエル顔の医者はさらに言う、 「しかしそれほど色めき立つ事はないだろうね? 君達は全て同一の個体なんだから、その一九〇九〇号さんと同じ事をすれば同じ分だけ変化が訪れるだろうさ」 「「「……、ッ!!」」」  グリン!! と三人の|妹達《シスターズ》が残る一人へ高速で振り返る。  一足お先に|痩身《そうしん》テクを身につけた一九〇九〇号はじりじりと後退しつつ、 「ミサカは自身の危機管理能力に従い逃亡します! とミサカは———ッ!!」  叫び終わる前に少女達が飛び掛かってきた。      4  |妹達《シスターズ》が暴れ回っているのと同じ病院内に、|芳川桔梗《よしかわきさなう》という女性がいる。  学園都市に存在する|無能力者《レベル0》、|低能力者《レベル1》、|異能力者《レベル2》、|強能力者《レベル3》、|大能力者《レベル4》、|超能力者《レベル5》の区分の上に、新たに|絶対能力者《レベル6》という分類を築き上げようとした『実験』を立案、実行に移した研究者グループの元]員だ。 『優しいのではなく甘い人格』を自認している彼女は、総数二万強ものクローン人間を作り出し、その内の半分以上を『実験』の過租で殺害している。実際に手を下したのは|絶対能力者《レペル6》候補と呼ばれていた、とある|超能力者《レベル5》の学生なのだが、それが言い訳になるはずがない。  現在では『実験』は致命的欠陥があるとされ、凍結ではなく中止となっている。  だが、それは『実験』に関する|全《すべ》ての事柄が、その時点でスッパリと消えてなくなった訳ではない。殺されるためだけに作られた少女|達《たち》と、彼女達を殺す事だけを命じられ続けた超能力者……特殊な環境や体質を得ているとはいえ、やはり彼らは人間の子供達だ。その上にのしかかる精神的な重圧は想像を絶するものだろう。個人の間題はもちろん、彼らの間には絶対的に深い溝があり、その人間関係など|壊滅的《かいめつてき》の一言に尽きる。普通に考えれば構築などできっこない。  が。 「やだーっ! ってミサカはミサカは拒絶してみたり! 降りない絶対降りないこのスポーツバッグの上はミサカの|敷地《しきち》だ! ってミサカはミサカはあなたの抱えるバッグの上で正座しながら強気の抗議をしてみる!!」 「オマ……ッ!! 人が肩で|担《かつ》いでるバッグの上ではしゃいでンじゃねえぞクソッたれがァ!! 人が|病《や》み上がりだっつー事実を忘れてねェか?」  当の被害者たる彼らは今日も元気だ、と芳川は思う。  |一方通行《アクセラレータ》と呼ばれる『殺してきた方』はトンファーのように現代的な|杖《つえ》を右手につき、左の肩にスポーツバッグの厭纐をかけてフラフラと立っている。色の抜けた白い髪に赤い曜が特徴的で、今は灰色を基調とした衣服をまとっている  |打ち止め《ラストオーダー》と呼ばれる『殺されてきた方』はそんな彼のスポーツバッグの上にチョコンと正座して、ブランコ風に肩紐に左右の千をそれぞれ添えている 一〇歳前後という見た目だからこそ可能な技だが、それでも杖をつくような人間には|辛《つら》いかもしれない。肩まである茶色い髪に、同色の瞳、空色のキャミソールの上から男物のワイシャツに腕を通して羽織っている。  八月三一日に額に弾丸を受けて入院していた|一方通行《アクセラレータ》だが、一ヶ月を経てようやく退院の許可が下りたのだった。厳密に言えば体が治ったのではなく、やるべき処贋は全部|施《ほどこ》した、というのが正確である。砕けた|頭蓋骨《ずがいこつ》の破片によって傷つけられた脳の後遺症は抜け切れておらず、今も首に巻いたチョーカー型の電極によって機能の一部を補っている状態である。それがなければ言葉を交わす事もできないし、自分の足で立つ事もできないほどなのだ。まあ、あれだけの傷を負って、日常生活に戻ってこれただけでも奇跡的ではあるのだが。  そんな事情もあり、彼らは現在病院の正面玄関に立っている。  本来なら|芳川《よしかわ》自身も先月末日に心臓を|掠《かす》める形で銃弾を受けている身であり、子供の面倒を見ていられるような体調ではないのだが、それでも彼女はこの役を引き受けた。  やらなければならないのではない。  これは自分でやりたいのだ。 「はいはい。ここは出入り口だから遊んでいると|他《ほか》の人の迷惑よ。そういうのは荷物を世いて一段落ついてからにしましよう」 「ミサカは遊んでないもん! って重心を下へ下へと押し付けながら真剣な顔で抗議してみたり!!」 「この|滴《したた》り落ちるほどのレジャー感覚が遊びじゃなけりゃ何なンだよオマエ!!」  今にもスポーツバッグに押し|潰《つぶ》されそうになりながら、|一方通行《アクセラレータ》が叫ぶ。芳川はそういったやり取りを聞かずに玄関から少し|離《はな》れると、待たせてあったタクシーの運転手に軽く手を振る。 ゆったりと手慣れた動きで乗用車がこちらへやってきた。  |一方通行《アクセラレータ》は|打ち止め《ラストオーダー》の乗っかった荷物を運転手に掲げ、 「丸ごとトランクに押し込ンでやるから今すぐ開けろ」 「ミサカお荷物扱い!? ってミサカはミサカは|戦傑《せんりつ》と共に後部座席に逃げ込んでみる!!」  |一方通行《アクセラレータ》は後部座席にスポーツバッグを投げ込んで|打ち止め《ラストオーダー》をムギューと押し潰すと、空いたスペースに腰掛ける。  後部座席は人数的にまだ余裕があったが、あのドタバタに巻き込まれるつもりはないので芳川は助手席の方に回る。  念のために運転手に言っておいた。 「彼らは退院直後のシャバの空気でハイになっています」 「あはは。子供さんの場合はそれぐらい元気があった方が良いんじゃないですか」 「あと小さい方は車に慣れていないので吐くかも」 「ッ!?」  運転手がビクゥ!! と体を|震《ふる》わせた。新人かな、と芳川は適当な評価を下した。|一方通行《アクセラレータ》がスポーツバッグを確保して|打ち止め《ラストオーダー》から離れていくのがドタバタした音で分かる。実は芳川のバッタリで、この文句を言っておくと運転がより|丁寧《ていねい》になるというだけだったのだが、あんまりメジャーな裏技ではなかったようだ。  生卵の運搬業者のようにタクシーは|滑《なめ》らかに発進する。  |芳川《よしかわ》は運転手に行き先を告げ、メーターの上にあるデジタル時計を確認すると、時刻はもうすぐお昼の一二時といった所だった。  |先《さき》の吐くかも宣言を本気で信じた|一方通行《アクセラレータ》は、近づいてくる|打ち止め《ラストオーダー》の顔を|掴《つか》んで遠ざけながら、|怪誹《けげん》そうな顔で芳川の後頭部を見た。 「どこ向かってンだ」 「わたしの知り合いが働いている学校。待ち合わせみたいなものよ。キミ、今の学校を辞めてしまうのでしょう? それが何を意味しているかは分かっているわよね」  学園都市に住むほとんどの学生は|寮《りよう》を利用している。中には街のパン屋などに|居候《いそうろう》しているケースもあるが、それは極めて|稀《まれ》だ。  この街で学校(正確には学校含む能力開発機関)の枠から抜けるというのは、同時に寮という住所を失う事でもある。常に学園都市の不良|達《たち》から|狙《ねら》われ、寮の部屋も荒らされている|一方通行《アクセラレータ》には|住処《すみか》に対する未練はない。家具だって一つ残さず|壊《こわ》されているだろうから仙値もない。だが、屋根のある空間を奪われるというのは結構大きな出来事であった。  そういったリスクを負ってでも、|一方通行《アクセラレータ》が学校を捨てるという選択を採ったのは、 「……|絶対能力《レベル6》だなンだっつーのに|関《かか》わンのはもうゴメンだからな」  一応、直接的にその「実験』を行ってきた機関はもう|潰《つぶ》れている。しかし、|妹達《シスターズ》を使った研究施設が消えたとしても|呪縛《じゆばく》が|全《すべ》て解ける訳ではない。彼の通ってきた学校にも、規模の違いこそあっても『|特殊開発研究室《とくべつクラス》』というものが存在する。教室の生徒は彼一人だけという、実質的には実験動物を|隔離《カくリ》する飼育小屋のような四角い空間が。  あらゆる意味で血まみれの世界と決別するなら、これまであった全てを捨てるしかない。研究所も、学校も、学生寮も、その企てを、だ。  今度はそういった『強い意志』を持たない学校を選ぶしかない。|一方通行《アクセラレータ》という|魅力的《みりよくてき》すぎる研究。対象を前に、本当に目の色を変えない研究者など存在す。るかどうかは分からないが、探すしかない。  あまりにも特殊すぎる|一方通行《アクセラレータ》や|打ち止め《ラストオーダー》は、学園都市の外には居場所がない  そして、学園都市内部で学校を利川しなければ、後は路地裏の|武装無能力集団《スキルアウト》のように生きていかなければならない。学園都市最強の|超能力者《レベル5》がそんな選択を採れば、待っているのは全ての破滅だ。  |一方通行《アクセラレータ》は唇を|歪《ゆが》めて、 「で、今後はオマエの管理下に収まるっつーのが統括理事会の決定か? まァ、オマエだったら研究分野的にもおあつらえ向きだとア思うけどよォ」  芳川はかつて『実験』に参加していた研究メンバーで、|打ち止め《ラストオーダー》などのクローン製造の|他《ほか》に|一方通行《アクセラレータ》のメンテナンスも行っていた、  |絶対能力《レベル6》関連の研究が中止になったとしても、彼は相変わらず学園都市最強の|超能力者《レベル5》であり、優れた研究素材でもある。|芳川《よしかわ》に色々と調べさせて、新たな能力開発技術に応用できれば|莫大《ばくだい》な利益を得られるはずだ。  どこまで行っても何者かの思惑や|影響《えいきよう》を感じ続ける。  まあ、|一方通行《アクセラレータ》がこれまで出会ってきた人間の大半は|外道《げどう》の一言に尽きるような連中ばかりだ。そういった大人|達《たち》の|呪縛《じゆばく》から逃れられると思えば、まだ芳川に行動の決定権を貸しておいた方がいくらか気が楽かもしれない。無論、彼女のやり方に納得いかない場合はさっさと|叩《たた》き|潰《つぶ》して|他《ほか》を当たるが。  しかし、 「違うわよ」  芳川|桔梗《ききよう》は、振り返りもせずに一言で告げた。 「あン?」 「わたしはキミの次の管理者ではないと言っているの。冷静に考えてご覧なさいな。今の芳川桔梗は研究職を終われて無職に近い状態なのよ。しかも『実験』当時と八月三一日の二回もキミが中心となる事件に関与した。これで保護者役が務まると判断したなら統括理事会は全員今すぐ首を切るべきだわ」 「……って事はナニか? オマエはただの使いっパシリってトコか。これから俺達を見知らぬ研究者に引き渡すっつー訳だな」 「|猜疑的《さいぎてき》ね。キミの生活環境を見れば当然でしょうけれど。ただ、その意見には二つの間違いがあると指摘しておくわ。一つ目はキミも知ってる人に引き渡すつもりだし、二つ目はその人は研究職の人閥でもない」 「———、」  |一方通行《アクセラレータ》は目を細めて芳川の言葉を頭の中で吟味する。  信用ならない。  |隣《となり》に座っているこのガキの存在が気に|喰《く》わないが、この程度のハンデを抱えていても敵対者は叩き潰せる。これから長期間にわたって見えない|襲撃者《しゆうげきしや》を警戒し続けるよりも、ここで顔を見てから|丁寧《ていねい》に潰していった方が手っ取り早そうでもある。 (……退屈な事になりそォだな)  と。  そこへ、|完壁《かんぺき》に無邪気な|打ち止め《ラストオーダー》が|呑気《のんき》に言った。 「研究者じゃない人なんてヨミカワぐらいしか知らないかも、ってミサカはミサカは手を挙げてから発言してみたり」 「正解」  芳川は楽しそうに答える。  ヨミカワというのは、芳川桔梗としても数少ない『表世界の友人』であり、学園都市の|警備員《アンチスキル》を務める女性の事だ。|芳川《よしかわ》が銃弾に倒れてからは、|暫定的《ざんていてき》に病室の|一方通行《アクセラレータ》と|打ち止め《ラストオーダー》の面倒を見ていたジャージ女である。  言われるまでその可能性に気づかなかった|一方通行《アクセラレータ》は小さく舌打ちした。  それを聞いた芳川が尋ねてくる。 「あら。答え合わせは終わったのにまだ|緊張《きんちよう》しているようね」 「……何なら今から丁寧に聞き出しても良いンだけどな」 「まあ、|嘘《うそ》かどうかは着けば分かるのだし、キミの場合、|今後《こんご》も他人からの甘い言葉に警戒する|癖《くせ》はそのままの方が良いかもしれないわね。守るべきものの価値を知っているのなら、特に」  芳川はちっとも|堪《こた》えていない。|一方通行《アクセラレータ》は助手席から視線を|逸《そ》らすように、|忌《いまいま》々しげに車窓の外へ目を向けた。|打ち止め《ラストオーダー》だけはやり取りに気づいていないようで、『え? ヨミカワじゃないの? ってミサカはミサカはあなたの肩をぐいぐい引っ張ってみる』とか言っていた。      5  お昼になったので学校は終わった。  特に部活などに参加していない|上条《かみじよう》は、後は|寮《りよう》に帰るだけである。  彼は|下駄箱《げたばこ》で革靴を|履《は》いて、テクテクと学校の|敷地《しきち》の外へと歩きつつ、 「何が悪かったんだろうなあ」  と|咳《つぶや》いた。  脳裏にあるのは、もちろんマッサージ機と|吹寄制理《ふきよせせいり》の頭突きの関連性についてだ。 (うーん。やっぱり『|操《も》ませて吹寄』では少々|馴《な》れ馴れしかったか? でもあの後に『揉ませてください吹寄サマ』でも殴られたし『拝啓、秋の色も深くなり〜〜』から始めたら頭突きで吹っ飛ばされたしなあ何が気に|障《さわ》ったんだろ?)  基本的にこの少年は身に降りかかる不幸にとにかく慣れていて直接的な|打撃《だげき》に関してもやたら打たれ強い体質を誇っているため|絆創膏《ばんひこつこう》などは特にない。|常日頃《つねひごろ》から空腹少女に頭を|噛《か》み付かれている上条|当麻《とうま》の耐久力は|半珊《はんぼ》噸てはないのだ。  そんな風に、根本的な所に気づかないまま『もっとさりげなく季語を取り込むべきだったか』などと延々と考え事をしながら、上条は学園都市の整えられた街並みを歩いていく。  残暑の|名残《なご》りも、九月三〇日となれば完金に|払拭《ふっしょく》されていた。風力発電のプロペラを回す|緩《ゆう》やかな風は、もうエアコンの冷房が不要になった事を示していたデパートの壁に取り付けられた大画面に映っている天気予報も、『熱中症に注意してください』から『季節の変わり目なので体調管理にお気をつけて』へと一言メッセージが変更されている。  そうした中、 「いたいたいたクソいやがったわねアンタ!!」  昨今の日本語は乱れつつあるのです、という≒口語評論家の意見を丸ごと証明してしまうような少女の|台詞《せりふ》が|上条《かみじよう》の元へと飛び掛かってきた、。  上条がそちらへ振り返ると、お|嬢様《じようさよ》学校で知られる名門|常盤台《ときわだい》中学の|見《みめ》!!|麗《うるわ》しい(はずの)女の子が、どだだだだだーっ!! と高速で接近してくる所だった。  |御坂美琴《みさかみこと》。  肩まである茶色い髪に、上条よりも七センチほど低い背丈の少女。今までの夏服と違い、今はベージュ色のブレザーに紺系チェック柄のプリーツスカートを穿いている。昨日の今日でピカピカの冬服を受け取ったはずなのに、すでにスカートは短くなっていた。何ともお嬢様な事に、|薄《うす》っぺら。い学生|鞄《かばん》の|他《ほか》に今日はバイオリンらしき楽器のケースまで|携《たずさ》えている。  上条はその顔を見るなりうんざりした顔で、 「これは、まあ、あれだな。———不幸だー」 「人の顔を見るなりその反応は何なのよ!!」  ぎゃああ! と|騒《さわ》ぐ美琴。ちなみに上条は午前中に|吹寄制理《ふきよせせいり》から|正拳《せいけん》及び頭、突きを受けている訳だが、不幸的インパクトはこち。らの方が強かったらしい。この|超電磁砲《レ ルガン》と名のつく少女から|雷撃《らいげき》の|槍《やり》だの何だの受け続けているのだから当然かもしれないが。  上条はただでさえ薄っぺらい学生鞄を、いかにも重たそうに持ち直しながら、 「で、なんか用事でもあんのかお前? 手短にな。できれば歩きながらな。いっそもう帰って良いか?」 「ただでさえムカつく対応により一層の拍車がかかってるわね……」美琴はわずかに首を横に傾け、唇を邪悪に|歪《ゆが》めつつ、「っつか、今のアンタにそんな大それたクチを聞くだけの権利があるとでも思ってんのかしらー?」 「あん?」  平べったい美琴の言葉に何やら邪悪な意思らしきものを感じ取った上条は、ゆっくりと彼女から|距離《ヱさトホリ》を取ろうとする。  そこへ常盤台中学のエース、品行方正(でないと困る)なるお嬢様は腕を組んで一言、 「|罰《ばつ》ゲームよん♪」  上条|当麻《とうま》の|眉《まゆ》がピクリと動く。  罰ゲーム、というのは九月一九日から七日間にわたって繰り広げられた、学園都市総出の大組模体育祭『|大覇星祭《だいはせいさい》』で上条と美琴の間で取り決めを行った『|賭《か》け』にまつわるものだ。簡単に言って、順位の低かった方が相手の言う事を聞く、という内容である。  能力開発の街である学園都市では、体育祭でそういった能力を使用する事も許可されていた。 そして常盤台中学の面々は数億ボルトもの高圧電流の槍や風速八〇メートルもの突風の壁などを用いて対戦校の生徒|達《たち》を|薙《な》ぎ払っていく、という自然災害みたいな戦法を取ってきたのだ。  |上条《かみじよう》は高校生で|美琴《みこと》は中学生なのだが、そんな年齢差など大自然の脅威の前にはどうにでもなってしまい、三日目の直接対決などでボコボコにされてしまった訳である。その上、上条、|土御門《つちみかど》、|姫紳《ひめがみ》、|吹寄《ふきよせ》などのメンバーは|大覇星祭《だいはせいさい》初日のゴタゴタで|怪我《けが》を負っていた。色々な事が重なって敗北した訳だ。総合的な順位も散々で、こんな状態で名門|常盤台《ときわだい》中学をどうにかできるはずがなかった、  しかし負けは負け。  そんなこんなで、|御坂《みさか》美琴の『|罰《ばつ》ゲーム』発言は正統なる手順に従って放たれたものだったのだが、 「あれ? それってまだ有効だったっけっ?」 「一人で勝手に水に流してんじゃないわよアンタ!! とにかく本当に何でも聞いてもらうんだから! はん、今の今まで利子とかつけずに待ってただけでも美琴さんに感謝しなさいってのよ!!」  やたら勝ち誇って胸を張る美琴。  表通りの学生達が『何だ何だ?』という目を向けてくる。  どうもこの過剰な反応には、『もっと早くにやっておきたかったけど上条が病院とかイタリアとかに行ってて放ったらかしにされていた分』の|鬱憤《うつぶん》が良い感じに爆発しているのもあるようだ。利子あるじゃん、と彼は|咳《つぶや》きかけたが、大人なので|黙《だま》っておく。  上条はため息を|吐《つ》いて、 「別にそういう話なら良いんだけどさ。|俺《おれ》にできる事なんてたかが知れてるぞ?」 「ふーん。そういう風に言ってごまかしちやうんだー?」 「いやそういう訳じゃなくてだな」 「そーよねー。アンタみたいな凡人じゃできる事なんて、た・か・が、知れてるもんねぇ? あら|大丈夫《だいじようぶ》よ、アンタと違ってとっても素晴らしい美琴さんはその辺もしっかり|考慮《こうりよ》してるから。|馬鹿《ばか》にできない事を|頼《たの》むつもりはないし、凡人は凡人らしくヒーヒー頑張ったらー?」 「———、」  ビキィ!! と上条のこめかみから変な音が聞こえる。  大体こんな調子になるとロクな結果を招かないのだが、それを冷静に確認できるほど上条|当麻《とうま》は聡明なる優等生ではない。 「分かったよ」  |傭《うつむ》き気味の上条の投げやりっぽい返事に、美琴は|何故《なぜ》かホッと|安堵《あんど》の息を|吐《は》く。  しかし。  彼は突然、傭いた顔をグバァ!! と勢い良く上げて美琴の顔を正面から見据えると、腹の底に思い切り力を込めて一言、 「よろしい!! ならばこの|愛玩奴隷上条当麻《あいがんどれいかみじようとうま》に何なりとお申し付けるがよい!!」  人混みの動きがピタリと止まった。  彼らは言った上条と言われた|美琴《みこと》を交互に見ながら、ヒソヒソと何か言葉を交わす。数秒ほど問を挟んで、ザザザザァァァ!! と上条と美琴の周辺から人垣が波のように引いていく。 「は……? なに、ドレ、ええッ!? 何言ってんのアンタ!!」  それに負けず劣らず美琴の顔から血が引いていくのが分かったが、その程度で許しを与えるような甘い人間に育ったつもりはなかった。  上条は|恭《うやうや》しくその場に|跣《ひざまず》くと、|薄《うす》っぺらい学生|鞄《かばん》の中からペラペラの|下敷《したじ》きを取り出し、全く|茶化《ちやか》したりせず、真剣そのものといった顔つきで|緩《ゆる》やかに|扇《あお》ぎ、 「基本はやっぱり快適な環境を整える事からですよねお|嬢様《じようさま》。わたくし上条当麻はこういう事に不慣れですので色々手間をかけると思いますがどうぞ|平《ひら》にご|容赦《ようしや》を」 「ちょ、|馬鹿《ばか》!! アンタ色々とノリが良すぎるしスカートの下から思い切り扇ぐな!!」  美琴は青くなっていた顔を早くも赤く染め直し、ただでさえ短いスカートを両手で押さえながら叫び返した。下はどうせ短パンだろうが気分的な問題があるらしい。  と、その時、 「お姉様ぁーっ!!」  |若干《じやつかん》引き気味な人垣を突き崩すように、ツインテールのブレザー少女、|白井黒子《しらいくろこ》が勢い良く飛び込んできた。 「こ、これは……ッ!?」  |普段《ふだん》ならそのまま美琴に抱き着くor両手を握るぐらいの事はしそうだが、今日に限っては美琴に接近する前にまるで見えない壁にぶつかったようにその上半身を大きく|仰《の》け反らせる。目の前に広がる壮絶な光景にかなりの|衝撃《しようげき》を受けているらしい。 「く、黒子?」  公衆の面前で年上の男を足元にひれ伏させ、扇で風を送らせている(ように見えている)美琴は、引きつった顔で首だけ動かして自分の後輩を見る。  しかし白井黒子は|愛《もと》しのお姉様の声が聞こえていないようで、その小さな体をわなわなと|震《ふる》わせていた。  その視線は、ただ|忠義《ちゆうぎ》の|徒《と》と化している(ように見えている)上条当麻にのみ注がれている。  彼女は語る。 「な、なんという|潔《いさぎよ》い直球従属姿勢……。しかしその役目は本来わたくしだけのものだッ!!」  白井の|瞳《ひとみ》の中にあるのは、|羨望《せんぼう》と|嫉妬《しつと》、そしてわずかな尊敬の念だ。 「やめなさい馬鹿ども!! ふっ、二人して低頭してんじゃないわよ何の|儀式《ぎしき》だこれ私はどこぞのカルト教団の教祖様かーっ!!」  |御坂美琴《みさかみこと》は絶叫したが、|上条当麻《かみじようとうな》は無心で下から|扇《あお》ぐ行為に余念がなく|白井黒子《しらいくろこ》は強敵の存在を改めて確認し、|戦懐《せんりつ》の|震《ふる》えを止められずにいた。      6  |月詠小萌《つくよみこもえ》は職員室でやつれた息を|吐《は》いた。  身長一三五センチ、見た目は一二歳程度という外見からはあまりに不釣合いな疲労感だったが、それも無理はない。午前中に起きた生徒間の暴力|沙汰《ざた》(そう、上条当麻の周辺では目立たないかもしれないが、普通の学校生活で考えれば結構大きなトラブルなのだ)もそうだが、その|他《ほか》にも原因はある。  それはスチール製の机の上に散らばっていた。  そこにあるのは安物の印刷物で、進路希望調査票、と書かれている。もっとも、一年の段階での調査は結構|暖昧《あいまい》なもので、『将来どんな仕事に就きたいか』ぐらいのものでしかない。具体的な進学や就職、そして進学するならどこの学校のどんな学部を狙うのか、就職するならどこの企業へどんな手順でアタックするのか、といった話はもう少し先。の事だった。  が、 「はぁぁぁー……」  小萌先生は思わず頭を抱える。  |土御門元春《つちみかどもとはる》は『メイドの国へ行きたい。そしてクーデターを起こし、このオレが軍師になって|薄幸《はつこう》メイドを女帝にする』とこの上なく|真面目《まじめ》な筆跡で書いていたし、青髪。ピアスは『モテたい』と調査票の枠からはみ出るぐらい大きな文字を、上条当麻などは『しあわせになれればなんでもいいです』と何だか涙を|誘《さそ》うような切実な願いを記していた。 (最近の若者は具体的な仕事への意欲が欠如しつつある傾向にある、って偉い人が言ってましたけど、これは何だかちょっぴり違う気がするのですー……)  おそらく彼らは調査票を書く気がないから適当にシャーペンを走らせた訳ではなく、極めて本気で取り掛かっているのだろう、だからこそ色々と困る。  そこヘジャージ姿の女教師、|黄泉川愛穂《よみかわあいほ》がやってきた。 「おっすー。センセ、気分転換は|煙草《タバコ》とお酒のどっちがいいじゃんよー?」 「勤務中のアルコールは禁止なのですよー……」  いつもなら大声で反応して教師とは何かを説き始めるだろう月詠小萌だが、|流石《さすが》に今日は少し疲れが|溜《た》まっているらしく、返事の起伏も|薄《うす》い。  黄泉川は小萌先生の机の上にザッと目を走らせつつ、 「じゃー煙草じゃんねー」  |小萌《こもえ》先生は|黄泉川《よみかわ》の差し出した|煙草《タバコ》の箱から一本引き抜くと、それを口に|唖《くわ》え、 「あれ? 何やら高級感が漂ってくる口触りなのですよ?」 「そりゃあれだ、最近できた喫煙バーで手に入れたモンだから。一本七〇円の高級品ってヤツじゃんよ」  禁煙エリアが拡大しつつある昨今、逆に喫煙専門の店舗を作る風潮も広まりつつあった。カクテルの代わりに世界各国の煙草を|揃《そろ》えたバーも珍しくない。一本七〇円どころか、南米産の葉巻などになると三〇〇〇円ぐらいのものまで揃っている。  学校など大抵は全面禁煙が|敷《し》かれていそうなものだが、学園都市では意外に校内の喫煙が認められている場合が多い。これは学校の教師が様々な分野の研究者を兼ねているパターンが多。く、彼らの集中力をごっそり欠く事が学園都市全体の損益に|関《かか》わる、という統括理事会からの|配慮《はいりよ》だ。  そんな訳で、喫煙申請を出した教師には小型の高性能空気清浄機が支給される。小萌先生はスチール机の引き出しを開けると、その中から煙草の箱を二つ積んだぐらいの機械を四つ取り出した。机の四隅にそれぞれ配置する。  |各《おのおの》々は一方向からの空気しか吸い込まない。しかし四つそれぞれが作動すると、まるで|洗濯機《せんたくき》に|撹絆《かくはん》されるように机の上の空気が円状に動く。|薄《うす》っぺらな紙切れ一枚動かない憾どの空気の流れだが、それが確実に煙草の煙を捕らえて吸い込み、フィルタを通して清潔な空気を吐き出すのだ。空気力学を応用した最新モデルであり、同時に無料支給できるほどコストを抑える事にも成功した、|正真正銘《しようしんしようめい》の実用品だ。 「よっと」  小萌先生は机の端に置いた空気清浄機のスイッチを入れる。  緑色のジャージを身にまとった信じられないほどの巨乳教師、黄泉川|愛穂《あいほ》は自分も一本口に唖えると、小萌先生の机にあった小さなライターで火を|点《つ》けて、 「ベルギー産のレア物らしいけど……うえ。こりゃ失敗じゃん。|駄目《だめ》だ、私には細かい味は分かんないじゃんよ」 「黄泉川先生は一本一本を味わわないでバカ吸いしてるから鈍ってるんですー」 「一日に私の優に五倍は吸ってる『|山盛り灰皿《ホワイトスモーカー》』|月詠《つくよみ》センセには言われたかないじゃーん」  ぶはー、と二人して机の板の表面に吹きつけるように煙を吐く。  机の上に当たった白っぽい煙はそのままあちこちに散らばるが、ちょうど机の縁の辺りで見えない壁にぶつかったように動きを止めると、ぐるぐると渦を巻いて机の四隅へ吸い込まれていく。  空気清浄機の恩恵は『机の上』しかないため、|椅子《いす》に座っている小萌先生はともかく、黄泉川の方はやや|前屈《まえかが》みになって顔の位置を机の上に調節しなくてはならない。この辺がまだまだ改良の余地ありなのだった。 「また|煙草《タバコ》が値上がりするみたいなのですよー。先生はがっくりなのです」 「お菓子や漫画に比べりゃまだマシじゃんよ」  学園都市の人口の八割は学生だ。大学生は除外されるにしても、喫煙、飲酒が許可されている人間は|驚《おどろ》くほど少ない。そういったものに税をかけても大した予算増にはならないのが現状だ。よって、子供が好きそうなものに課税されるのが学園都市の|暗黙《あんもく》の了解だった。  基本的にこの街は勉強をするための所であり、それに必要のない物品や|嗜好品《しこうひん》については税をかけても問題なし、という風潮がある。代わりに学園都市では一般的に|寮《りよう》の家賃や学食などが(学園都市の『試作品』という事もあるのだが)激安になるので結局プラマイゼロなのだった。まあ、学バスや教材などで|儲《もう》けようとする学校もあるにはあるのだが。 「でも生徒さん|達《たち》の生活費は学園都市からの奨学金とか補助金。がほとんどじゃんよ。何だか回りくどいやり口な気もするけどねぇ」 「直接奨学金を減らすと言うとクレームが殺到するのですー。『煙草に課税する』のと『お給料を減らす』のでは、お金の行き先は一|緒《いつしよ》でも反応が全く違うのとおんなじですよー」  そんなもんかね、と|黄泉川《よみかわ》はジャージのポケットから取り出した携帯灰皿の中に、煙草の先。端に|溜《た》まった灰をトントンと収める。  と、黄泉川はそこで気づいた。  |小萌《こもえ》先生が唇の端に煙草を|唾《くわ》えてゆっくりと上下に振っている。  今までなかった|癖《くせ》だ。 「ははあそれが例の喫煙神父効果ですか、|月詠《つくよみ》センセ」  ビクゥ!! と小萌先生の肩が大きく動いた。  彼女は慌てて煙草を口の端から中央へと戻し、 「ちっ、違うのですよ? 黄泉川先生たら一体いきなり何を日走ってるのですか?癖が移るとかそんな|馬鹿《ばか》な事がある訳がないのですーっ!!…」 「違うなら良いけど」  完金ガードの姿勢を固める小萌先生に対し、黄泉川はあっさりと退いた。拍子抜け状態の小萌先生は、しかし逆にその表情が真笑を語ってしまっている。  むぐぐ、と未だに警戒を続ける小萌先生に対し、黄泉川はもう一度煙を吐いてから、 「さて、と。それじゃそろそろ行くとしますか」 「あ、黄泉川先生の言っていた例の子達がそろそろ来るのですかー〜」 「そういう事。ちょいと|厄介《やつかい》な事情を抱えてんだけど、まあ、それぐらい馬鹿な方が私好みだし。私のクラスは|揃《そろ》いも揃って優等生ばっかだからつまんねーじゃんよ」 「っとっと! まだ煙草は長いのです、もうちょっとだけ吸わせてくださいなのですよーっ!」  基本的に職員室以外は禁煙という現状を|鑑《かんが》みて、小萌先生は黄泉川の手を|掴《つか》む。  数分後、フィルターのすぐ手前まできっちり吸いきった小萌先生はジャージ体育教師に連れて行かれる形で職員室を出た。      7  背後でタクシーが走り去っていくエンジン音が聞こえた。  |一方通行《アクセラレータ》はそちらを見ない。  横で|打ち止め《ラストオーダー》が何か言っているがそちらに視線も向けない。  ただ、目の前に広がる不可思議な光景に目を奪われている。  より詳しく言うと、ここはとある高校の校門近くだ。遠目に見てもごくごく普通の平均的な、突出した所は何もないだろうという感じが|窺《うかが》える鉄筋コンクリートの校舎があるのが分かる。  しかし、それは問題ではない、  |一方通行《アクセラレータ》が見ているのもそういった校舎ではない。  彼の前に立っているのは、その高校で教師をやっているという二人の女性。  一人は顔を知っている。  長い髪を後ろで束ねた、緑のジャージを着た女だ。|黄泉川愛穂《よみかわあいほ》とかいう名前で、学園都市の|警備員《アンチスキル》も務めている。子供に武器を向ける|趣味《しゆみ》はないとの事で、|強能力者《レベル3》程度なら盾一つで|叩《たた》きのめすというトンデモ体育系教師だった。  彼女も問題ではない。  |一方通行《アクセラレータ》が|凝視《ぎようし》しているのは、もう一人である、 「な、何なのですかー……?」  |月詠小萌《つくよみこもえ》と名乗ったその女性だが……下手すると、またもやスポーツバッグの上で正座を始めている|打ち止め《ラストオーダー》よりも小柄だ。  |一方通行《アクセラレータ》は少し考え、やたら背の低い女をチラリと|一瞥《いらべつ》して、 「何だこの説明不能な生き物は? どっから入り込ンできた」 「違うのですよ。先生は普通に大学を卒業して学園都市へやってきたのですー」  ますます状況を混乱させる一言に、|一方通行《アクセラレータ》は思わず目を細める。  それから、 「細胞の老化現象を抑える研究はもォ完成してたって訳かァ。クソッたれが、これが『実験』当時ささやかれていた『二五〇年法』の実態ってトコだな。世界の裏の裏まで知ったつもりでいたが、学園都市ってなァどこまで科学技術を先に進めちまってやがる……ッ!」 「え、ええと、そうでなくてですねー」 「あるいは研究は未完成で、この人はそれらを解析するために捕獲された生体サンプルなのかも、ってミサカはミサカは少々真剣な顔でお伝えしてみる。……|可哀想《かわいそう》に、きっと実験だらけでもうこのままずーっと自由時間とかないんだ、ってミサカはミサカはハンカチ片手に語ってみたり」 「あのう! 何で先生は自己紹介しただけでそこまでシリアスな言葉を投げかけられなくてはならないのですか!? |黄泉川《よみかわ》先生も笑っていないで何とかしてくださいですよーっ!!」  おろおろとするミニ教師に、ジャージ女は腹を抱えて笑っていた。ここまで|一方通行達《アクセラレータたち》を連れてきた|芳川桔梗《よしかわききよう》も、まさかこんな同行者がついてくるとは思っていなかったのだろう。彼女も笑顔を浮かべているが、それはどちらかというと研究者|魂《だましい》に火が|点《つ》き始めた少々危うい感じの表情だ。  笑い続ける黄泉川は|一方通行《アクセラレータ》へと視線を移し、 「ってー訳で、これからはこの黄泉川先生が君達のお世話をするじゃんか。ま、部屋は余ってるしこっちは|居候《いそうろう》ができても問題なしじゃんよ」 「……あくまで|暫定的《ざんていてき》だがな」  |一方通行《アクセラレータ》のつまらなそうな声に対しても、『ごっ、誤解は解けたのですかー?』とか何とか言っている|小萌《こもえ》先生の頭をぺしぺし|叩《たた》きながら、黄泉川は笑っている。 「っつか、オマエはそれで良いのかよ?」|一方通行《アクセラレータ》は極めて普通の口調で言った。「|俺《おれ》を。取り巻く環境がどンなモンかは分かってンだよな。深夜に火炎瓶を放り込まれる程度だと思ってンなら考えが甘ェぞ。俺を|匿《かくま》うってなァ、学園都市の|醜《みにく》いクソ暗部を丸ごと相手にするよォなモンなンだからな」 「だからこそじゃんよ」  黄泉川も、これに当たり前のように対応する。 「私の職業を忘れたか。|警備員《アンチスキル》としちゃそっちの方がやりやすいじゃんか。つっても、|警備員《アンチスキル》の自宅へ|馬鹿《ばか》正直に|襲撃《しゆうげき》を仕掛ける連中は少ないと思うけどね。この街の|闇《やみ》は、私達から見えない位置で活動するのが基本じゃん。下手に宣戦布告すれば、どっちが|潰《つぶ》されるかなんて目に見えてんだし」 「……、」  |一方通行《アクセラレータ》はわずかに|黙《だま》って、黄泉川の言葉を吟味する。小萌先生だけが、『あれ? いつの闘にか切り替わったこの空気は何なのですか2』と周囲を見回していた。 「死ンでから文句を言うンじゃねェぞ」 「|大丈夫《だいじようぶ》だよん」 「オマエの名前が『連中』のリストに登録される事だってあるかもしンねエ」 「その不良グループってのを更生させんのが私の仕事でね。助けるべきガキを怖がってたら最初の歩み寄りもできないじゃんよ」  |一方通行《アクセラレータ》は舌打ちした、。  |打ち止め《ラストオーダー》といいコイツといい、いつの問にか自分の周りにはこの手の馬鹿が増え始めている。 こういう場所にいると、彼は自分がすごく場違いな位置に一人で立たされているような気分にさせられる。  苦いものを|噛《か》み|締《し》めている|一方通行《アクセラレータ》に、|黄泉川《よみかわ》はあまり大人の女性らしくない笑みを浮かべて、 「にしても、良かったよ。アンタは聞いてたより助けるのは簡単そうじゃん」 「本気で言ってンのか?」  黄泉川が告げているのは、更生できるかどうかの話だろう。  彼女が知っている|由《よし》もないが、|一方通行《アクセラレータ》はすでに一万人以上の人問をこの手で直接殺している。その事実を踏まえると、黄泉川の言葉がどれだけ噛み合わないかが分かるだろう。  しかし。  そんな事など気づかないまま、黄泉川|愛穂《あいほ》は続けて言葉を放った。 「だってそうじゃんよ。なんだかんだ言いながら、私と住む事になったって聞くと、チェックリストに一つ一つ印つけていって死角を|潰《つぶ》そうとしてんじゃん。どんな小さな穴でも|塞《ふさ》いで、万に一っも実際に|襲撃《しゆうげき》されないようにって。つまりそれって私|達《たち》を守る気まんまんなんでしょ?」 「———、」  |一方通行《アクセラレータ》は|眉間《みけん》にしわを寄せた。  だからこォいう現状を確かめらンねェ|馬鹿《ばか》は手に負えねェンだ、と口の中で|眩《つぶや》く。      8  |御坂美琴《みさかみこと》とは一回別れる事になった。  理由は単純で、|上条《かみじよう》はお|腹《なか》が減っているからであり、汗を吸った制服から私服に藩替えたかったからであり、自炊しないと余りに余ってしまった|膨大《ぼうだい》な量のそうめんを処分できなかったからだ。  乾燥状態のそうめんの賞味期限がどんなものかは知らないが、何となく気分的に今年のそうめんを来年まで|繰《く》り越すのは|避《さ》けていきたい上条である。  美琴は『たかがそうめんが何なのよーっ!』と叫んでいたが、上条の「じゃあ朝昼晩とそうめん漬けになってサラダ風パスタ風うどん風など創意工夫に明け暮れる日々を送ってみるか? 段ボールいっぱいのそうめん送り付けんぞコラ!!』というあまりの気迫にたじろぐ形で彼女からオッケーを得た。  待ち合わせの時間までそんなに余裕がないため、上条は心なし早足で自分の学生|寮《りよう》に向かう。 「くそう。この前のスーパーのセールでやけにそうめんが安かった時点で|罠《わな》の可能性に気づいていれば良かった。値段の割に|誰《だれ》も手に取ってなかったのはこれが原因か……」  溢まけにタイミング悪く、それだけのそうめんを仕入れた直後に、学園都市の外で生活している|上条《かみじよう》夫妻からも『いやー福引きで当たっちゃってさー。|当麻《とうま》も好きだうそうめん?』と|膨大《ぼうだい》な童の乾燥|麺類《めんるい》が送られてきている。この辺は毎度の事ながら、不幸の一言に尽きた。  そんなこんなで|寮《りよう》の前まで帰ってくると、ちょうど|土御門舞夏《つちみかどまいか》が出てきた所だった。ここは基本的には男子寮なのだが、彼女のようにメイド見習い少女が義理の兄の部屋を片付けに来たり上条の部屋に空腹少女が転がっていたりなど、|近頃《ちかごろ》は風紀の乱れが目立っている。  この舞夏という少女、|普段《ふだん》はドラム缶型の自律清掃ロボットの上にチョコンと正座している事が多いのだが、今日は普通に地面を歩いていた。  前髪がメイド特有のフリルのついたカチューシャみたいなのに持ち上げられているため、おでこが大きく見えている。服装は紺色っぽい|長袖《ながそで》のメイド服というとんでもない|代物《しろもの》だったが、これで一応学校の指定制服(冬服)という事らしい。  彼女は家政学校に通っているのだ。  上条はチョコチョコと小さな歩幅で歩いてくる舞夏を見て、 「ありゃ。お前、いつもの清掃ロボットはどうした訳?」 「うふー、あのゆったり速度を待っていられないほど今の私は機嫌が良いのだぞー」  この女の子も|姫神秋沙《ひめがみあいさ》に負けず劣らず表情が|掴《つか》みにくいのだが、今日に限っては顔を見るだけで喜怒哀楽の喜がズバァーッ!! と|閃光《せんこう》を放っているのが分かる。何だ何だ何が起きたんだ? と上条が首をひねっていると、舞夏は自分の右手の甲を左の|頬《ほお》に当て、おっほっほー、とメイドらしからぬ|高飛車《たかびしや》っぽい仕草をして、 「これだよこれこれー。カフスが|上手《りつよ》くいってだなー」 「かふす?」 「袖口って事だぞー」舞夏はニコニコと|微笑《ほはえ》みながら、「メイドってのは基本的に目立っちゃ|駄目《だめ》だからなー、あんまり派手派手な髪とかアクセサリーとかはまずいの。だから袖口とか|襟元《えりもと》とか、小さな所にこだわる事でこっそり個性を出してるんだぞー」  ああそうなんだ、と上条は舞夏の手の辺りを改めて見る。  袖の布地を手首の所で折り返したようなものだ。いつもとどう違うのか、上条には良さが理解できないが、ようは女の子が初めて支給された制服のスカートの丈を短くして喜んでいるようなものだろうか?  舞夏はうっとりした顔で、柔らかそうなほっぺたに自分の袖をスリスリ|擦《こず》り付けると、 「はぁぁー……、。今期の『ガントリット』は本当に大成功なのだぞー。私は今とーっても気分が良いからちょっとしたお悩みぐらいは聞いてやってもよろしいー」 「そうか? なら|莫大《ばくだい》に余ったそうめんの処分法が知りたい」 「茄でたそうめんを細かく切って、春巻きの具などに混ぜてしまうと意外に味は変わらないモンだー。手軽にボリュームアップできるしなー」  舞夏は答えると、てててー、と小走りでどこかへ去ってしまう。その背中を見るだけで喜び光線があちこちに放出されていくのが|窺《うかが》えた。  |上条《かみじよう》はしばらくそちらを眺めていたが、 「……そりゃ味の濃いものにぶち込みゃどんなモンでも味は分からなくなっちまうだろうよ」  結構投げやりな|舞夏《まいか》の回答をボソッと寸評しつつ、ここにいても仕方がないので学生|寮《りよう》へ入る事にした。  オンボロのエレベーターに乗って七階に着くと、後は|真《ま》っ|直《す》ぐの通路を歩けば、ズラリと並ぶドアに混じって上条の部屋がある。  |鍵《かぎ》を開けて中に入ると、空腹少女インデックスが床の真ん中でバタリと仰向けに倒れていた。どうせまたお|腹《なか》が減っているのだろう。上条は|薄《うす》っぺらい|鞄《かばん》をその辺に投げると、 「今日もそうめん」 「やだぁ!!」  ズバン!! と真っ白な修道服を着た銀髪の少女は勢い良く起き上がった。彼女は緑色に|輝《かがや》く|瞳《ひとみ》に不満いっぱいの感情を乗せると、 「何でとうまはここの所ずっと日本製の|麺類《めんるい》ばっかりなの!? これ何の|儀式《ぎしき》! 食という文化を応川した体内調節|魔術《まじゆつ》の一種なの!?」  ぶーぶー文句を言っているインデックスだが、実際にそうめんが食卓に並ぶと結構美味しそうに平らげてしまうので大きな問題はない。ようはそうめん|倦怠期《けんたいき》なのだ。倦怠と言ってもあくまで一時的なものであって、根本的な所では大好きだからこそ起こりえる心の動きなのである。  上条はコクリと|頷《うなず》くと、 「……恋愛って難しいな」 「とうま?」  インデックスが不審人物を見るような目でこちらを窺っていたが上条は気にしない。  ちなみにこの部屋にはもう一匹の|居候《いそうろう》がいて、その|三毛猫《みけねこ》はベランダ近くの|日向《ひなた》でポカポカした|陽射《ひざ》しを受けていた。ついこの間まで風通しの良い場所を選んで丸まっていたのだが、この辺りが季節の移り変わりといった所か。コイツはそうめんとか関係ないので|呑気《のんき》なものだ。 |近頃《ちかごろ》は冬毛に変わりつつあるのか、あちこちに猫の毛が散らばっている。あと体のサイズが少しずつ大きくなってきている気がする。  上条はユニットバスで着替えるための私服に手を伸ばしつつ、 「とにかく今日は舞夏から秘策を伝授したので早速実行です。目指せ春巻き風そうめん1」 「なら普通に春巻きで良いかも!?」  インデックスが嘆きの声を放ったその時、不意にインターフォンが鳴った。 「|誰《だれ》だろ?」  上条がドアを開けると、そこにいたのは|土御門元春《つちみかどしとはる》だ。 「おー、いたいたにゃー。カミやーん、悪いんだけどちょっと手伝ってくんねーかにゃー」  その言葉に|上条《かみじよう》は警戒。し、 「な、何の手伝いだ? まさかまた国際規模|魔術艦隊《よじゆつかんたい》を沈めて来いとかそういうヤツか?」 「カミやん……もうスムーズにそんな言葉が出てくるなんて……同情して良い?」|土御門《つちみかど》は哀れむようにこち。らを見た後、「そーいうんじゃなくて、|舞夏《よいか》がちょいと料理を作りすぎちまってにゃー。なんか一〇時間ぐらい煮込んだシチューをさっき|鍋《なべ》ごと持ってきたんだけど、そんなの食べきれないぜい。かと言って捨てちまうのももったいねーし、良かったら|一緒《いつしよ》に———」 「———喰らうーっ!!」  叫んだのは上条ではなくインデックスで、その上一応の家主さんである少年を背後から|弾《はじ》き飛ばす形で急接近してきた。土御門の衣類に食べ物の匂いがわずかに残っているのか、今まで部屋でくつろいでいた|三毛猫《みけねこ》も小走りで近づいてくる。  上条は文句の一つも言いたかったが、インデックスの尋常ではないノリを前に口は閉ざしておく事にした。賢明、の二文字が脳裏に浮かぶ。  そんなこんなで|一行《いつこロつ》はすぐ|隣《となり》の土御門の部屋へ。  全体的な間取りは、もちろん上条のものと全く同じだ。しかしジムにあるようなトレーニング機材があちこちに置いてあるだけで、随分と印象は変わってくるものだ。あと|壁際《かべぎわ》に本棚がニつあってその内の片方がメイドの出てくる漫画等で埋め尽くされた|特殊空間《コレクターフイールド》と化しているが、そっちには触れないでおくのが友人の務めだと上条は思う。 「これだぜい」  と言って、土御門が指差したのはテーブルの上。舞夏が今まさに持ってきた所なのか、料理人が使っていそうな銀色の|寸胴《すんどう》鍋がそのままズドンと置いてある。もちろんあんな巨大な鍋を受け入れる|鍋敷《なべし》きなど普通の|寮生《りようせい》が持っている訳がないので、古新聞がテーブルに敷かれていた。  土御門が鍋に近づき、カパッと|蓋《ふた》を開けると、中にあったのはオレンジ色のシチューだ。 「ベースはニンジンらしいんだけど|完壁《かんべき》に煮崩してあるにゃー。その上から改めて具材になる野菜とかを放り込んだっつーとんでもないシチューだぜい」 「ニンジンっていうと結構甘いんじゃねーの?」  匂いを|嗅《か》いでみる限りではそんな感じだ。砂糖をそれほど使わず、野菜から出てくる甘みだけで味をつけているのかもしれない。  とりあえず、底の浅い大川におたまでシチューを盛っていく。ジャガイモや豚肉などは大きめに切ってあった。野菜は結構な種類取り込まれていて、何だか健康飲料みたいに普通のご飯じゃ摂取しにくいような栄養まで|揃《そろ》ってしまいそうな充実っぷりだ。ちなみにタマネギが使われているため三毛猫には分けられなかった。『何だよそれ食べたい食べたいこれ食べたーい!!』とゴロゴロ転がる小動物に目を合わせられない。  そんなこんなでお食事開始である。  思いがけず食事が豪華になったのだが、そうめんどうしようと思わなくもない。  |上条《かみじよう》は『いただきます』と言ってから、スプーン片手に|土御門《つちみかど》の方を見て、 「でもお前も太っ腹だよなー。なんつーか、見習いっつっても|舞夏《まいか》のレベルってそこらの料理店に匹敵するぐらいなんだろ?」 「にゃー。だからこそなんだぜい。そんだけ価値のあるものを食わずに|駄目《だめ》にしちまいましたなんつったらどうなんだよ。こんなに大量にあると|流石《さすが》に一人ではきついにゃー」 「そんなモンか。でもこのシチューって保存が|利《き》きそうだけどな」  ピク、と土御門の動きがわずかに止まった。  この男、基本的に外食だったり義理の妹に料理を作ってもらったりと、一人暮らしにあるまじき自炊ができない学生だったりする。だからこそその可能性を思いつかなかったのだろう。  自炊派少年上条|当麻《とうま》はさらに指摘する。 「あと、こんだけの量を舞夏が作ってくるって事は、アイッこれからしばらくお前の部屋には来れなくなっちまうんじゃねーの? だからお前が飢え死にしないように、栄養があって保存の利くものをいっぱい用意しておいたんじゃ———」  |三毛猫《みけねこ》が前脚を使って箱のようなものをペシペシと|叩《たた》いていた。  見ると、そこにあるのは保存用の密閉容器だ。メチャクチャ大きい。 「……、」 「……、」 「……、」  上条当麻とインデックスと土御門|元春《もとはる》はそれぞれ顔を見合わせる。  土御門舞夏の大いなる優しさと、土御門元春の駄目っぷりを比較し、なおかつこの長期戦用シチューが奪われるとサングラス少年の未来にどれだけの影が差すかなども推測してみる。  |沈黙《ちんもく》する事およそ数秒。  三毛猫が、みゃーと鳴いた。  それを合図に、上条とインデックスはほぼ同時に、ガツガツガツガソバクバクバクムシャムシャーッ!! と勢い良くシチューを食べ始める。  顔が青くなったのは土御門だ。 「ちょ!? カミやんストップストップ!! オレの思い違いだったこれはお前らには分けられないってか入の話を聞けよ義妹の料理はオレのものーっ!!」 「アッハー残念だがお預けなんて納得できるか!! っつか止めるんなら俺じゃなくてインデックスの方にするんだな!! 早くもアイツはおかわりタイムに突入だッ!!」  にゃーっ!? と土御門が絶叫するがインデックスはもはや止まらない。ともすれば|鍋《なべ》ごとがっついてしまいそうな勢いでスプーンが動く。  なんというか、今日も平和だった。 [#改ページ]    行間 一  ロンドンのランベス宮とは、元々イギリス清教の|最大主教《アークビシヨツプ》の官邸として用意された建造物だ。現在は|敷地《しきち》内が観光地として開放されているものの、|未《いま》だに建物の内部へ}般人が入るのは禁止されていて、一切の情報も封じられている。  簡単に言えば、誰もその内部がどんなものかを知らない。  歴史を感じさせる外観から想像するのが精一杯という|謎《なぞ》と|魅惑《みわく》に包まれた空間であり、多少なりとも地位や権力といったものを意識するイギリス清教徒ならばゴール地点として|狙《ねら》うに値する、玉座そのものと言っても過言ではない確かな『場所』だ。  一般人にはあまり縁のない、それ|故《ゆえ》に|徹底《てつてい》した非公開を不審がられないこの建物は、女王のいるバッキンガム宮殿以上の|魔術的《よじゆつてき》防御|網《もう》が張り巡らせてある。要人警護に当たる者はおろか庭師や清掃係までもが極限の対侵入者用近接魔術を修得し、柱の配握から壁紙の模様、西洋ランプの光量に至るまでその|全《すベ》てが魔術的意味を持った単一のトラップ[#「単一のトラップ」に傍点]として機能する。|館《やかた》そのものが巨大な一つの装置である以上、『|罠《わな》を|遊《さ》けて進む』といった通常の侵入方法が一切通用しないという、|屁理屈《へりくつ》をそのまま実現させたような設計思想を持っているのだ。聖職者、そしてアイアンメイデンからの皮肉として|処女の寝室《ネイルベツドルーム》とも呼ばれている。  そのランベス宮も、現在は深夜の静寂に包まれていた。  日本と英国ではおよそ九時間の時薙があるのだ。  昼間に比べれば人員は減ったものの、実質的な警備レベルは格段に跳ね上がり、なおかつそれを誰にも勘付かせないという『見えざる厳戒態勢』の中、  |最大主教《アークビシヨツプ》ローラ=スチュアートはバスルームにいた。 「ふんふんふふんふんふんふーん♪」  鼻歌だけが|反響《はんきよう》する、光に満ちたその空闇を見れば、ランベス宮に|憧《あこが》れを抱き高貴なイメージを巡らせている連中は腰を抜かすかもしれない。  バスルームと言っても、そこは二〇メートル四方ものサイズを誇る広大な空間だ。しかしそれに反して大浴場という形式ではなく、小型のユニットバスが何十にもわたってギッシリと配置されていた。  しかもそれぞれの|浴槽《よくそう》には『電気|風呂《ぶる》』とか『マイナスイオン風呂』とか『ジェット水流マッサージ風呂』とか、とにもかくにも科学サイドの匂いがぷんぷん漂う機能ばかりがついている。  それもそのはず、これらのお風呂は学園都市がお近づきの印として、割とお中元やお歳暮っぽくローラの元へ贈っている品々だったからだ。  現在、ローラはベージュ色の修道服のスカートを両手で大きくめくって、ジェット水流|風呂《ぶろ》の縁に腰掛けて、足だけを|浴槽《よくそう》に突っ込んでいる。  足湯専用の洗面器みたいなお風呂もあるのだが、ローラはこのジェット水流を足に当てるのが気に入っているようだ。  身長の二倍以上もある金髪は湯気を浴びて雨滴を受けた|蜘蛛《くも》の糸のようになっているが、こちらは後で整え直すので問題はない。何はともあれまず足湯なのだった。 (んっんー……幸福に満たされたるのよー。さてさて、足をほぐしたら今度はあちらのビリビリ電気風呂で全身を温めて———)  そんな一日の体の疲れをほぐしていたローラ!!スチュアートの元へ、  いきなりノックもなく、ドアを|蹴破《けやぶ》るようにステイル=マグヌスが飛び込んできた。 「|最大主教《アークビシヨツプ》!!」  赤く染めた髪を伸ばし、口には|煙草《タバコ》、両手の一〇本指には銀の指輪、右目の下にはバーコードの|刺青《いれずみ》、体からは香水とニコチンの混ざった|匂《にお》いを発散させるトンデモ神父の叫びに、ローラはビクッ!! と全身を|震《ふる》わせた。  たかが足湯と言っても、彼女はスカートを大きくめくって生足を|露出《うしゆつ》している所である。ローラは慌ててスカートを下ろそうとしたが、その急な動きのせいで腰が滑って、座っていた浴槽の縁から中へ盛大に転がった。  ざっぱーん、と波がぶつかるような音が広がっていく。  報告書を手にしているステイルは少しも気に留めない。 「この報告書に書かれている項目は本当なんですか!?また|貴方《あなた》の間抜けスキルでも発揮したとかじゃないでしょうね。|最大主教《アークビシヨツプ》の一言は世界を動かす事もあるんですからしっかりし……水面下でぶくぶく言ってないで答えてください! これは貴方が書いたものなんでしょう!!」  実はぶくぶく言っているのはジェット水流を顔に受けて苦しんでいるだけなのだが、ステイルから見ると浴槽へ落ちて足をM字に大きく広げたパンツ丸出しの女がハシャいでいるようにしか見えない。  ローラはザバァ!! と勢い良く水面から顔を出すと、 「な、なななな何をいきなりレディの浴室に土足で足を|踏《ふ》み入れたるのよステイル? あのその聖職者といえどもイヤ聖職者だからこそこういった場面を見られたるは———」 「い・い・か・ら・答・え・ろ・よ!!」 「駄目よーステイル!! 炎剣を水面に刺すればお風呂が煮えちゃう!!」  ローラは転がるように浴槽から脱出する。直後、煮えるどころか軽度の水蒸気爆発が起きた。 |濡《ぬ》れた床の上でパクパクと口を開けて呼吸している|最大主教《アークビシヨツプ》は、長い長い髪が|繭《まゆ》のように全身に|絡《から》みついて何ともモンスターっぽい。  ステイルはこめかみに血管を浮かび上がらせ、 「良いからさっさと報告書の文面を再読し、詳細を説明してください。こっちは早く仕事を終わらせて就寝したいというのに、何でこう寂しい女の面倒見なくちゃならないんですか……?」  しかしローラは人の話を聞いていない。 「ハッ!! 先ほどのお湯で修道服が肌に張り付きて|淫靡《いんび》なる肢体が|露《あらわ》になりて? いけなし、あちらを向きてステイル! 私の肌着は|何人《なんぴと》にも見せたるつもりはなしにつきのだから!!」 「……、」  ブチリ、という小さな音が聞こえた。  ステイルが|煙草《タバコ》のフィルターを|噛《か》み|千切《ちぎ》った音だった。 「ま、待ていなのよステイル!? 炎剣を|直《コか》に刺すれば私が燃えちゃうーっ!!」  逃げるローラを炎剣片手にステイルが追う。  今日も眠れぬ夜となりそうだった。 [#改ページ]    第二章 罰ゲームはどんな味? Pair_Contract.      1  |御坂美琴《みさかみこと》はコンサートホール前の広場にいた。  待ち合わせ場所である。 「……、来ない」  あちこちで友人なり恋人なりが合流しては広場から|離《はな》れていく景色の中、一人だけポツンと待ち続けているのは結構しんどい。  美琴の服装は|常盤台《ときわだい》中学の制服のままだった。|薄《うす》っぺらい学生|鞄《かばん》とバイオリンのケースを抱えている。遊びに行くのに|邪魔《じやま》だが、|寮《りよう》まで持って掃るのはそれはそれで面倒なのだ。|普段《ふだん》なら自由に出入りできるのだが、運悪く寮監とかに捕まるとしつこく外出目的を尋ねられる場合もある。  なので、待ち合わせの時間に遅れないよう、|敢《あ》えて寮に帰るのをやめて先に待ち合わせ場所へやってきたのだ。今ある荷物は近くにいるらしい|白井黒子《しらいくろこ》に取りに来てもらおうかなと考えて電話で連絡を入れておいたのだが、 「どっちも来ないってどういう事よ……?」  美琴は|呆然《ぼうぜん》と|眩《つぶや》く。  本来は白井にさっさと荷物を押し付けたら時間までカフェで|暇《ひま》を|潰《つぶ》していようと考えていたのだが、そもそも大前提の白井すらやって来ないので、結果としてずっと立ちっ放しだ。  遅刻しないようにあれこれ努力したのに、|上条《かみじよう》の方が|遠慮《えんりよ》なく遅れて来るのでは何のための配慮だったのだろう、とため息を|吐《つ》く。  かと言って、今から荷物を寮へ戻そうとしても、すでに待ち合わせの時間は過ぎているのだ。 ここを出た途端にすれ違いになるかもしれない。  はぁ、と美琴は疲れたように肩を落として、 「よくよく考えたらあの馬鹿の番号知らないのよね。……でも、こっちから尋ねるのは|癪《しやく》だわ」  立っているのも疲れたので、その場でしゃがみこんで薄っぺらい学生鞄とバイオリンのケースを地面に置いた。鞄はもちろんケースの方はそれだけで|骨董的《こつとうてき》価値がありそうだが、美琴はあまり気に留めていない。ケースはあくまでケースとして機能させるだけである。  と、そんな疲労感漂うお|嬢様《じようさま》に、 「いたいたいました! 御坂美琴さんですよね!」  明るい少女の声が飛んできた。自分の名前を呼ばれた|美琴《みこと》は『おや?』という感じで顔を上げる。  そこには美琴よりも小さな中学生が立っていた。黒くて短い髪の上に造花をいっぱい取り付けた、セーラー服の少女。確か、|白井黒子《しらいくろこ》と同じ|風紀委員《ジヤツジメント》に所属していたと思う。美琴に直接話しかけてくるより、主に白井の周りをウロウロしている方が多いようだが。 「確か……|初春飾利《ういはるかざり》さん、だっけ?」 「わあ、覚えててくれたんですね!」  |瞳《ひとみ》をキラキラさせる初春。  それはまさに|羨望《せんぼう》の|眼差《まなざ》しそのものだ。が、彼女は実は美琴ではなく『|憧《あこが》れの|常盤台《ときわだい》中学の先輩さん』というおじ撫。櫨世界に憧れているだけなので、キラキラ具合は白井と少し方向性が違う。こちらはあくまで健全な尊敬である。  初春は恐る恐るという感じで尋ねてくる。 「あのー、確か、白井さんが荷物を受け取りに来るという話だったと思うんですけど……」  ん? と美琴は|眉《まゆ》をひそめる。  初春は地面に置かれた学生|鞄《かばん》やバイオリンのケースを眺めて、 「ええとですね。白井さん巌襲尽の仕事を押し付け……いや|一生懸命《いつしようけんめい》頑張っているので、ちょっと遅れそうなんです。本人はここへ来る気まんまんなんですけど、ちょっと時間的に無理っぽいので代わりに私がやってきましたー」  そうなんだ、と美琴は|頷《うなず》きかけたが、そこで固まった。  白井は(誤解のない方向で)近しい人間だから|遠慮《えんりよ》なく|頼《たの》み事をできるのだが、こんないたいけな女の子に荷物運びなど任せられない。まして、初春は常盤台中学の人間ではない。|寮《りよう》の中には入れないのだから、必然的に荷物は『寮の|誰《だれ》かに受け渡し、部屋に運んでもらう』事になるだろう。  それが寮監だったりしたら最悪だ。  オトナの女性である寮監サマはおそらく初春にはニコニコの笑顔を向けて快く引き受けるだろうが、美琴が寮に帰ってきた時に待っているのは|憤怒《ふんぬ》の|魔王《まおう》である。  なので、美琴は気軽にパタパタと手を振って、 「黒子が来れないんだったら良いわよ。そこらのホテルのクロークにでも預けておくから。部屋さえ取っちゃえばそういう風に利用する事もできるし」 「はー、コインロッカーに預けない辺りは|流石《さすが》ですね」 初春はびくびくとした瞳でバイオリンのケースを眺めている。確かにそんなに高価なものなら自分みたいな一般人が触れるのは遠慮した方がいいのかも、と全身で訴えている。  美琴はさらに手を振って、 「いやいやいや! 別に|貴女《あなた》が|丁寧《ていねい》に運ぶか疑っているって訳じゃないから落ち込まなくても良いわよ!!」 「でも……」  |初春《ういはる》は冒葉を|濁《にご》す。  が、それ以上は続けず、彼女は話題を変えた。 「それにしても、|常盤台《ときわだい》中学って本当にすごいんですねー。学校の授業でバイオリンを使うなんて普通じゃないですよ」 「そんなモンかしらね。使ってみるとそんなに難しいものでもないけど」  |美琴《みこヒ》はバイオリンを眺める初春の|瞳《ひとみ》に、微妙に|羨望《せんぽう》の光がある事に気づいて、 「ええと、もしかして……ウチの。中学に|憧《あこが》れてるクチ?」 「いっ、いいえそんな! 滅相もないです!!」分かりやすいぐらいのうろたえ方だった。「私みたいな平々凡々な一般市民があんなお|嬢様《じよヒつみごま》だらけの空間に|踏《ふ》み込めるはずないですってば!!」 「いや、実力さえあれば金銭面はいくらでも補助が効くわよ。ウチの学校は|上《うわ》っ|面《つら》より中身を優先する感じだからね。逆にどっかの王族の娘とかあっさり不合格にしたって話もあるし」 「そ、そんな王家も切っちゃうような超難関エリアじゃますます|駄目《だめ》ですよー……。バイオリンとか触れた事もないですし。上手に|弾《ひ》けたら格好良いとは思いますけど」 「そりゃあ食わず嫌いだと思うんだけどなぁ」  美琴は地両に置いたバイオリンのケースを|掴《つか》むと、 「よし。何ならちょっとやってみるか」 「え!? |聴《き》かせてくれるんですか?」 「|貴女《あなた》が弾くのよ」 「ぶぇぇ!?」  初春はギョッとした目で美琴の顔を見たが、常盤台中学のお嬢様は早くもケースの留め具を外し、|骨董品《こつとうひん》特有の古びた|輝《かがや》きを見せるバイオリン本体と、それを弾く弓を取り出している。 「ほい楽器」 「ぶっ!? な、投げないでくださいっ!!」  値段が全く想像つかない一品を初春はおっかなびっくり受け取る。|壊《こわ》れるどころか汗がついただけで価値が下がるんじゃないだろうか、と固まっている初春。  美琴は初春の|隣《となり》に立つと、適当な仕草でバイオリン各部を指差していく。 「じゃあ言った通りにやってみて。左手で本体を握って、そっちの棒みたいなのを右手に持って|弾《ひ》くの。楽器の|尻《しり》を|顎《あご》と|鎖骨《きこつ》の辺りで挟んで固定してみ。安物だから力加減とかあんまり気にしなくて良いわよ」  そうは言っても安物というのはお嬢様の価値感における安物なのだ。もうさっさとこの爆弾を美琴に押し返してここから逃げたい初春だったが、その拍子にボキッと楽器が折れたら色々と一生モノな気がして大胆な行動に移れない。 と、カチコチに固まって指一本動かせない|初春《ういはる》に、|美琴《みこと》は|怪誘《けげん》そうな目で、 「ごめんごめん。やっぱり口だけじゃ分からなかったかしら」 「え、ええ」 「じゃあ手を使って教えてあげよう。こうすんのよ」 「うええ!?」  初春が叫び声を上げたのは、美琴がそっと初春の後ろから両腕を回して、バイオリンを|掴《つか》んだからだ。まるで幼い子供に偉親が優しく教えるような格好である。  不意の急接近にビキバキに凍りついた初春だが、彼女の背中に密箔している美琴は全く気づいていない。これは単なる偶然なのだが、まるで初春の耳元に息を吹きかけるような姿勢でレクチャーが始まる。 「左手の弦を押さえんのも大切だけど、まずは右手の弓の使い方よね。難しそうに見えるかもしれないけど、弦に対して正しい角度。で|弾《ひ》く事だけ覚えりゃ普通に音が出るから」  初春の手に重ねるように合わせられた美琴のしっとりした手が動く。楽器を調律するような、細い一音だけが長く伸びた。  ちなみに顔を赤くして目をくるくる回している初春は美琴の話などほとんど耳に入っていないが、美琴は美琴で|完壁《かんぺき》に意識していない。|白井《しらい》のような相手ではない限り、基本的に美琴は女の子に優しいのだ。 「左手の使い方によって奏法は変わっていくの。ピッチカート、グリッサンド、フラジョレット。まぁ色々あるんだけど、どれも難しくないし一つずつやってみましょうか。なに、こんなのすぐに慣れちゃうから|大丈夫《だいじようぶ》よ」  |初春《ういはる》の背中に人肌の|温《ぬく》もりが伝わり、耳元には甘い息、両手の指は|緩《ゆる》やかに初春のそれを包み込んでいる。 (こっ、これが|白井《しらい》さんがのめり込んでいるお|嬢様《じょうさま》上下関係の|全貌《ぜんぼう》だったのですね!!)  と、ようやく|美琴《みこと》は初春がガチガチになっている事に気づいた。  |緊張《きんちよう》をほぐすように彼女は言う。 「大丈夫よ。ここは大きな広場でパフォーマンスの規制も特にないから、楽器を使っても人から注意される心配はないし」 「い、いえ、そういう事では……って|見せる行為《パフオーマンス》!? ひゃあ、いつの間にやら周りに人だかりができてるし、何だか注目の的になって———」  初春のギョッとした声は、途中で途切れた。  |何故《なぜ》ならば。  その人混みの中に、壮絶な表情を浮かべている白井|黒子《くろこ》の顔を発見したからだ。 「ぎゃああああああああああああーっ!!」  初春の肩がビクッと|震《ふる》える。  腕に不自然な力が入り、ぎぎぎーっ! と楽器から嫌な音を出してしまう。  それらを眺めていた白井は、人だかりの中心に立っている同僚に向かって念を放つ。 「(……ああそういう事ですの珍しく白井さんの荷物運びの用事を手伝ってあげますよとか|殊勝《しゆしよう》な事を需っていると思ったらこんな裏がありましたのね油断も|隙《すき》もないとはこの事ですわそもそもわたくしだってそんな|美味《おい》しい目に|遭《あ》った事はないというのにお姉様ったらー)」  テレビの放送コードに引っかかりそうな顔だった。  冷や汗をダラダラかいている初春|飾利《かざり》だったが、やっぱり|御坂《みさか》美琴は気づいていない。 「どうしたの?」 「いっ、いえ何でも!!」 「不審者がじっと見てるとか?」 「不審とか言っちゃ駄目ですっ!!」  初春はほとんど涙目で語ったが、美琴は最後まで白井の存在を考えもしなかった。      2  待ち合わせの時間は午後一時だった。 「すでに一時三〇分ってどういう事なのよーっ!!」  第七学区ではそこそこ目立つコンサートホール前の広場で、ポツンと一人で立っていた|御坂美琴《みさかみこと》の絶叫が|響《ひび》き渡る。|上条《かみじよう》は両手を合わせて頭を下げながら全力で駆け寄った。 「やーすみませんでしたーっ!!」  実を言うと|土御門元春《つらみかどもとはる》と食糧問題を巡って軽い|殴《なぐ》り合いになっていたから遅れたのだが、こういう時は下手な言い訳はしないで素直に謝った方が吉である。  美琴は美琴で腕を組み、右足の|爪先《つまさき》でトントンと小さく地面を|叩《たた》きつつ、前髪からパチパチと青白い火花を散らせていた。 「私は|罰《ばつ》ゲームを|賭《か》けた戦いの勝者なのに、どうしてアンタの事情に振り回されなくちゃならないのかしら。かれこれ一時間もボケーッと突っ立たされたさらし者の気持ちがアンタに分かる? 待ってる途中で変な男どもに声かけられるし、いちいち|雷撃《でんげき》の|槍《やり》で|丁寧《ていねい》に追い払うのもとっても面倒臭かったのよー?」 「やーやーっ! 本当にごめんですよ!」  実質的には内容ゼロな会話を続けてやり過ごそうとしていた上条だったが、その時ふと彼は美琴の|台詞《せりふ》に違和感を覚えた。 「って、あれ? 待ち合わせの時間って一時だったよな」 「……アンタ、まさかそれすらスルーしてたとかっていう話じゃないでしょうね」 「そうじゃなくて。一時間前から待ってたって事は、お前って待ち合わせの三〇分も前からここにいたの? そりゃ、まあ、悪かったな」  ビクッ!! と美琴は肩を|震《ふる》わせて目を丸くする。  彼女は組んでいた両手を解いて、わたわたと|掌《てのひら》を振ると、 「違っ……ば、|馬鹿《ばか》ね。|大雑把《おおざつぼ》に言ってるだけで、別にきっちり六〇分前からここにいた訳じゃないわよ。な、何で勝負に勝った私がアンタを待つ側に回ら。なくちゃならないの? 勝手に変な想像膨らましてニヤニヤしないで欲しいわね」 「お前……」  上条は思わずという感じで言葉を出す。  おろおろとしている中学生の女の子の顔を正面から見据えて、 「……そんなに罰ゲームで俺が苦しむ顔を見るのが楽しみだったのか。前々から思ってたけど、お前って実は結構|陰険《いんけん》なんじゃ———」  言い終わる前に美琴の前髪から雷撃の槍が飛んだ。  |上条《かみじよう》はとっさにかざした右手でその|一撃《いちげき》を|弾《はじ》き飛ばす。ズバチィッ!! という強烈な|炸裂音《さくれつおん》を聞く限り、おそらく電圧は億の単位に達しているものと思われる。  彼の右手には|幻想殺し《イマジンブレイカー》という力があり、|魔術《まじゆつ》だろうが超能力だろうがどんな異能の力であっても触れただけで打ち消す効果を持つ。  それでも怖いものは陥いのだ。  上条はぶるぶると|震《ふろ》えながら、一言。 「……、図星?」  もう一度雷撃の|槍《やり》が飛んできた。  ドバン!! という|大音響《だいおんきよう》に、コンサートホール前広場に集まっていたカップル|達《たち》が『おわあ!!』と叫んで逃げ出した。ましてそれをギリギリで受け止めた上条はちょっと涙目である。「何ですか!? |御坂《みさか》さんは一体どのような言葉をご所望なのですか!!」 「良いからさっさと行くわよ」|美琴《みこと》はひくひくと唇の端を震わせ、首をわずかに横に傾けつつボソッと、「……あの時負けた分際で人間様に|楯突《たてつ》いてんじゃないわよクソッたれが」 「この|常盤台《ときわだい》中学のお|嬢様《じようさま》がなんか変ですよ!!」  上条は絶叫したが、何だかとっても不機嫌な美琴はあんまりリアクションをしてくれない、コイツは先が思いやられそうだ、と彼はボリボリと頭を|掻《か》いて、 「で、御坂。具体的に|罰《ばつ》ゲームって何やんの。さっさと行くって言ってたけど、これからどっかに場所を移すのか?」  それを聞いた途端。  う? と美琴はややキョトンとした顔になった。  彼女はこちらを見る。  上条は|呆《あき》れたように、 「……お前、まさか何にも考えてなかったんじゃ」 「かっ、考えてるわよ!! ええと、あの、その、アレよ! |大覇星祭《だいはせいさい》で勝つために使った労力分は返してもらうんだから!!」 「つまり実質的には何にも考えてなかったんだな」 「人の話を聞きなさいよ!!」 「自分から言い出したんだからプランはそっちで考えておけって。っつか、自分が受ける罰ゲームの予定を|俺《おれ》が練る訳ないってのは最初から分かってんだろ。ったく|馬鹿《ばか》だなー」 「……、」  美琴はやや|黙《だま》った、それから改めて上条の顔を見直す。 「えと、御坂———ううっ!?」  いつまでも|沈黙《ちんもく》している彼女に話しかけた上条は、そこで思わず後ろへ下がりかけた。  理由は単純。  お|嬢様《じようさま》の目が据わっていたからだ。  |上条《かみじよう》はとても嫌な予感がした。 「アンタは|罰《ばつ》ゲームで何でも言う事を聞くのよね?」 「いやその! 何でもと言ってもできる範囲というものがありましてね!!」 「聞・く・の・よ・ね?」 「———、」 「ついて来なさい」 「どこへ!?」  上条は絶叫したが、|美琴《みこと》は彼の手をガシィ!! と|掴《つか》んで|離《はな》さない。そのままズルズルとコンサートホール前広場から遠ざかっていく。  彼女は言う。 「|黙《だま》ってついて来なさいっつってんのよ! それが最初の罰ゲーム!!」 「最初!? 罰ゲームって一つじゃねーの!?」  何やら顔が真っ青になっている上条|当麻《とうま》と、お怒りで顔を真っ赤にしている|御坂《みさか》美琴。  |密《ひそ》かに手と手を|繋《つな》いで街を歩いている状態なのだが、幸か不幸か二人とも全く自覚がなかった。      3  |一方通行《アクセラレータ》が見上げているのは、教職員向けに建てられたマンションだ。  学園都市の住居は基本的に学生|寮《りよう》ばかりで、こういったマンションなりアパートなりといった施設は生徒にあまり縁がない。  建物の外観だけを見れば学生寮もマンションもそう大した違いはないのだが、サービス面に細かな違いがあり、それらが積み重なって個性となっていた。なんだかんだ言っても学生寮は『子供を管理する建物』である。寮はセキュリティという大義名分の下、防犯カメラの位置などに|遠慮《えんりよ》がないのが特徴的だが、このマンションにはある程度の配慮がされていた。 「何階だ?」  |一方通行《アクセラレータ》が尋ねると、ここまで案内してきた|黄泉川愛穂《よみかわあいほ》が笑いながら答えた。 「一三階。停電になると階段使うの苦しいじゃんよー」  おー、と背の高い建物を見上げて声を出しているのは|打ち止め《ラストオーダー》だ。彼女は|件《くだん》の一三階を眺めようとしたらしいが、途中で太陽を直接見てしまってくらくらと頭を振った。  その小さな肩を背後から支えたのが|芳川桔梗《よしかわききよう》だ。 「まぁ、一階や二階に比べれば|襲撃《しゆうげき》の機会は減るんじゃないかしら」 「……建物ごと吹っ飛ばされる場合は上の階の方が被害はデケェンだけどな」  |一方通行《アクセラレータ》が|寮《りよう》生活をしていた|頃《ころ》は|流石《さすが》にそこまでやられなかったが、別にこれからもそうだと保障された訳ではない。  |黄泉川《よみかわ》は出入り口のオートロックで使うのだろう、ラミネート加工のカードを取り出しつつ言った。 「さてさて。ちょっと遅めになるけどお昼も食べなくちゃいけないし、とっとと部屋に入るとしようじゃん」  マンションの出入り口は一見開放的なガラスの自動ドアだが、耐爆仕様になっているのが|窺《うかが》える。カードを通すだけのロック機構も、実質的にはカードを握る指先から指紋や生体電気信号パターンなどのデータもやり取りしているようだ。  いわゆる高級マンションなのかもしれない、と思った|一方通行《アクセラレータ》は|胡散臭《うさんくさ》い目で黄泉川を見て、「公務員の給料ってのは削減する方向じゃなかったンかよ?」 「結構安月給でも何とかなるものじゃん。これも建築方面の実地試験を兼ねた『施設』だから、家賃のいくらかは大学側が出してるじゃんよ。代わりに、セキュリティの方式なんかがいきなり変更されたりもするんだけどね」  それに、と黄泉川は付け加えて、 「|警備員《アンチスキル》って基禾的にボランティアだから無給なんだけどさ、あっちこっちで案外善意のサービスしてくれたりするじゃんよ。スーパーのお肉が安くなったりとかね」 「……マンションの家賃と特売日が同じ扱いなのかよ」  そんなこんなで、|一方通行《アクセラレータ》、|打ち止め《ラストオーダー》、黄泉川、|芳川《よしかわ》の四人はマンションの中へと入る。ちなみに|小萌《こもえ》先生は別の用事があるとかで今はここにいない。  おそらくこれも試作品の一つなのだろう、低振動エレベーターに乗って浮遊感も覚えずに一三階まで|辿《たど》り着くと、すぐそこのドアが黄泉川の部屋だった。 「どうぞー」  と黄泉川が玄関のドアを開けると、そこに待っているのは4LDK。どう考えても家族向けで、なおかつ一生をかけてローンを払い続ける規模の部屋だ。実験協力として大学側がある程度の額を免除しているとはいえ、本当に公務員の安月給で何とかなるのだろうか?  ピカピカに|磨《みが》かれたフローリングのリビングは、一人暮らしというイメージに反して|小綺麗《こぎれい》に整えられていた。お酒のビンやグラスなどが棚の中に飾られていて、雑誌や新聞なども専川のラックに収められている、テレビ、エアコン、コンポ、録画デッキなどのリモコンはテープルの角に並べて置いてあった。ソファの上のクッション一つ一つまで|丁寧《ていねい》に位置取りしてある。 |打ち止め《ラストオーダー》は目を丸くして、 「すごいすごい、ホコリもほとんどないかも、ってミサカはミサカはソファの上に飛び込みながら|褒《ほ》めてみたり」  柔らかいソファに沈む|打ち止め《ラストオーダー》の明るい声に反して、|芳川《よしかわ》は|呆《あき》れたように息を|吐《は》いて、 「……|貴女《あなた》、また勤め先で始末書を書かされたのね」  ギクリ、と|黄泉川《よみかわ》のジャージ姿が大きく揺れた。 「あ、あはは。何の事じゃーん?」 「どういう意味? ってミサカはミサカはゴロゴロしながら首を|傾《かし》げてみる」 「彼女は昔っから問題が起きると部屋の整理|整頓《せいとん》を始めるような人間だったというだけよ。しかも後先考えずにとりあえず片付けまくるから、後になって部屋の|鍵《かぎ》が見つからないとかいう事態にもなるの、気をつけておきなさい」 「それが次の仕事先を|一緒《いつしよ》に探してやっている恩人に対する言葉じゃんかよー?」  黄菓川と芳川は、どうも二人で話す時だけは|若干《じやつかん》ながら言動がガキっぽくなるような気がする、と|一方通行《アクセラレータ》は思った。あるいは、それぐらい昔からの付き合いがあるのかもしれない。芳川が面倒見の良い委員長役なら、黄泉川はいつも遅刻ばかりする問題児役だろう。  芳川は、さらにリビングから|繋《つな》がっているキッチンの方へ目をやると、 「その|癖《くせ》が抜けてないって事は、台所の方の癖も相変わらずみたいね」 「おいおーい! 整理整頓の|悪癖《あくへき》は認めるけどそっちを指摘されるのは|癪《しやく》じゃんよーっ! |桔梗《ききよう》だって私が出した料理は|美味《うま》そうにバクバク食ってたじゃんか」 「作り方さえ知らなければね[#「作り方さえ知らなければね」に傍点]」 『?』と顔を見合わせる|一方通行《アクセラレータ》と|打ち止め《ラストオーダー》。黄泉川が『私の腕は日々進歩してるんだ。だったらその目で確かめてみーっ!』と芳川を連れてキッチンへ行ってしまったため、彼らもその後に続く。 『実験の協力』という名目の通り、黄泉川宅のキッチンには様々な調理器具が並んでいた。水蒸気を利用したスチーム電子レンジや、AI搭載の高周波式全自動食器洗い機などなど、何だかメカメカしいものばかり集結している。  が、黄泉川はそういったものをあまり使わないらしい。  そのまま放って置かれていますと宣言しているような未使用感|濫《あふ》れる調理器具よりも|一際《ひときわ》目立つのは、四台五台とゴロゴロ置いてある電子炊飯器だ。シューシューと湯気が出ている所を見ると、|全《すべ》て|稼動《かどう》状態にあるらしい、、  |一方通行《アクセラレータ》はうんざりした顔で、 「……一人一台か。フザけてンのか白米マニア」 「いやいや違う違うそうじゃないじゃんよ」黄泉川は炊飯器を一つずつ指差して、「炊飯器ってのは炊く、煮る、蒸す、焼くと何でもありじゃんか。だから、こっちのがパンを焼いてて、そっちのがシチューを煮込んでて、あっちのが白身魚を蒸してんの」 「……、」  何となく、芳川の言いたい事が分かっていた。  すでにそんな状態を知っている|芳川《よしかわ》は、相変わらずの光景にため息をついて、 「ナマケモノ」 「変な動物みたいな寸評はやめて欲しいじゃんよ。そんなに悪いものかなあ。これ準備さえしておけばボタン一つで勝手に料理してくれるし、火を使わないから昼寝してても全然問題ないっていう優れものなのに……」 「|貴女《あなた》は昔から小麦粉があればどんな残り物でもお好み焼きにできるとか言って大型ホットプレートを買ってきたり、圧力|鍋《なべ》さえあれば一生分の献立を作れるからもう|他《ほか》には何もいらないとか寝言を|喚《わめ》いたり……何にしても極端過ぎるのよ。足して二で割ったら反物質、反応が起きるぐらいにね  「ちやんと味と栄養と満腹感は得ているんだから問題ないじゃんよー。|寸胴鍋《ずんどうなべ》とかフライパンとかあれこれ|揃《そろ》えるのは面倒だし。何でもできる万能の一品が欲しいじゃんか」 「はぁ。貴女は一度、苦労して作る楽しみを覚えた方が良いわね」  と芳川は|諭《さと》すのだが、かく言う彼女の専攻は遺伝子分野であって、作っていたものは二万強ものクローン人間だったりする事を考えると、あんまり笑えないコメントなのだった。      4  |美琴《みこと》はバイオリンをクロークに預けると、上条を地下街へ引きずってきた。  九月一日にイギリスからやってきた|魔術師《まじゆつし》シェリー=クロムウェルと、彼女の操るゴーレム『エリス』によって結構な被害が出た場所だが、今ではもう|破壊《はかい》の|爪痕《つめあと》は見当たらない。砕かれた床や柱は補修され、喫茶店のウィンドウなども新しいものと取り替えられていた。よほど顔を近づけてじっくりと見ない限り、違いは分からないだろう。  こんな急ピッチで工事が行われたのは、その後に控えていた|大覇星祭《だいはせいさい》の|影響《えいきよう》もあったのだろう、開催目的の半分近くが学園都市のイメージアップを図った|誘導宣伝《プロパガンダ》というぐらいなのだから、街が|壊《こわ》れていては話にならないのだ(とは言っても、結局当日に壊されまくったが)。  地下とはいうが暗いイメージはなく、ピカピカに|磨《みが》き上げられた床や壁を、蛍光灯や発光ダイオードを束ねたLED電球が真昼のように照らし出している、。通路に面した喫茶店や洋服店などはガラスをふんだんに利用していて、実際の而積以上の開放感を演出していた。  |上条《かみじよう》は周囲を見回して、 「おー。そろそろ冷房も弱くなってきてんなー」 「あと二週間もしたら暖房に切り替わるでしょうよ」美琴はてくてくと前を歩きながら、「あったあった。こっちよ」  彼女は細い指で店舗の一つを指差す。  ここは地下という特性を生かして、ゲームセンターやカラオケボックス、ライブハウスなど|騒音《そうおん》問題の出てきそうな娯楽施設が多。い。なので|上条《かみじよう》は『超難解なゲームをワンコインでクリアせよ。さもなくば|土下座《どげざ》』とかとんでもない要求が出てくるかと思っていたのだが……そういった上条の予測は大きく外れた。  携帯電話のサービス店である。  サイズとしてはコンビニの半分ぐらいしかなく、大きなガラスウィンドウ越しには横一線に並べられたカウンターと|椅子《いす》、後はマガジンラックに収まった|薄《うす》っぺらい機種カタログぐらいしかない。入口の前に置いてある宣伝用の縦長ののぼりには大手メーカーの物と学園都市オリジナルの物が分けてあった。  学園都市は、外に比べると科学技術が二、三〇年進んでいるとされている。外と中、互いの機種も一長一短ではあるのだが、|緊急時《きんきゆうじ》にはどちらのサービスが先に復帰するか分からなかったりするので、何を選ぶかで一週間以上悩みまくる学生もいるそうだ。  |美琴《みこと》はサービス店へと足を向けながら、 「アンタ、『ハンディアンテナサービス』って知ってる?」 「ん? あれだっけ。個人個人の携帯電話がアンテナ基地代わりになるってサービスだよな。近くにアンテナ基地がなくても通話できるようになるとかってヤツ」  ようは、街中で携帯電話を持ち歩いている人全員が中継アンテナになるのだ。例えば上条の近くにアンテナ基地がなくても、人物一、人物二、人物三……と中継アンテナを|繋《つな》いでいき、最終的に人物Xの近くに本来の設概型アンテナ基地があればそのまま通話ができる。実際には複数の人問を伝い、|網《あみ》の目のように通信ルートを構築するので、そうそう簡単に断線する事もないそうだ。元々は|震災下《しんさいか》で地上の通信基地が全滅した際、数の少ない飛行船に設罵型アンテナを付けて飛ばし、臨峙の空中通信|網《ざり つ》を整備するために開発されたものらしい。そのため、音質などにあまり気を配っていない節もあるのだそうだ。  プラスの話題としては、大学側がテスト運用として補助金を出すため、サービス料金がメチャクチャ安くなるとかいう話も出ている。 「私さ、あれに登録してみようかと思ってんのよ」 「えー。でもあの激マイナーな制度って、利用者みんなが携帯電話の電源を常にオンにして持ち歩いてないと中継アンテナ効果は期待できないんだよな。そのせいでバッテリーの減りがメチャクチャ早いんじゃなかったっけ? それ以前にサービス加入人数が少ないと何の意味もないって話じゃ……」 「だからそのサービスを普及するためにも加入するっつってんでしょうが。ペア契約にしちやえば『ハンディアンテナ』だけじゃなくて、その他の通話料金も随分安くなるみたいだしね」 「ペア契約って……あれだよな。確かあらかじめ登録しておいた二人の間だけ、通話料とかパケット代がかからないとかっていうヤツ?」 「そうそう。で、さらに今『ハンディアンテナサービス』とペア契約をセットで受けるとラヴリーミトンのゲコ太ストラップがもらえるのね。カエルのマスコット」 「……、オイ」 「即ゲット。だから|一緒《いつしよ》に契約しなさい」 「ようはストラップ目当てかよ!? 機種変するとかって言うなら絶対にアウトだぞ! こっちはボロボロケータイをあと半年は使い続けるつもりでいるんだ!!」  そして|上条《かみじよう》はブレザー姿の|美琴《みこと》が持っている学生|鞄《かばん》を指差す。そこにぶら下がった緑色のカエルのマスコットを|睨《にら》みつつ、 「大体カエルならもう持ってんだろ!」 「ゲコ太とこの子を一緒にすんなッ!!」ぎゃーっ!! と美琴は叫び、「ゲコ太はこの子の|隣《となり》に住んでるおじさんで乗り物に弱くてゲコゲコしちゃうからゲコ太って呼ばれてんのよ! こんな簡単な違いが分からないほどアンタおっさんだった訳!?」 「……そのゲコ太おじさんのキャラ付けは本当にラヴリーなのか?」  上条はげっそりした口調で|眩《つぶや》いたが、美琴は旬の話題についてこれない年輩者を|蔑《さげす》んだ目で見ているだけだ。どうも少し幻滅しているらしい。 「ふん。機種変の心配ならしなくても良いわ。『ハンディアンテナ』は元々本体を換えるんじゃなくて追加拡張チップを差し込むだけでオッケーって話だし、ペア契約の方もあそこの会社のサービスなら全部対応してるから、機種変が必要なんて事はないと思うわ。アンタのケータイは別にいじらなくても構わないはずだけど」 「何だ。ようはこっちの番号とアドレスを書類に書き込めば良いだけじゃんか」 「そりゃそうなんだけど」美琴は学生鞄についている小さなカエルを指先でムミムミ押しながら、「一緒にお店に行ったりいっぱい書類を書いたり何時間も待たされたりするからさー、その辺の|融通《ゆうずう》が|利《き》く人じゃないと協力してもらうのは難しいのよね。ま、半日はかからないだろうし、ちょっと我慢してもらうわよ」  んー、と上条はお店ののぼり[#「のぼり」に傍点]を見ながら少し考え事をする。  男女のペアじゃないと|駄目《だめ》だからここまで呼ばれたのか、と思う一方、 「? どうしたのよ」 「いや登録に付き合うだけなら良いんだけどな。このペア契約ってさ、そもそも普通は恋人とかで交わすものなんじゃねーの? 男女限定とか書いてあるし」 「……ッ!?」  ビクゥ!! と美琴の肩が大きく動いた。  彼女は鞄についているカエルマスコットをムミューッ!! と握りつつ、 「い、いいいいや|馬鹿《ばか》違うわよナニ口走ってんのアンタ! べっ、別に男女って書いてあるだけで恋人同士じゃなきゃいけないとかって決まりはないじゃないそうよ例えば夫婦だって問題ないでしょうが!!」 「もしもし。恋人よりも重たくなってますよ|御坂《みさか》さん」  冷静に突っ込んだつもりだったが直後に|雷撃《らいげき》の|槍《やり》が飛んできた。|上条《かみじよう》は|美琴《みこと》の前髪から飛んできた一撃を慌てて右手で|弾《はじ》き飛ばす。 「さっきから何なんだお前!!」 「あ、アンタの方が訳分かんないじゃない! ほら、良いからさっさと済ませるわよ!!」 「ええっ、本当に行くのかよ!?」 「良いから、|罰《ばつ》ゲームだっつってんだから文句を言わずについて来なさいッ!!」  美琴は上条の腕を|掴《つか》んでズルズルとサービス店の中に入る。  地下街通路に比べると、店内はもう少し冷房が|丁寧《ていねい》だった。意味不明な表現だなと上条は思うが、何というか送風ルートなどを十分に計算してあるため、肌寒さは感じないのに汗は引いていくという絶妙な加減なのだ。  カウンターの前に座っていた店員のお姉さんは、引きずられる上条と引きずってきた美琴の形相にやや笑みが崩れかけていたが、それでも対応マニュアルは忘れなかった。  この馬鹿とペア契約を登録したい、ゲコ太のストラップはまだ余っているかなどのやり取りを行った後に、店員さんはたくさんの書類をカウンターの上に|揃《そろ》えつつこう言った。 「書類の作成にあたって写真が必要なんですが、お持ちでしようか」  ん? と美琴は目を丸くして、さらに尋ねる。 「そこらの証明写真用のボックスで|大丈夫《だいじようぶ》ですか? あと、写真の枚数とかサイズの指定とかってあるんですか」 「いえいえ。そんなにお堅いものではなくてですね」店員さんはニコニコ笑って、「これはペア契約でして、登録に当たって『このお二方はペアである』事を証明して欲しいだけなんです。なので、お二人がツーショットで写っているものであれば、携帯電話のカメラでも大丈夫です。今ならペアの写真立て型の|充電器《クレイドル》を用意するのでそちらにも使用させていただきます。四社共通の規格のものですので、形式番号は気にせずにご利用できますよ」  ぶっ!? と美琴は危うく噴き出しかけた。 「……つ、つーしょっと?」 「あら。そういうのはあまりやられませんか? なら、この機会にぜひいかがでしよう。登録完了の二〇分前に写真をお渡ししていただければ結構ですので、待ち時間などを利用して撮影していただけると助かります」  そんなこんなでいっぱいある書類にボールペンを走らせると、上条と美琴は一度サービス店の外へ出た。問題の写真撮影である。  |上条《かみじよう》は|魔術師《まじゆつし》との戦いで傷ついたりアドリア海に落ちたりした、割と頑丈な携帯電話を取り出すと、 「証明写真のボックス探すの面倒だし、携帯のカメラでさっさと済ますか。|御坂《みさか》、お前って|他《ほか》にデジカメとか持ってないよな」 「え? ええ、まぁ、私の携帯電話はカウンターに預けちゃったし」  どこか上の空な感じの|美琴《みこと》だったが、上条は気づかない。画面を見ながら親指でボタンを操作してカメラのモードに切り替えると、腕を伸ばしてできるだけ遠くに携帯電話を押しやる。  彼は画面を見ながら、 「じゃあ撮るぞー……って」 「な、何よ?」  うろたえた声を出す美琴に、上条は嫌そうな顔をした。  いつの間にか、美琴が|若干《じやつかん》遠くにいる。さっさとパノラマモードにでもして写したら? 私つまらないんだけど、とでも言いたげな感じである。  美琴の逃げ腰な様子に、上条は肩を落として、 「……一応確認するけどさ、これってお前から言い出した事だよな」 「わっ、分かってるわよ!!」  実は美琴の顔はちょっと赤くなって学生|鞄《かばん》を握る両手がそわそわと動いていたのだが、上条にはあんまり好意的に映らなかったようだ。  美琴は上条に近づくか|離《はな》れるかを|逡巡《しゆんじゆん》した後、やがてヤケクソ気味に、 「〜〜ッ! 待ってなさいよゲコ太!!」  ぐいっと上条の肩にぶつかるように、彼女は一息で急接近した。肩と肩を|擦《こす》り、美琴は首をわずかに|傾《かし》げて、上条の肩に頭を置いた。携帯電話の。画面の中にキチンと二人の顔が収まる。  一方、何もそこまで近づかなくても良いのでは、と患い始めた上条は、こちらもこちらで美琴の髪の|匂《にお》いなどに少し体を|強張《こわば》らせつつ、 「と、撮るぞー」 「オッケー、いつでもきやがれ!!」  ばちーん、とわざとらしい電子音と共にシャッターが切られる。  上条は遠ざけていた携帯電話を近くへ戻し、今撮った写真を表示してみた。  ……。 「顔が引きつってんぞ御坂」 「何でアンタは私から遠ざかるように目を|逸《そ》らしてんのよ」  上条と美琴は顔を見合わせて、 「これはペアではないと思う」 「も、もう一回撮ってみましょうか」  ばちーん、という電子音が再び鳴る。  |上条《かみじよう》と|美琴《みこと》は山面を|覗《のぞ》き込んで、 「だから何で表情が固まってんだよ|御坂《みさか》!!」 「アンタはどうして重心を私から遠ざける訳!?」  ふーっ!! と上条と美琴はおでことおでこがぶつかるぐらいの|距離《きより》で|睨《にら》み合っていたが、このままではいつまで|経《た》っても終わらない、最悪、『申し訳ありません。写真がないと登録はキヤンセルされちゃうんですよー』とかいう展開になったら今までの時間と労力が|全《すべ》て|無駄《むだ》になる。上条|達《たち》も困るが店員さんだっていい迷惑だろう。  なので、上条はややヤケクソになって、 「とにかくツーショットってな恋人っぽい感じで撮りゃ良いんだろ! 御坂こっち来い! こうしてやるーっ!!」 「え、なに? きゃあ!!」  ガシイッ!! と細い肩に腕を回された美琴の顔が急激に真っ赤に染まっていく。  自暴自棄ハイな上条はそういう変化に気づかずに、 「笑え御坂! これ以上いちいち撮り直すのは面倒だ! ようは書類を作れりゃ何でも良いんだろ! 割り切っちまえば問題ねえよこんなの!!」 「え? ま、まぁ、そうよね。あはは! 別にそれっぽく写真を撮るだけじゃない。そうよね そうそう写真を撮るだけ! ようし行っくわよーっ!!」  割り切る、という言葉をちょっと気にしつつ、|美琴《みこと》はヤケクソというより顔の赤さを悟られるのが嫌で無理矢理に気分をハイに変えている。美琴の肩に腕を回す|上条《かみじよう》に合わせるように、自分の腕を上条の腰に回して|距離《きより》を縮めていく。二人……というより美琴と|他《ほか》一名を眺める通行人が、『おおっ』と少し|羨《うらや》ましそうな目で見ているがハイになっている彼女|達《たち》には見えていない。  上条は手の中の携帯電話を遠ざけて、 「撮るぞーっ!」 「イエス!!」  ばちーん、という白々しい電子音が鳴る前に、  |空間移動《テレポート》で急速接近した|白井黒子《しらいくろこ》が|上条当麻《とうま》の後頭部にドロップキックを|喰《く》らわせた。  ゴキイ!! という|轟音《ごうおん》と共に上条の手から携帯電話が|離《はな》れ、彼の体が前方へ吹き飛び、宙に浮いている携帯電話が一足遅れてシャッターを切る。  床に転がる携帯電話の画面に映っているのは、ツーショットのつもりが高速でブレる上条の頭とびっくりした美琴と白井のパンツという極限のスリーショットになっていた。  ごろんごろんと転がった上条は、床に突っ伏したまま、 「い、 一体何が!?」 「ひ、人がちよっと目を離した|隙《すき》にナニをやっているんですのー……?」  ドロップキック状態から着地して、平べったい声を出しているツインテールの少女、白井黒子はちょうど美琴の|隣《となり》を陣取っていた。ここがわたくしの居場所である、と言外に語っている感じだった。 「こっちが半日授業の後も|風紀委員《ジヤツジメント》として|初春《ういはる》から雑用を押し付けられて、それをようやく終えてお姉様の元へ行ったら初春のバイオリンアタックが待っていて、その後も迫加の仕事を押し付けられて色々頑張ってここまでやってきたっていうのに。……ったく、|新参者《しんざんもの》の|奴隷《どれい》と思って甘く見ていたのが間違いでしたの。それにしても、さっきからお姉様はあちこちで|大盤《おおばん》|振《ぶ》る|舞《ま》いなさって……」 「ばっ、勘違いしてんじゃないわよ黒子!」美琴はわたわたと手を動かし、「私だって好きでやってんじゃないんだってば! ただ私はゲコ太ストラップが欲しいからペア契約を|頼《たの》んで、そこで必要って言われた写真を撮ってただけなのよ!!」  その弁解は白井に対するというより自分に言い聞かせているようにも受け取れる、どっちみち上条は|蹴《け》られ損の頼まれ損なのだった、  まぁ、|罰《ばつ》ゲームなんてこんなものだ。  |白井《しらい》は白井で、|美琴《みこと》の告げた一言にショックを隠しきれない様子で、 「だっ! だったらこんな殿方に頭を下げずとも、わたくしとお姉様が二人でペアになれば何の問題もありませんの! さぁ撮りますわよバシバシいきますわよここらで一生の思い出作っちゃいますわよーっ!!」  |一瞬《いつしゆん》で|沸騰《ふつとう》するほどのハイに|陥《おちい》った自井に美琴はちょっと引きつった表情になったが、床に伏した|上条《かみじよう》はふと顔を上げて、 「え? それでオッケーなら|俺《おれ》はもう帰っちゃって良い?」 「男女のペアじゃなきゃ|駄目《だめ》だっつってんでしょ!!」  素の疑問に対して、美琴は精一杯の|雷撃《らいげき》の|槍《やり》を|叩《たた》きつけた。      5  |一方通行《アクセラレータ》は寝転がっていたソファの上でうっすらと目を開けた。  小さく舌打ちする。 「……寝ちまったか」  時計を見ると、ほんの一五分ぐらいのものだ。  テレビが|点《つ》けっ放しになっていたため、おそらくそちらからの音で目が覚めたのだろう。ここ最近、眠りが浅いというかふとした刺激で簡単に起きる|癖《くせ》がついた気がする。  |誰《だれ》もいない広いリビングで、|一方通行《アクセラレータ》はわずかに首を横に振った。 (気が抜け過ぎだ、クソ|馬鹿《ばか》)  頭の中に|滲《にじ》むのは、|忌《いまいま》々しげな自分の声だ。  元々、|一方通行《アクセラレータ》は自分のペースで睡眠を取る人間だ。耳元で目覚まし時計が鳴ろうが、クソガキが|喚《わめ》き散らそうが、腹の上で爆弾が爆発しようが、大変|健《すこ》やかに眠り続けるぐらいである。  それは彼の能力が『あらゆるベクトルを変更する』ものだからで、通常は酸索や重力など必要最低限のものを除く|全《すべ》てを『反射』させているからだ。  この状態の|一方通行《アクセラレータ》は、たとえ核爆弾の直撃を受けても傷一つつかない。  だからこそ『極めて敵が多い』|一方通行《アクセラレータ》は、最も無防備と言える睡眠状態に入る事にこれまで|躊躇《ちゆうちよ》はしなかった、  しかしそれも、彼の能力が。力全だった時の話だ。  |一方通行《アクセラレータ》は首筋に手を当てる。  そこにあるのは黒っぽいチョーカー……に見えるが、内側には電極が取り付けられている。世界中に散らばっている一万人弱もの|妹達《シスターズ》の脳とリンクして、|莫大《ばくだい》な並列演算機能を彼に貸し与えるデバイスだ。  |一方通行《アクセラレータ》の脳は八月三一日に傷つけられている。  この演算補助デバイスがあって、彼は能力者として初めて人並みに生活できる。通常モード———歩行、会話、数を数える事などなら四八時間程度。|保《らり》つ。しかし、能力使用モード———ベクトル制御能力をフルで発動させると、|膨大《ぽうだい》な計算量を|瞬時《しゆんじ》にこなす必要があるため一五分程度でバッテリーが切れてしまう、かなり制限のきついアイテムだ。  つまり、今の彼の安全時間は、実質的に一五分間しかない。  その一五分間を除くと、四八時間に一度充電しなければまともに歩く事もできない弱者なのだ。  そんな状態なので、能力というシェルターの中で|惰眠《だみん》を|貧《むさぼ》る|贅沢《ぜいたく》などもうできないのだ。 「……、」 —|一方通行《アクセラレータ》は|胡乱《うろん》な|瞳《ひとみ》で、|薄型《うすがた》の巨大テレビに目をやった。  |馬鹿《ばか》高い契約料を誇るケーブルチャンネルでは、午後一番のトーク番組が流れていた。テレビの下に置かれたデッキが録画モードになっている所を見ると、家主の|黄泉川《よみかわ》は今回のゲストで出演している芸能人のファンなのかもしれない。 『という訳で|一一一《ひとついはじめ》さんはこのたび主演として映画の方にも参加されましたが、いかがですか。 |向《かいが》こうの|作《い》品で口本人が主演という事自体もかなり珍しいと思うのですが、その辺りには特別な心境などは?』  小さいテーブルを挟んで司会者とゲストが向き合っている。  |一方通行《アクセラレータ》は画面を眺めながら、チョーカー型電極の横についているスイッチを、  切る[#「切る」に傍点]。 『まぁ[#「まぁ」に傍点]。プロットの横の最も特有の指示が日本人として適切に作用しています[#「プロットの横の最も特有の指示が日本人として適切に作用しています」に傍点]。彼はEVENを持っていませんか[#「彼はEVENを持っていませんか」に傍点]、そして他の人達が今日日本人として非常に適切に理解しましたか[#「そして他の人達が今日日本人として非常に適切に理解しましたか」に傍点]?』  言葉がグチャグチャになった[#「言葉がグチャグチャになった」に傍点]。  実際にはゲストが『そうですね。監督からの一番持徴的な指示は日本人らしく振る舞ってくれというものです。日本人らしくなんて|今日《きよう》び僕|達《たち》だって分からないじゃないですか』と言っているのだが、|一方通行《アクセラレータ》の頭は耳に入った会話内容を処理できなくなっている。  彼の体のバランスが、ふらりと崩れる。  倒れる、と感じる間もなくソファに体が沈んだ。録画デッキにあるデジタルの数字を見ても何を指しているのか判断できない。頭の歯車が抜け落ちていた。まるで一〇〇時間ぐらい不眠不休を続けさせられた後に国家試験の問題を眺めているような感じだ。 (っつ……)  |一方通行《アクセラレータ》は首筋に手をやる。  やたらと全身がふらふら揺れ、小さなスイッチを切り替える事すら何秒もかかってしまう。何度もガチガチと失敗し、ようやく親指の腹がスイッチの突起に触れる。  カチン、という小さな音。  通常モードに切り替わり、|一方通行《アクセラレータ》はようやく一般の世界へ戻ってくる。 『言葉自体はネイティブな米国語を使わなくてはならないので、その他の仕草や作法、態度だけで「これが日本人だ」と示せと言われて、今回は改めて考えさせられましたよ』  横倒しになった視界の中、芸能人が白々しい自慢話を続けている。  かつては学園都市最強の能力者と言われても、今となってはこのザマだ。  |打ち止め《ラストオーダー》を始めとする|妹達《シスターズ》の代理演算を借りなければ能力の使用どころか、普通の会話や歩行、数を数える事すらできなくなる。その代理演算には首のチョーカー型電極が必須で、バッテリーは最大で四八峙間ほど使用可能だ。  さらに電力が底を尽きたり、地下深くへ行ったり妨轡電波を撒き散らされたりすると代理演算の利用もできなくなる。  通常モードだけでこれだ。  これが能力使用モードになると|莫大《ばくだい》な情報を処理する必要があるため、制限時間が一気に一五分弱にまで引き下がる。|医療《いりよう》機器としての使用が大前提のため、超能力戦という軍事レベルの使用環境に耐えられるように作られていないのだ。バッテリーもカエル顔の医者が作った特殊なものであり、替えは|利《き》かないし市販の電池などでも代用できない。大量のバッテリーを用意して制限時間ごとに交換していく……という方法も取れない。  つまり、|正真正銘《しようしんしようめい》一五分がタイムリミットなのだ。  ただ、このモードになると|杖《つえ》をつく必要もなくなるのだが。 (こんなクソルールをいちいち一つずつ覚えていくのも画倒臭せェ。ったくシンデレラじゃあるまいし、時間制限つきの最強なンざ笑い話にもならねェぞ) 「……、」  シャワーでも浴びるか、と|一方通行《アクセラレータ》はソファから立ち上がる。  気分を変えたい。  万年ノーガードの|打ち止め《ラストオーダー》は当然として、|黄泉川《よみかわ》や|芳川《よしかわ》も甘すぎだと|一方通行《アクセラレータ》は思う。どいつもこいつも学園都市最強の能力者というものを信用しすぎている。そういった|想《おも》いに必ず|応《こた》えられるなど|誰《だれ》が言った。黄泉川や芳川はその恐ろしさの方が理解できていない、|一方通行《アクセラレータ》は何かを|破壊《はかい》する事に手慣れていても、何かを守る事には全く慣れていない。、防御のために振るった|一撃《いちげき》が、周囲の|全《すべ》てを巻き込む大惨事へと発展する危険性だって十分に考えられる。 (そォいや、部屋には誰もいねェが。あの|馬鹿《ばか》どもは買い物か?)  |一方通行《アクセラレータ》は適当に考えながら脱衣所へ|繋《つな》がるドアを開ける。  そこに。  バスタオルで茶色い髪をグシャグシャと|拭《ふ》かれている全裸の|打ち止め《ラストオーダー》と、  左右からグチャグチャに拭いている裸の|黄泉川《よみかわ》と|芳川《よしかわ》がいた。  ビクゥ!! と一番初めに反応したのは|打ち止め《ラストオーダー》だ。 「どっ、どうして前触れもなく突発的に出現してるのあなたはーっ! ってミサカはミサカはバスタオルに手を伸ばすけど届いてくれなかったり!!」  ぎやーぎゃー|騒《さわ》ぐ|打ち止め《ラストオーダー》を無視して、|一方通行《アクセラレータ》はキョトンとしている黄泉川や芳川へ目を向ける。 「……何でカギかけねンだよオマエら」 「あー悪い悪い。今まで一人暮らしだったからその機能をすっかり忘れてたじゃんよ。めんごめんごー」 「|愛穂《あいほ》。とりあえずで良いから体に巻いておきなさい」  先にタオルで身体を隠していた芳川がため息混じりでバスタオルを渡して、黄泉川が面倒臭そうにそれを体に巻いていく。隠れるには隠れているが、|太股《ふともも》はミニスカートどころの|露出度《ろしゆつど》ではないし、水分を|拭《ぬぐ》っていなかったせいか体のラインもやたらくっきりと浮かび上がっていた。 (……どォなってンだこりゃ)  こんなのは|一方通行《アクセラレータ》の生活パターンではない。というか、ドアを開けるたびに女の着替えだの何だのに遭遇するような人間がいたら腹を抱えて笑っているだろう。  と、自分の分のタオルが足りない事に気づいた|打ち止め《ラストオーダー》は慌てて芳川の体の陰に隠れつつ、ちょっと涙日で、 「……二人とも騒ぎもしないで|億劫《おつくう》そうにバスタオルの受け渡しをしているだけなのはどうして? って、ミサカはミサカは素朴な疑問を投げかけてみる」  あん? と黄泉川は|怪詩《けげん》な目を|打ち止め《ラストオーダー》へ向けて、 「理由とか聞かれてもなあ……あの子は子供で、私|達《たち》は大人だからじゃんよ」 「そこを全く気にしないのはオトナというよりオバハンっぽいかも、ってミサカはミサ痛たたたたたッ!! いきなり二人してミサカの頭をグリグリしないで! ってミサカはミサカは|毅然《きぜん》な態度で抗議してみたり!!」  芳川は|打ち止め《ラストオーダー》を頭上から|攻撃《こうげき》しつつ、 「オバハンじゃなくて、オトナだからよ?」 「そうやって子供相手にすぐムキになる所のどこが大人なんだとミサカは痛ぁぁいーっ!! そこのあなたヘルプそしてバスタオルもちょうだい! ってミサカはミサカは上目遣いで保護欲を|煽《あお》ってみる!!」  小さなクソガキが何か|喚《わめ》いていたが|一方通行《アクセラレータ》は無視して脱衣所のドアを閉めた。  ため息を一つ。 「……だからちっとは警戒しろっつってンだろォが」      6 「という事があったの、ってミサカはミサカは事後報告してみたり」  |打ち止め《ラストオーダー》がいるのは、|黄泉川《よみかわ》のマンションを出たすぐそこの通りだ。彼女は空色のキャミソールの上から男物のワイシャツに腕を通して羽織っている。  そんな小さな少女が話しかけているのは、|打ち止め《ラストオーダー》をそのまま大きくしたような少女、|検体番号《シリアルナンバー》一〇〇三二号、|御坂《みさか》妹だ。  御坂妹は|常盤台《ときわだい》中学の冬服である、ベージュ系のブレザーと紺系チェック柄のプリーツスカートを|穿《は》いている。彼女|達《たち》のオリジナルである御坂|美琴《みこと》と同じ格好をしているのは『実験』の都合上の問題だったのだが、それが終わった後も風習だけは残っている状態だ。  オリジナルと異なる点は、御坂妹のおでこに引っかかっている大型の電子ゴーグルだ。暗視装置のようなフォルムだが、こちらは肉眼では見えない磁力線や電子線などの情報を視覚化するためのものである。  御坂妹は、感情の読めない|瞳《ひとみ》で|打ち止め《ラストオーダー》をじーっと眺める。 「その報告ならばすでにネットワークを介して全ミサカへ配信されているためわざわざ口頭で言い直す必要もないのでは? とミサカは当然の疑問に対して確認作業を行います」 「たまには通常五感を介したコミュニケーションを取って時計の誤差みたいなのを補正する必要があるの! ってミサカはミサカはもっともらしい理屈をつけてみたり!」 「|上位個体《あなた》が語るのなら納得しましょう、とミサカは|呆《あき》れ顔で上司の|愚痴《ぐち》を聞き流します。ミサカのリハビリの役にも立つかもしれませんし、とミサカは無理矢理に自分を納得させる材料を探してみます」  本人は呆れ顔と言っているが実質的に顔の表情は全く動いていない。|打ち止め《ラストオーダー》はバタバタと手足を振っているが、そのペースに呑まれる事もない。  御坂妹は極めてマイペースに目の前のマンションを見上げて、 「しかしこの辺りをフラフラ歩いていたらオートロックの|締《し》め出しを食らって|呆然《ぼうぜん》と立っていたなどとは間抜けな状況ですね、とミサカはこれまでの状況を語ってみます、ミサカが偶然この通りを散歩していなかったらあなたはずっと一人ぼっちだったのでしょうか、とミサカは上位個体の個人的スペックに疑問を抱きつつ腹の内でこっそり笑ってみせます」 「悪いのはミサカじゃなくてあの|融通《ゆうずう》の|利《き》かないオートロックなんだもん! ってミサカはミサカは|憤慨《ふんがい》してみる! 電子|錠《じよう》のくせにミサカの力が効かなくてピーピー|音《おと》が鳴るから|轡陶《うつとう》しい! ってミサカはミサカは両手をバタバタ振ってストレスを発散してみたり!!」 「|発電系能力者《エレクトロマスター》の力を受けてもびくともしないというのは|褒《ほ》めるべき事柄ではないでしようか、とミサカは客観的評価を下してみます」  ううー、と|打ち止め《ラストオーダー》は食い下がる犬っぽい|叫《うめ》き声を出す。  しかしこの小さな上位個体は、世の中に対する経験が浅いからか、割と簡単にコロコロ興味が変わっていくらしく、 「ところで前から気になってたんだけど、ってミサカはミサカはあなたのおでこを指差してみる」 「? ミサカのおでこは一般的なサイズでありミサカはおでこキャラではありませんが、とミサカは自分の額に手を当てて確かめてみます」 「そうじゃなくてね、そのゴーグル、ってミサカはミサカは再指摘してみたり」  |打ち止め《ラストオーダー》が注目しているのは、|御坂《みさか》妹が装備している電子ゴーグルだった。  小さな少女は|怪誹《けげん》な顔で、 「あのね、|他《ほか》のミサカはみんなそれを持ってるのに、ミサカだけはそのゴーグルを持ってないの、ってミサカはミサカは|羨望《せんぼう》の|眼差《まなざ》しを送ってみたり」  おや、と御坂妹は改めて自分のおでこに引っかかったゴーグルを指先で触り、それから自分を見上げてくる|打ち止め《ラストオーダー》の顔を見て、彼女のおでこにはゴーグルが存在しない事を確認すると、「あのミサカはあのミサカ、このミサカはこのミサカです、とミサカは暗に|諦《あきら》めうと告げてみます」 「そんな『他の家と我が家は勝手が違うのよ』的な|台詞《せりふ》では納得がいかない! ってミサカはミサカは即座に抗議してみる1 大体その理論だとミサカだけがよその家の子になってるし、ってミサカはミサカはさらに重大な問題を取り上げてみたり!!」  ミサカだらけの会話の中、ぶーぶーっ! と|喚《わめ》きながら|打ち止め《ラストオーダー》は御坂妹のスカートを|掴《つか》むと、それをバッサバッサと激しくめくって|扇《あお》ぎながら、 「欲ーしーいーミサカもそれが欲しいのーっ! ってミサカはミサカは小さな外見を最大限に利用した|駄《だだ》々っ|子《こ》交渉術を行使してみたり!!」 「|可愛《かわい》らしい仕草を|狙《ねら》っているのでしょうが同性がそれを見ても腹が立つだけなので逆効果です、とミサカは|懇切丁寧《こんせつていねい》に解説してみます」  それ以前にさっきから御坂妹のスカートが全開となって今日の気分で|穿《は》いてみた両サイドをリボンで|縛《しば》って留める方式の下着が金部見えてしまっているのだが、そちらの方は全く気に留めていないようだった。  変わらぬ表情に|打ち止め《ラストオーダー》はムムッと|捻《うな》ってから、 「ねえ一〇〇三二号、ちょっとお|辞儀《じぎ》してみて、ってミサカはミサカはお願いしてみたり」 「?」  御坂妹は怪誹に思いながらも、とりあえず上位個体の指示に従ってみたが、 「ハハハ|隙《すき》ありーっ! ってミサカはミサカは強奪作戦に成功してみたり!!」  下げた頭から勢い良くゴーグルが奪われた。  |御坂《みさか》妹が何か言う前に、|打ち止め《ラストオーダー》はやたらハイになった笑顔のまま背を向けて、 「こんな初歩的な手に引っかかるとは個休全体のルーチンをチェックし直す必要があるかも、ってミサカはミサカは捨て|台詞《ぜりふ》を吐いてみたり! やーい、悔しかったら取り返してみろー、ってミサカはミサカは猛ダッシュしつつ勝利の|余韻《よいん》に浸ってみる!!」  ドダダダダーッ!! と。  外見に似合わずパワフルな走りでどこかへ消えてしまった。 「……、」  御坂妹はしばらく|呆然《ぼうぜん》と|打ち止め《ラストオーダー》の消えた方角を眺めていたが、 「上位個体からの|直接《ストレート》オーダーとなれば仕方がありません、とミサカは大変不本意ではありますが学生|鞄《かばん》の中からサブマシンガンとゴム弾を取り出しつつ状況を確認します」  ジャギッ!! と|不穏《ふおん》な金属音が平穏な街中に|響《ひび》き渡り、 「演習[#「演習」に傍点]とはいえ相手は上位個体、下位個体であるミサカが本気で挑んだとしても大人げない行動ではありません、とミサカは当然の見解を述べてみます。これは決してミサカがキレているのではなく、論理に基づく適正な判断を行っているに過ぎないのです、とミサカは実銃片手に全力疾走しながら己の思考能力の冷静沈着ぶりを自画自賛してみます」  無表情っぽくはあるが良く見ると目元がピクピクと|震《ふる》えている|御坂《みさか》妹は追跡を開始。  一方、その心の動きも正確に|掴《つか》んでいる|打ち止め《ラストオーダー》は|打ち止め《ラストオーダー》で、|妹達《シスターズ》の脳波と微弱な電磁波が形作るミサカネットワーク内で挑発の言葉を吐きながら路地裏を走り回っていた。 『ハッハーッ! ただのミサカがこのミサカに勝てる訳がないだろー、ってミサカはミサカは平民どもに勝利の高笑いをしてみたり!』 『革命の時は来ました、とミサカ一〇〇三二号はここに宣言します』 [#改ページ]    行間 ニ  ロンドンのランベス区には『|必要悪の教会《ネセサリウス》』の女子|寮《りよう》のようなものがある。  見た目で言うなら通りに面した石造りの良くあるアパートメントとそれほど差異はない。木造と違って石造の建築物は見た目で年代を測るのが難しく、この建物に一世紀単位の歴史があると言われても想像はつかないだろう、それほど|綺麗《きれい》に|磨《みが》かれて、|丁寧《ていねい》に使われている施設だ。 |最大主教《アークビシヨツプ》の邸宅であるランベス宮のような|要塞化《ようさいか》は進んでおらず、逆に『いつ|壊《こわ》されてもスペアの|利《き》く』建物として用意されたものだが、今日まで|全壊《ぜんかい》した記録はない。こちらの|素性《すじよう》を|掴《つか》んだ敵対する|魔術《まじゆつ》結社などから|攻撃《こうげき》を受けてもおかしくなさそうなのだが……実はここを|狙《ねら》う危険分子は|全《すぺ》て計画が実行に移される前に|葬《ほうむ》られてきただけだ。それが『|必要悪の教会《ネセサリウス》』の戦績を暗に示していた。つまり分かりやすいエサなのである。  さて。  日本では昼下がりだが、ロンドンは深夜の|帳《とばり》が下りている。  英国の首都とは言ってもメインストリートから|離《はな》れたこの区画もまた夜の揺りかごに包まれていたのだが、夜更かしを象徴するように一つの窓に明かりが|点《つ》いていた。  換衣所である。  大型の浴場に面したものであるので結構な広さがある。その片隅に、勉強机が収まるほど巨大な段ボールの空き箱が置いてあった。床には取り扱い説明書や保証書などが並べられている。  何の説明書かと言われると、それは|洗濯機《せんたくき》だ。  学園都市製とも書かれている。  古びた寮にはあまりにも不釣り合いな電子機器だ。 「|最大主教《アークビシヨツプ》は……何でこんな複雑で面倒臭い物をいただいてくるのでしょうか」  難しい顔でアース線を接続しているのは|神裂火織《かんざきかおり》だ。  ポニーテールにしても腰まで屈くほどの長く黒い髪の女性で、|普段《ふだん》は|半袖《はんそで》のTシャツをおへそが見えるようにサイドで絞ったり|太股《ふともも》の所で切ったジーンズを|穿《は》いたりとアクティブな格好を好んでいるのだが、今は質素な|浴衣《ゆかた》を身にまとっている。ただ、|馬鹿《ばか》長い日本刀だけはすぐ近くの壁に立てかけてあった。  一応これまでは、いつ煙が出るかも分からないほどハードに振動する洗濯機を使っていたのだが、この前それがついに壊れてしまったのだった。|最大主教《アークビシヨツプ》はあれでも部下の陳情を受け付けてくれる人物らしい。  後続となる洗濯機が届いたのは夕方ぐらいで、それは最新鋭のAI搭載型全自動洗濯機だったのだが、機械にあんまり縁のない|神裂達《かんざきたち》にとっては|謎《なぞ》の超文明との遭遇に近い。首をひねりながら説明書に目を通してあれこれやっている内に、気がつけば夜も更けていた。  ちなみに神裂がこんなにも作業に没頭していたのには、今日の昼間に日本の|土御門《つちみかど》から送られてきた段ボール箱の中に入っていたメイド服+α(天使の輪っかとか羽とかの|堕天使《だてんし》セット)を発見してしまい、それを何とか忘れてしまいたかったからだ。 「ローラ様のお話では『このさいしんえいナントカどらむ[#「さいしんえいナントカどらむ」に傍点]があれば|煩《わずら》わしき水仕事などへっちゃらにつきなのよ!』との事でございましたけど」  そう言ってニコニコ|微笑《ほほえ》んでいるのはオルソラ=アクィナス。つい先日までローマ正教に所属していたシスターで、真っ黒な修道服で髪の毛から足の先まで|全《すべ》て|覆《おお》っている女性だ。スタイルは神裂と同等だが、引き|締《し》まった感のある神裂に対してオルソラはどこか丸みが強調されているようにも見える、  同様の元ローマ正教派として、小生意気なアニェーゼ=サンクティスや規律に厳しいルチア、甘い物と寝起きに弱いアンジエレネらもいる。  彼女達は単純にイギリス清教に改宗するつもりはないらしく、『どうせ二五〇人もいるならロンドンにローマ正教の新しい分派を作っちまいましょう』とか言っている。これを|処刑《ロンドン》塔に|幽閉《ゆうへい》中のリドヴィア=ロレンツェッティなどが聞きつけたら大変な事になりそうだが、ローラ=スチュアートが割とのんびりしている所を見ると、どうも|天草式《あまくさしき》と同じく小宗派ごと|傘下《さんか》に収める方向で話はまとまりそうだ。  そんな彼女達五人の|他《ほか》には、|生粋《きつすい》のイギリス清教徒としてシェリー=クロムウェルが換衣所にいた。|傷《いた》みに傷んだ金髪に小麦色の肌を持つ彼女は|日頃《ひごろ》からゴスロリを|嗜《たしな》んでいるのだが、今は|薄手《うすで》の、ネグリジェをまとっていた。ただ二重に|寝間着《ねまき》を着込んでいるため、体のラインは透けているのに詳細は見えないというちょっと|卑怯《ひきよう》な状況になっていた。レベルで言うと湯気で隠れている級である。  王立芸術院の管理者でもあるシェリーはそんなやり取りをよそに、彫刻刀を使って手の中の小さな大理石をゴリゴリ削ってチェスの|駒《こま》の輪郭を整えている。細かい|粉塵《ふんじん》は彼女の肩の辺りへと集中し、小さなボールを作っていた。彼女の使うゴーレム=エリスの応用らしい。  シェリーは作りかけのチェスの駒に視線を落としたまま言う。 「|洗濯《せんたく》なん溶、川でやりゃ良いじゃねえかよ」 「私も洗濯板があれば問題ないと思いますが、|流石《さすが》に川では環境に問題が生じるでしょう」  アースの接続を終えた神裂は、ゴソゴソと洗濯機を|壁際《かべぎわ》に押し付けつつ答える。  シェリーはゴーレムのエリス任せ、神裂は世界で二〇人といない聖人という豪腕の持ち主なので気にしないのだが、他の|面子《メンツ》はみんな顔がちょっと引きつっていた。 「この……|耐震《たいしん》補強具や落雷対策装置などの設定に手間取りましたが、ひとまずこれで電源を入れても|大丈夫《だいじようぶ》そうです」 ピッ、と|神裂《かんざき》は大きなボタンを押したが、次に待っていたのは防水加工を|施《ほどこ》した小さな液晶画面に映る無数の数字や記号である。  神裂はしばし無表情でそれらを眺めた後、 「……素直に手で洗いませんか?」 「いっ、いいえ! もう少しだけ頑張ってみましょうよっ!!」  半分涙目で反論しているのはメンバーの中でも特に非力なアンジェレネだ。 「あとちょっとなんです! ぜ、全自動|洗濯機《せんたくき》はすぐそこなんですからっ! これが届くまでの間、|暫定的《ざんていてき》に大量の衣類を別棟の洗濯機まで運んでいくだけでも両腕がパンパンになっていたんですよ!! てっ、手で洗おうとか言われても絶対無理ですっ!!」  アンジェレネの小さな手を見る限り、その制度では今度洗濯当番が回ってきた途端に死を迎える羽目になる。  と、オルソラが説明書に目を落として、 「神裂さん神裂さん。でも説明書を見る限り洗濯ボタンを押せば後は機械が勝手にやってくれるそうでございますよ」 「?」 「こちらの小さなボックスに洗剤を入れておくと、機械が成分分析して、洗濯量の重さに応じて自動で水や洗剤の量を調節してくれるとか書かれているのでございます。注水、すすぎ、排水、脱水から乾燥まで全部勝手にやってくれるみたいでございますけど」 「まったく面倒な仕組みです。洗剤などこちらで量るからもっと簡単な操作にしてくれればよいものを」  だからボタンを一回押すだけなんだってば、とアニェーぜ、ルチア、アンジェレネの三人はほぼ同時に思ったが、一応こちらでは|新参者《しんざんもの》なので|黙《だま》っておいた。  オルソラは新品の洗濯機をポンポンと|叩《たた》いて、 「そんなに便利な一品なら、動いている所を見てみたいのでございますよ」 「……オルソラ。もう深夜ですよ。洗濯機を動かすような時間帯ですか?」  神裂は|呆《あき》れたように言うが、やはりオルソラは説明書を指差して、 「消音設計だから夜でもオッケーって書いてあるのでございますよ」 「フォンとかデシベルとか書かれていますが本当に意味は分かっていますか? そもそも、それ以前に今日の洗濯物は|全《すべ》て保管庫へ収納済みでしょう」  ここは『|必要悪の教会《ネセサリウス》』のメンバーが|集《つど》う女子|寮《りよう》。その服装の模様や|縫《ぬ》い目の一つにも|魔術《まじゆつ》的記号が盛り込まれている事もあり、そういった『武器にも防具にもなる衣服』を脱衣|籠《かご》にポンと置いておくと、衣服の防護機能が勝手にケンカを始めてしまう事もある。その辺りについては術式の宗派や学派によって相性もあるのだが、洗濯の時にもそういった相性を|考慮《こうりよ》するのが基本となっていた。  相変わらずゴリゴリとチェスの|駒《こま》を削っているシェリーが面倒臭そうな声で、 「確か保管庫は三重の|魔術錠《まじゆつじよう》で守られてんだよな。今から解くのもかったるいし錠を掛け直すのはもっとやってられないわよ」  やった、とばかりに|神裂《かんざき》は顔を|輝《かがや》かせ、それから背筋を伸ばす。 「ほら、|洗濯物《せんたくもの》がないのですから洗濯機は使えません。明日も早いのでもうさっさと消灯して就寝するとしましょう」 「あら、洗濯物ならここにあるのでございますよ」  言うか早いか、オルソラはガバッと自分の着ていた修道服をあっさり脱ぎ始めてしまう。神裂はギョッとした顔で、 「わっ、わざわざ洗濯物を増やす必要はないでしょう! そういった行動は新入りの方々にも悪い|影響《えいきよう》を及ぼします。アニェーゼ|達《たち》も『そんな風習なのかな』的な顔でオルソラの言動に従わないでください!!」 「まぁまぁ、日本のユカタとはとても脱がしやすい構造をしているのでございますね。帯の染め方もとても|綺麗《きれい》でございますし」 「人の話を聞いていない挙げ句、勝手に帯を|掴《つか》まないでください!!」  神裂が止めに入ろうとした時にはすでに腰に巻かれた|藍染《あいぞめ》の帯は解け、ストンと床に落ちていた。コートのボタンが全部外れるように浴衣の前が開放される。  おや、とオルソラは目を丸くして、 「|神裂《かんざき》さんは下着を|穿《は》かない派でございますか?」 「|浴衣《ゆかた》とはそういうものなのですっ!!」  聖人的爆発筋力の|籠《こも》った両手で体を隠したため、|流石《さすが》のオルソラでも浴衣本体を強奪する事はできなかった。  仕方がないので、オルソラは自分の衣類や『そういや|寝間着《ねまき》はどうすんですか……』『シスター・アニェーゼ。どうせあなたは眠たくなったら勝手に下着姿になってしまうでしょう』などと言い合っているアニェーゼやルチア|達《たち》の修道服、神裂の浴衣の帯などを|洗濯機《せんたくき》の中ヘポイポイと投げ込み、透明なフタを閉めて大きな『洗濯ボタン』を押す。  宣伝通り音もなく洗濯|槽《そう》の中に水が|溜《た》まっていくと、振動も感じさせない動きで中の洗濯物がクルクル回り始めた。どうも洗濯槽は従来のドラム式ではなく球状になっているらしく、三六〇度全方向に回転している。何だか見ているだけですごそうな洗濯機だ。 「おおっ、本当に静かなのでございますよ!」  オルソラがジェットコースターを前にした子供のような声を上げた。アニェーゼやアンジェレネなども彼女の肩越しに洗濯機の|稼働《かどう》状況を観察している。大昔のカラーテレビみたいな扱いだ。みんな下着姿なのが極めて不気味だが。 「……これを見たいがためだけに私は帯を奪われたのですか……」  神裂は一人でげっそりと|術《うつむ》いていたが、その時、ふとシェリーが彼女に話しかけた。 「おい極東宗派」 「今は抜け|忍《にん》状態ですが、何でしよう?」 「説明書。お前ちゃんと読んだのか」 『?』と神裂は改めてシェリーの顔を見る。二重ネグリジェを着た小麦色の女は|呆《あき》れたような顔で彫刻刀を動かし、その刃先で床に置かれた説明書を指し示して、 「色落ちするモノは個別設定して、普通の洗濯物とは分けてくださいって書いてあんだけどよ。アンタの染物のオビは|大丈夫《だいじようぶ》なのかしら?」  ぎゃああっ!! と神裂は絶叫して洗濯機に飛び掛かった。  ともすれば洗濯機に|正拳突《せいけんづ》きでも打ち込みかねない形相の聖人に、下着だらけの元ローマ正教シスター四人組が全力で取り押さえようとしたが、神裂|火織《かおり》は絶大な運動能力を行使し、彼女達の間をすり抜けて洗濯機の操作パネルにしがみつく。 「ちゅっ、中止! 洗濯中止のボタンは!?」  慌ててあれこれ探す神裂だったが、元々それほど機械に強くない挙げ句に混乱している事も手伝って、すぐ近くにあるはずのボタンが一向に見つからない。  その間にも洗濯物はグルグル回る。  透明なフタの向こうに広がる洗濯槽を眺めたオルソラは、『まぁ!』と感嘆の声を放ち、 「|神裂《かんざき》さんの帯の汚れがみるみる取れていくのでございますよ!!」 「それは単に脱色しているだけです! おのれ科学文明の|尖兵《せんぺい》め!!」  ついに耐えられなくなった神裂は、|洗濯機《せんたくき》が動いているにも|拘《かか》わらず半ば強制的に透明なブタをこじ凋けた。  しかしそこは最新鋭の球状三六〇度の大回転洗濯|槽《そう》。  |瞬《まばた》きする間もなく、神裂|火織《かおり》は遠心力で速度を得た大量の水を浴びてびしょ|濡《ぬ》れの透け透けと化した。 「わ、わぁ。本当に|穿《は》いていないんですね……」  アンジェレネが不用意な一言を放った直後、|元女教皇《プリエステス》が珍しく|罵声《ばせい》と共に泣き崩れた。 [#改ページ]    第三章 ミサカとミサカの妹と Sister_and_Sisters.      1  |上条当麻《かみじようとうま》は地下街の待ち合わせ用小広場(禁煙)のベンチに腰掛け、売店で買った二〇〇ミリリットルの小さなペットボトルの|鳥龍茶《ウーロンちや》を飲んでいた。  今は一人きりである。  ついさっきまでその辺にいた|白井黒子《しらいくろこ》は|御坂美琴《みさかみこと》にどつき倒されると『わたくしはお姉様のためを思って行動したまでですのに、この優しさが|諸刃《もろは》の|剣《つるぎ》となるとは……ッ!!』と叫びながら|空間移動《テレポート》でどこかへ消え去ってしまい、その美琴にしても携帯電話の登録完了手続きとかでサービス店に引き返していた。実は最初は上条も|一緒《いつしよ》に付いて行ったのだが、手続きの途中で外に出たのだ。ちなみに現在そちらのお店では『ゲコ太と一緒にピョン子までもらえるなんてーっ!!』と|瞳《ひとみ》をキラキラさせている奇態な|常盤台《ときわだい》中学のエースがいる訳だが、面倒臭いのでああいう状態の人間は相手にしないのが吉だ。 「……早く冷静になって欲しい」  上条はため息をつきつつ、携帯電話の画面に目をやった。ここは地下街なので分かりにくいが、今はもう午後四時過ぎ。書類だの申請だのと色々あった訳だが、やっぱり時間がかかったなー、というのが素直な感想である。  と、のんびりしている上条の元へ御坂美琴が帰ってきた。 「ありゃ、もう終わったのか?」  上条は話しかけたが、それに反して美琴は何やら無言で小さく顔を|逸《そ》らすだけだ。わずかに|逡巡《しゆんじゆん》しているようにも受け取れるが、そもそも返事の一つで悩まれるような事をした覚えはない。 『?』と上条は首をひねって、 「何だよ、何かあったのか。そういや新しい携帯電話の紙袋とか持ってないけど、トラブルでもあったのか」 「い、いえ、ミサカは……」  美琴は何やら音の出ない|滑《なめ》らかな動きで両手をわたわた振ると、やがて自分のおでこに片手を当てて、 「……このミサカはいつもゴーグルをつけている方のミサカです、とミサカは一〇〇三二号と|検体番号《シリアルナンバー》を告げつつ認識を改めさせてみます」 「もしかして、|御坂《みさか》妹の方か?」  言うと、御坂妹。はコクンと小さく|頷《うなず》いた。  御坂|美琴《みこと》と髪の毛一本レベルで同じ体格を持つ少女なので、見間違えるのも仕方がないのかもしれない。いつもは暗視ゴーグルのようなゴツイ装備をおでこにつけているのだが、|何故《なぜ》か今日は何にもなかった。  御坂妹の方でも、何やら特殊な事情があるらしく、 「……これぐらいのサイズのミサカを転、」覧にならなかったでしょうか、とミサカは自分の胸のちょっと下辺りに|掌《てのひら》を水平に差し出します」  御坂妹が示しているのは、|小萌《こもえ》先生と同じかちょっと低いぐらいの高さだ。|上条《かみじよう》は彼女の仕草を見ながら、やや|怪誹《けげん》とした表情で、 「お前ら、サイズ変更とかできたのか?」 「その反応からして知らないようですね、とミサカは役立たずっぷりに幻滅しながらあのクソ野郎の逃走ルートの割り出しを続けます」  御坂妹はわずかに息を|吐《は》いた。学生|鞄《かばん》を持ち直すと、中から何やらガチャっと重々しい金属音が聞こえてくる。  また不機嫌だなあコイツ、と上条が思っていると、彼女は続けてこう言った。 「平たく言えばゴーグルを|盗《と》られてしまったのです、とミサカは険しい顔つきで現状の報告をします。あのゴーグルがないとミサカはお|姉様《オリジナル》との区別がつきにくいので早急に回収しなくてはならないのですが、状況はこちらがとても不利と言えます、とミサカは暗に手伝えと上目遣いで訴えてみます」 「……、」  この強引さは姉も妹も似たようなものなのかもしれない、と上条は思う。  彼は|呆《あき》れながら、 「確かに、その格好だと美琴と間違われるかもしれないな」 「はい、とミサカは肯定の返事をします。先ほどもサブマシンガン片手に路地を走っていたらツインテールの女学生に突然絶叫されて|難儀《なんぎ》しました、とミサカは苦労話をしみじみと語ってみます」 「いや……そのツインテールは……」  心当たりがあるのだが、美琴の日常生活に支障をきたさない事を祈るばかりだ。それ以前にサブマシンガンという不穏な単語が混じっていた気がしないでもないが、もう聞き間違えであって欲しいの一手に尽きる。 「ともあれ、ゴーグルを取り返す前に|暫定《ざんてい》で良いから美琴と区別するためのワンポイントが欲しいトコだな」 「それはミサカにおでこキャラになれと言っているのでしょうか、とミサカは首を|傾《かし》げます」 「その単語は今すぐ削除しろ」|誰《だれ》だろう教えたのは、と|上条《かみじよう》は真剣に疑問に思う。「おでこじゃなくても、そうだな。格好までおんなじ冬服だし……お前はブレザーを脱げば良いんじゃねえの?」 「あなたには公衆の面前で脱げと強要する|趣味《しゆみ》があるのですか、とミサカはいまいち良さを理解しないままとりあえず従ってみます」 「ぶっ!? 何でいきなりスカートに手をかけてんだ! 分かったよ分かった脱ぐのはなしなしそうだ逆にアクセサリーとかつけてりゃ見分けはつくだろ!!」 「そういった装飾品は今手元にありませんし、購入となると値が張りそうです、とミサカは現実的な受け答えによって家庭的な|雰囲気《ふんいき》をアピールしてみます」  あのカエル顔の医者には一度|御坂《みさか》妹の生活環境を問い|質《ただ》した方が良いな、と上条は心の中で誓いつつも、 「いや、アクセサリーっつってもピンキリだからな。区別がつけば良いんだし、そこらの|露店《ろてん》で売ってるようなモンなら一〇〇〇円ぐらいでどうにかなるよ。その程度なら|俺《おれ》が買っても良いし」 「買って……?」 「何だろな。女の子でアクセサリーって言ったら指輪とかが良いか」 「———、ゆびわ」  御坂妹は|何故《なぜ》だか|黙《だま》ってしまう。  上条はそんな様子に一切気づかずに、 「いや指輪じゃ|駄目《だめ》だな目立たないし。もっとパッと見で分かるようなモンだと、|濁腰《どくろ》のマスクとかの方が良いかって痛ァ!?」  思い直した|瞬間《しゆんかん》に無表情の御坂妹からグーをもらった。      2 「クソガキが消えただァ?」  |一方通行《アクセラレータ》の声が広いリビングに|響《ひび》く。  てっきり|打ち止め《ラストオーダー》は自分用に割り当てられた部屋で昼寝でもしていると思っていたのだが、|黄泉川《よみかわ》の話によるとどうもマンションの中にはいないらしい。  ジャージ姿の黄泉川は軽く首を振って、 「ウチはホテルと同じくオートロックだから、外へ出るだけなら|鍵《かぎ》はいらないじゃんよ。だからもしかすると勝手に遊びに行っちゃったのかもしれないじゃん」 「マンションは広いから、もしかすると外ではなくエレベーターや階段、通路などで遊んでいる可能性もあるわね」  |芳川《よしかわ》も続けて言ったが、|一方通行《アクセラレータ》にはどうしても悪い予想ばかりが頭に浮かぶ。  楽観的に世界の性善説を信じられない。彼はその程度には悪意に触れすぎていた。 (……最後にあのガキを見たのはいつだっけか?)  |一方通行《アクセラレータ》は壁に掛かった時計を見る。  今の時間は午後四時三〇分。昼食を食べて]眠りしてシャワーを浴びようとしたのは午後一時だったか二時だったか。 (少なく見積もっても二峙間以上。それだけの時間がありゃあ、プロなら殺して死体を埋めて立ち去る事もできンだろオな)  |一方通行《アクセラレータ》や|打ち止め《ラストオーダー》には、|莫大《ばくだい》な利益を生む研究材料という共通点がある。今でこそ彼らを巻き込んだ『実験』は中止されているが、別の研究に利用して富を得ようとする人間が現れても何の不思議もない。  いや、そういった損益や計算など必要ないのだ。『あの|一方通行《アクセラレータ》の顔見知りである』というだけで、すでに何らかの|攻撃《こうげき》対象に指定されてもおかしくはない。学園都市最強の名を失った今の彼は、ターゲットの一つに過ぎないのだから。  |一方通行《アクセラレータ》は吐き捨てるように舌打ちすると、自分の体を支える現代的な|杖《つえ》に力を入れ直して、 「出かけてくる」 「いや、別にその辺に遊びに行ってるだけだと思うじゃんよ」  やけにのんびりした口調の|黄泉川《よみかわ》に、|一方通行《アクセラレータ》はイライラした目を向けたが、 「だって、留守電入ってるじゃんか」 「……、」  |一方通行《アクセラレータ》はわずかに|黙《だま》ると、電話とファックスとコピー機が|一緒《いつしよ》になった、かなり大型の家電製品の留守電再生ボタンを押す。  ピーッ、という甲高い電子音の後に、 『あのねー、今ミサカはミサカの下位個体と追いかけっこしているの、ってミサカはミサカは現状報告してみたり。今すぐは帰れないけど晩ご飯は作っておいて欲しいかも、ってミサカはミサカは注文も出してみる』  杖で電話を|殴《なぐ》ろうとした所で|一方通行《アクセラレータ》は黄泉川と芳川に取り押さえられた。能力がなければ今の彼はバタバタ暴れる程度の力しかないのである。  髪も服もグチャグチャにされた|一方通行《アクセラレータ》は、ぜーぜーはーはーと荒い息を吐きながら、 「……心の底から|鬱陶《うつとう》しいガキだ」 「あはは。人間関係なんてそんなものじゃんよ」  黄泉川は笑いながらも、電話を|壊《こわ》されるのが怖いのか|一方通行《アクセラレータ》の胴にガッチリ両手を回したままだ。その体勢だと大きな胸が押し当たる訳だが、そちらは全く気にしていないらしい。 「自分にとって都合が良い事ばっかしてくれる人間関係なんてのは存在しないんじゃん。本当の意味で自由で|誰《だれ》にも|邪魔《じやま》されないってのは、言い換えれば何をやっても誰にも気づいてもらえないって事を意味してるからなー」  |黄泉川《よみかわ》は|一方通行《アクセラレータ》の腰から手を|離《はな》し、 「根を張るってのはそういう事じゃんよ。互いが互いを|絡《から》め合うほど動きづらくなる。けど、その分だけ雨風には強くなってくれるもんだ」 「———、」  大人の意見は聞くだけで面倒臭い。  図星を突いていようがいまいがどうとでも受け取れる教訓だけはどうにかして欲しい。  ともあれ、|打ち止め《ラストオーダー》を捜して目の届く場所にでも置いておいた方が良さそうだ、と|一方通行《アクセラレータ》は思った。彼の行動の自由は首の電極が送受信する微弱な電磁波によって成り立っているが、それら|妹達《シスターズ》の活動の中心となっているのがあの|打ち止め《ラストオーダー》だ。|一方通行《アクセラレータ》は|未《いま》だにミサカ、不ットワークというものが『理屈ではなく感覚的に』どういうものかを理解していないが、あの個体の活動に支障が出れば自分の方にも|影響《えいきよう》が出てくるかもしれない、などと考えていた。そう、これはあくまで自分のためなのだ。  一方、黄泉川は黄泉川で自分は良い事を言ったと思っているのか、ちょっと得意げな顔で、「そんじゃ、私と|桔梗《ききよう》も手伝ってやりますか」 「わたしも?」 「嫌なら桔梗って名前を今日から捨てなさいじゃんよー」  見るからに運動が苦手そうな|芳川《よしかわ》は窓の外を眺めながら『一日に一時間以上外を歩いたら倒れる……』とぼやいていた。  |一方通行《アクセラレータ》は|眉《まゆ》をひそめて、 「何のマネだオマエら?」 「だって、捜すんでしょあの子」  黄泉川が当たり前のように言ったので、|一方通行《アクセラレータ》は少し|黙《だま》る。  その間に、ジャージの女は留守録のUSBメモリを引き抜きつつ、 「どうも屋外みたいだったし、あの子の後ろから聞こえてる物音を解析できりゃ場所を探る事もできるじゃんよ。ま、この辺は|警備員《アンチスキル》の黄泉川お姉さんに任せて熔きなさいじゃーん」 「|愛穂《あいほ》、職権乱用じゃないかしら」 「迷子の捜索と発見も治安維持のお仕事の一つ。問題なしじゃんよ」  何でコイッら楽しそうな顔してンだ、と|一方通行《アクセラレータ》は思う。  そんな彼に、黄泉川はUSBメモリ片手にニヤニヤと笑って、 「こういう相互関係をなんて言うか知ってるじゃんよ?」 「アシの引っ張り合いか」 「持ちつ持たれつよ」  |芳川《よしかわ》の|呆《あき》れた声と共に、|打ち止め《ラストオーダー》捜索|網《もう》が展開された。      3  |御坂《みきか》妹が怒りんぼうになっている。  |上条当麻《かみじようとうま》は地下街の端っこで戦々恐々としている。  結局買ってあげたのは消費税込み一〇〇〇円ジャストの安いネックレスだったのだが、どうもそれ以降御坂妹がずっとずっとムスッとしているような気がする。時々唇がモゴモゴ動いて『指輪……』『ミサカは左手の薬指の……』などとブツブツ言っている。一体どんなお悩みを抱えているのだろうか? 「あのー、御坂妹?」 「……、」 「ネックレスがそんなに気に入らないんだったら返してこようかー?」 「———これ以上ミサカから何も奪わないでください、とミサカは小さな声で切に語ってみます」  ……ネックレス自体は気に入ってるんだよな? と上条は首を|傾《かし》げる。御坂妹は何に苦悩しているのか本当に想像がつかない。まだお店の方から戻ってこない|美琴《みこと》も少し気になるし、御坂妹までこんな感じだし、何だかとても踏んだり蹴ったりなのだった。  とにかく機嫌を取ろう、と上条はオタオタと周囲を見回し、 「ん? お菓子売ってる。あれ食べよう御坂妹」  とっさに食べ物の方向に話を振ってしまったのはおそらく純白シスターインデックスの|影響《えいきよう》が|染《し》み付いているからだろう。我ながら嫌な反射だ、と上条は白己|嫌悪《けんお》する。  一方、御坂妹は上条の顔を無表情に眺めて、 「もので釣ろうとしてますか、とミサカは単刀直入に告げてみます」 「ううっ!?」 「しかしミサカのためを思っての言動を実行したその意思は尊重しましょう、とミサカは好意に甘えてみる事にします」  とりあえず肯定のサインが出たので上条はお店に向かう。  アイスクリームショップのように、地下街の通路に直接レジカウンターが|隣接《りんせつ》した小さなお店だ。売っているのは、ヒョコや子犬などの動物を模した小さなお菓子である。見た目はたこ焼きっぽいが、おそらくホットケーキ系の生地でカスタードクリームなどを包んでいるのだうう。洋菓子風にチーズやカスタードを入れた|鯛焼《たいや》きみたいなものだ。  黒い鉄板には直接動物の型が作られている。  カウンターの向こうにいる大学生ぐらいのお姉さんはニコニコ|微笑《ほほえ》んで、 「ご注文の品はお決まりですかー?」 「これ、動物によって味が変わってたりすんですか。中身が違うとか」 「いえいえ。同じにしないとデータが取れないんでー」 「……?」 「えっと、人間って理屈じゃなくて感覚で無条件に好きになっちゃうデザインってあるじゃないですか。それを突き詰めると洋服とかお化粧とかの分野に応用できるんですよ。これはアンケートみたいなものでー、どの動物を選ぶかの統計を取ってるんです」  |上条《かみじよう》は一歩|退《ひ》いて、改めてお店の看板を眺めてみる。  明らかに貸し店舗っぽい看板には大学の名前もしっかり記されている。 「まあ害がないなら良いけど……どれにすっかな。やっぱりヒヨコが良い気がする」 「はーい。ヒヨコは五四票目です。まいどー」  一品だけで五四っていうのは売れてるのか売れてないのか、と上条は最後まで首をひねりながら商品をもらった。  透明なパックにはヒヨコが縦二列、横五っの合計一〇個が収まっている。ホットケーキっぽい黄色い生地の上には溶けたカラメルがかけてあった。|爪楊枝《つまようじ》の代わりに、プラスチックの小さなフォークが二本添えてある。 「ほい|御坂《みさか》妹、お食べー」 「……、」  上条はパックとずずいと勧めてみたが、御坂妹はヒヨコをじーっと眺めたままピタリと動きを止めていた。  というより、何やらヒヨコと目を合わせているようにも見える。 「あの、御坂妹……?」 「……、」  上条が言っても御坂妹は無反応だ。  彼女は顔色を変えずに、『ちちちちち……』と小さく舌を鳴らし始めている。 (そういや御坂妹は|記憶喪失《きおくそうしつ》の|俺《おれ》よりも世の中の経験が浅いんだよな。もしかすると食べ方が分からないのかも)  御坂妹は何やらヒョコのくちばしを細い指先でチョンチョンとつついては『む、|噛《か》みつかないとは利口なヒヨコ|達《たち》です、とミサカは感嘆のため息をつきます』とか何とか言っている。  上条はおもむろに、プラスチックのフォークを取る。  それから、御坂妹にレクチャーするために、試しにヒョコの背中にフォークの先端を突き刺した。  御坂妹はビクゥ!! と肩を大きく|震《ふる》わせて、 「ひっ、ヒヨコの丸っこいボディが!? とミサカは戦々恐々としてみます……。この子は|何故《なぜ》そこまで従順なのですか、とミサカは疑問を抱きますがヒヨコはピーとも鳴きません」 「ん? さっきからどうしたんだ|御坂《みさか》妹。お前が食べないなら|俺《おれ》が食っちまうそ」 「た、食べ……ッ!?」  御坂妹が何やら。ソワソワとしている中、|上条《かみじよう》は|怪誹《けげん》な顔でヒヨコを口に入れる。もにゅもにゆと|噛《か》んでみると、やっぱり洋菓子っぽい甘みが広がっていく。 「お、実験品のくせに結構|美味《うま》いなこれ」  一方その|頃《ころ》、国の前の少年の口に放り込まれたヒヨコのつぶらな|瞳《ひとみ》(チョコレート製)が御坂妹の目を|真《ま》っ|直《す》ぐと見つめている事に彼女は大変ショックを受けていた。 「………………………………………………………………………………、た」  もぐもぐという音と共に、その何か言いたそうな|可愛《かわい》らしい顔が噛み|潰《つぶ》されていく。  御坂妹は、ぶるぶると体を|震《ふる》わせると、 「たとえ実験品であってもォ! ミサカはこのヒヨコの命をおォォおおおおおォォおおおおおおおおおおおおおおおおおォォおおッ!!」 「もごオっ!? な、何で突然暴走気味にバチバチいってんだお前———ッ!?」  上条が叫び終わる前に御坂妹の全身から青白い火花が飛び散った。  彼女は|欠陥電気《レデイオノイズ》。  二万人集まっても|超電磁砲《レールガン》に|敵《かな》わない程度の実力しかない。  しかし|馬鹿《ばか》にしてはならない。  一〇億ボルトの二万分の一でも五万ボルトである。 「ぶわーっ!?」  不幸にもその時、上条の左手にはフォークが、右手にはヒヨコの入ったパックが握られていた。つまり両手が|完壁《かんぺき》に|塞《ふさ》がれていて———そこへ五万ボルトが|直撃《ちよくげき》した。  いかに|幻想殺し《イマジンブレイカー》があってもこれは|駄日《だめ》だ。  不意の一撃に上条はゴロゴロと地下街の床を転がっていく。  通路を行き来していた学生|達《たち》が『おわっ』『バチッつったぞ今!?』とか恐々とささやき合っている、 「ハッ!? とミサカは散らばっていくヒョコを見て我に返ります!!」  上条ではなくヒョコで正気に戻った辺り、よほどそちらに釘付けのようだ。  御坂妹は裏返しになった透明のパックを拾い上げ、せっせとヒョコを元に戻していく。  顔つきは真剣そのものだった。  一方、そこら辺に転がされたままの上条はふらふらと起き上がると、 「う、うう。ごめん御坂妹……」  謝ってきたので御坂妹は両手でヒヨコのパックを抱えつつも耳を傾ける。  上条|当麻《とうま》は言う。 「……食べ物を粗末にしちまった。でも三秒ルールがあるので地面に落ちても食べます|俺《おれ》」  言い終わると同時に|御坂《みさか》妹の|蹴《け》りが放たれ|上条《かみじよう》が吹っ飛ばされた。  ふーふーと珍しく荒い息を|吐《は》いている御坂妹の心境を上条はいまいち|掴《つか》みきれない。よほどお|腹《なか》が減っているんだろうか、と推測してみる。  と、  そんな『?』がいっぱいな上条の元に、さらに見知った顔が近づいてきた。 「ちょ……アンタ|達《たち》何やってんのよ!?」  上条というより、御坂妹の顔を見て慌てて小走りになったのは、御坂|美琴《みこと》だ。学生|鞄《かばん》の|他《ほか》に、電話会社のロゴが入った小さな紙袋を|提《さ》げていた。携帯電話そのものは換えていないはずだが、書類とか追加拡張チップのケースとかマスコットのストラップとかが入っているのだろう。コンビニやスーパー等では、ちょっとした荷物のためにいちいち袋を消費するのは白粛しようという動きもあるのだが、あのサービス店ではそういった運動はまだ行われていないらしい。 「しっかし……」  御坂美琴と御坂妹。  この二人が並ぶと本当に見分けがつかなくなる。と言っても、別に双子なんてそれほど珍しくもないので、地下街を行き交う人々に注目されているのは|常盤台《ときわだい》中学というブランドの方にあるかもしれない。美琴と御坂妹はそっくりなのだが、御坂妹の首にネックレスがあるのでもう迷わない。良かった良かった。  御坂妹は美琴の質問に、 「ミサカは奪われてしまった。ゴーグルを取り戻すために遠路はるばる地下街までやってきたのです、とミサカはお|姉様《オリジナル》のカエルのマスコットに視線を奪われつつ答えます。|検体番号《シリアルナンパ 》二〇〇〇一号の予想逃走ルートや|迎撃《げいげき》用火器リストなどもありますがもうカエルに夢中なのでどうでもいいや、とミサカは適当に投げときます」 「コラちゃんと説明しなさいよアンタ!!」  ムッとした美琴がゲコ太とピョン子を学生鞄の中に仕舞ってしまうと、御坂妹は表情を動かさず、しかし|瞳《ひとみ》の中に|哀《かな》しそうな色を浮かべた。それから両手の中のヒヨコパックに視線を落とすと、 「……ミサカは浮気はしません、とミサカは手の中のヒヨコを再確認します」 「ミサカ『は』ってどういう意味よ……」  |呆《あき》れたように言ったが、美琴も美琴で御坂妹の持っているヒヨコのデザインにやや興味があるようだ。だが御坂妹は両手を使って胸の位置でヒヨコ達をがっちりと抱き、 「|お姉様《オリジナル》はそっちのカエルにでもうつつを抜かしていれば良いのです、とミサカは墓まで持っていくつもりの鉄壁ガードを|敷《し》きます」 「む。良いじゃないそのヒヨコ達をちょっとぐらい見せてくれても」 「|駄目《だめ》なものは駄目です、とミサカは自己の意思を貫きます。そんなに欲しければミサカと同じくそっちの人に買ってもらえば良いでしょう、とミサカは|顎《あご》を使って指名します」  |美琴《みこと》がくるりと|上条《かみじよう》の方を振り返る。 「———、」  しばし無言だった彼女は、やがてゆっくりと深呼吸すると、 「……確か、アンタは勝負に負けて|罰《ばつ》ゲームで何でも言う事を聞くって話になってたわよね?」 「は? なに?」 「……アンタはそのために今日一日私に付き合ってる美琴さん専用機状態なのよね。私のためだけに|一生懸命《いつしようけんめい》汗水垂らして頑張ってくれるのよね?」 「何で!? 何で|御坂《みさか》の周辺の空気が|不穏《ふおん》な感じに帯電してんの!?」 「それはアンタがこんな時までいつも通りだからよッ!! 人様の罰ゲームの最中だってのにあっちこっちで声かけやがって。そんなに妹って|響《ひび》きが大好きな人だったのかこのボンクラがァァあああああああああ!!」  彼女の前髪から一〇億ボルトが|炸裂《さくれつ》したが、上条は|右拳《みぎこぶし》を振り回してこれを|弾《はじ》き飛ばす。そんな事を二回、三回と|繰《く》り返すにつれて、 「だぁームカつく!! 何なのその耐久性!? こういう時は適当にぶっ飛ばされてそっちの方にでも転がってりゃ良いのよ!!」 「だから何でキレてんだよテメェ! あとそのリクエスト受けたら死にますけどね|俺《おれ》!!」  さらに一〇回、二〇回と重ねていくと、ようやく不毛だと思い知らされたのか、美琴はぜーぜーはーはーと肩で息をしながら|雷撃《らいげき》を|止《や》める。ちなみに上条は腰が抜ける寸前であり、地下街は『|警備員《アンチスキル》呼ぶ?』『いや巻き込まれたくねーなー』という空気に満ちており、御坂妹はお菓子のヒヨコのくちばしを人差し指でチョンチョンとつついている。  ふと御坂妹はヒョコから顔を上げて、 「ところで|お姉様《オリジナル》はここで何をしているのですか、とミサカは情報収集を開始します」 「ううっ!?」  ビクッ! と美琴の肩が大きく震えた。  別に特別な事をしている訳でもないのに、美琴は何やら御坂妹から目を|逸《そ》らすと、 「い、いや、|大覇星祭《だいはせいさい》で罰ゲームを巡ってちょっとした勝負をして、そんで私が勝ったから勝者としてこの|馬鹿《ばか》を引きずり回しているだけよそれだけよ。えーとそのそもそも大覇星祭の事から説明した方が良いのかしらつまりね」 「つまり|お姉様《オリジナル》は素直になれないのですか、とミサカは情報分析を開始します」 「ぶっ!? どこで集めた情報をどう分析したらそんな結論に達するのよ!! わっ、私は別に裏表なんてないわ。素直になれないだなんて言葉には全く縁はないわね! 大体こんなの相手に索直になった所で何をしろってのよ? こんなボンクラにッ!」  ビッ! と|上条《かみじよう》の顔を指差す|美琴《みこと》に、|御坂《みさか》妹は顔色を変えずに、 「む、こんなのというぞんざいな扱いは理解できません、とミサカは反論してみます。この人はミサカの命の恩人でありこんなの程度ではないのです、とミサカはスラスラと訂正を求めます」 「うっ……。で、でもそれは今のこの状況とは何の関係もないじゃない。このボンクラをボンクラと呼ぶ事の何が悪いってのよ」 「そうですか、どこまでも素査にならないのですね、とミサカは最終確認を取ります」  御坂妹は、スッ……と一度だけ美琴の|瞳《ひとみ》を|覗《のぞ》き込むと、 「ではミサカは素直になってみます、とミサカは|お姉様《オリジナル》とは違う道を歩んでみます」  言った途端に。  御坂妹は上条の|隣《となり》に立つと、いきなり彼の右腕にギュッと抱きついた。  彼女の|薄《うす》い胸が|肘《ひじ》の辺りにぶつかり、 「どァあっ!?」  上条の心臓がバコーン!! と跳ねる。  |一瞬《いつしゆん》ショックで呼吸困難に|陥《おちい》りかける純情少年だったが、パニック|故《ゆえ》に目の前で美琴がパク パクと口を開閉させている事にまで目がいっていない。辺りの男子学生|達《たち》が時折チラチラとこちらを見ているのだが、そんな事にも全く気がついていない。 「な、な、なぁ……」  |愕然《がくぜん》とする|美琴《みこと》の目の前で、|上条《かみじよう》の右腕にしがみついたままの|御坂《みさか》妹は体をすり寄せるように身をよじると、 「チラリ、とミサカはさりげなく買っていただいたアクセサリーを|お姉様《オリジナル》に見せつけてみます」 「!?」  ビキリ、と美琴の頭から変な音が聞こえる。  御坂妹はさらに畳み掛けようとしたが、  トテトテ、ガシイ!! と。 「ミサカも反対側から抱きついてみる、ってミサカはミサカは面自そうな事に混ぜてもらってみたり!! わーい!!」  今度は上条の左腕に一〇歳ぐらいの少女がぶら下がってきた。  ギョッとした上条がそちらを見ると、体は幼いのに顔つきは美琴そっくりだった。御坂妹と同じゴーグルを身につけているのだが、ゴムバンドがゆるゆるなのでおでこを通り越して首に引っかかってしまっている。 「|誰《だれ》だコイツ!? 妹の妹!?」  もう|薄《うす》いのを通り越してなんかコツコツした硬さが伝わるだけの感触に上条は困惑しつつも|素性《すじよう》を尋ねる。  しかし答えが返ってくる前に、 「|検体番号《シリアルナンバー》二〇〇〇一号、ミサカの前にノコノコと顔を出すとは良い度胸ですね、とミサカは本気モードに移行します」 「ふふふミサカはもうそのゲームには飽きてしまったのだ、ってミサカはミサカは次なるエンターテイメントの発掘に出かけてみたり」 「|逃《のが》すとお思いですか! とミサカは|鞄《かばん》の中からサブマシンガンを取り出します!」  ジャゴッ!! という鈍い金属音に美琴が『ぶっ!?』と吹き出し、やたら小さい女の子はその間に高速で人混みの中へと消えてしまった。  御坂妹は『ぞんざいに扱ったら|叩《たた》き殺します、とミサカは忠告しておきます』とこっそり上条に耳打ちしつつヒヨコをそっと押し付けると、どう考えてもオモチャに見えない銃器類を片手に人の山へと|突撃《とつげき》していく。  壁の向こうから声が聞こえる。 「その租度で本気とは片腹痛いなーっ! ってミサカはミサカは|小馬鹿《こばか》にしてみたり」 「まだまだ本番はこれからです、とミサカはミサカ|完全武装《フルブースト》へと最終展開しますッ!!」  ガシャガシャガチャチャ!! と人混みの先から何かを組み立てるような異様な金属音が連続する。ちょっと|覗《のぞ》いてみたいがやっぱり怖いので近づかないでおこう、と|上条《かみじよう》は心に誓ってみた。      4  午後五時。  |一方通行《アクセラレータ》は冷房の効いたマンションから外へ出ると、アスファルトの上に|杖《つえ》をつく。もう片方の手には連絡用の携帯電話が握られていた。  結局、いつまで|経《た》っても帰って来ない|打ち止め《ラストオーダー》を捜す事になった。  今日は学園都市全体が半日授業だったらしいが、この時間帯になると平日とも区別はない。新調した冬服を|馴染《なじ》ませるためなのか、そこらを歩いている連中の身なりは大抵がセーラー服だったり|詰襟《つめえり》だったりする。|敢《あ》えて違いを語るとすれば、新品特有の|匂《にお》いのようなものがそこらじゅうでうっすら漂っているぐらいか。 「ウザってェ天気だ……」  |一方通行《アクセラレータ》は適当に空を見上げて|眩《つぶや》いた。 今まで建物の中にいたから気づかなかったが、青かった空がいつの間にか灰色……というより、ほとんど黒に近い雲に|覆《おお》われていた。もういつ降り始めてもおかしくない感じだ。気象情報の整理にも使われていた学園都市のスーパーコンピュータ『|樹形図の設計者《ツリーダイアグラム》』はすでに|破壊《はかい》されているため、最近は夕立など突発的な天気の移り変わりを予測できなくなっている。 『あちゃー。こりゃ降り出す前に見つけて帰りたいじゃんか』  同じく頭上を見上げているのか、電話の向こうから|黄泉川《よみかわ》の声が聞こえる。ちなみに|芳川《よしかわ》は留守番だ。捜索中に|打ち止め《ラストオーダー》がマンションに帰ってくる可能性があり、その場合、|鍵《かぎ》も暗証番号もない|打ち止め《ラストオーダー》は正面玄関前でポツンと立ち尽くす羽目になるからだ。  彼は舌打ちする。  立ち尽くすだけなら良いが、暇さえあればどこまでも突っ走っていくあの子供がその場に|留《とど》まる可能性は極めて低い。飽きたらどこかに行ってしまい、それが余計に捜索を困難にする恐れもある。  |一方通行《アクセラレータ》は携帯電話を|掴《つか》み直し、 「オマエは車だろオがよ」 『ドア開けて傘を差すまででも|濡《ぬ》れるのは嫌じゃんか』  このモヤシ人間が、と|一方通行《アクセラレータ》は毒づこうとしたがやめておいた。太陽光の紫外線を|避《さ》けて休の色が白くなっているのは彼の方だからだ。 「で、あのガキがどの辺にいるのかは|大雑把《おおざつぱ》に掴めたンかよ」 『あの子の後ろで流れてたのは近くの地下街で使われている室内音楽っぽいじゃんか』 「あァ? 事件でもねエ迷子捜しに解析機材でも使ったのか」 『だから迷子捜索もウチらのお仕事じゃんか。えーっとね。あの子がかけてきた電話の、音声の後ろで流れている音楽を解析して場所を確認してるじゃんよ』 「はン。そりゃ街中に流れてる『耳に入らない音』の事か」 『へー。気づいてる人がいるなんて。厳密には|可聴域《かちよういき》外の低周波だけどね』  |馬鹿《ばか》が、と|一方通行《アクセラレータ》は吐き捨てた。彼は世界のあらゆるベクトルを観測、計算、制御する能力者だ。口に見えない、耳に聞こえない程度で見逃していたら、放射線などを防ぐ事はできない。 「ありゃ店内BGMとかのスピーカーから、音楽に混ぜてこっそり流してるモンだよな「 『そ、あの低周波だけじゃ意味がないんだけど、私|達警備員《たちのノンチスかガル》が持ってる特別な周波数をぶつけると、きちんとした音になるって訳じゃん。スピーカー一つ一つが違う音を検出するようにできててね、その音を調べると「どこから電話を使っているか」が大休分かる。ま、今じゃ逆探知を|欺《あざむ》く機械なんて簡単に手に入るから、こういった努力が必要じゃんよ』  つってもこれも探索法の一つで、普通は何種類かの方法を使って多角的に情報を整理するんだけどね、とか何とか|黄泉川《よみかわ》は言っている。  面倒な仕組みだ、と|一方通行《アクセラレータ》は息を吐いた。  この手の|大雑把《おおざつぱ》な仕掛けを難なく実行していくのが学園都市の特徴だろう。実際には制度の改定や装置の配備など様々な問題があっただろうが、それらを|全《すべ》て『実験だから』の一言で押し通せるのである。 「で、|俺《おれ》はこっから地下街に向かやァ良いのか」 『ひとまずは、ね。あのすばしっこいのが一ヶ所に|留《とど》まってるとは思えないから、そこから聞き込み開始じゃんよ』 「……、この|一方通行《おれ》が? この|格好《シロづくめ》でか?」 『はーいスマイルスマイル笑顔の練習ー』  アホか、と|一方通行《アクセラレータ》は舌打ちする。  とにかく彼は悪い意味であまりにも有名すぎる。この|超能力者《レベル5》が笑顔なんぞ作って接近したら、相手はショックで死ぬかもしれない。『殺人犯に狙われてるかと思ってとっさに撃っちゃいました』という事態になっても彼は納得する。はっきり言えば、それは仕方がないだろう。仕方がないから返り討ちにするしかない。  だが、何にしても|打ち止め《ラストオーダー》を捜すには情報を集める必要がある。  ウザったい事になりそォだ、と|一方通行《アクセラレータ》は思わず|眩《つぶや》いた。  と、黄泉川は不意に言った。 『ねぇ|一方通行《アクセラレータ》』 「何だ」 『そんなに他人に好意を向ける事が怖いの?』 「……また随分と楽しげな話題だなァオイ。放課後の散歩にはピッタリだ」 『暴君ってのは楽じゃんか』  |黄泉川《よみかわ》は話を聞いていない。  というよりも、聞いた上で受け流している。 『そりゃ人それぞれで苦悩もあんでしょうけど、でもやっぱり気楽な部分もあるはずじゃん。 だって、暴君は裏切られない。仲が冷める心配もない。自分の見せた好意を跳ね|除《の》けられる恐れもない。|何故《なぜ》なら恐怖と|憎悪《ぞうお》の対象でしかないから』  すらすらと言葉は出た。  |一方通行《アクセラレータ》はそれを聞く。 『人間関係ってのが好意と悪意のみで成立している、なんて単純な事は言わないじゃん。でも、今までの君は目の前の|全《すべ》てを拒絶と悪意で跳ね返せば良かったのは事実じゃん。楽だよね。これからは違うけど。だから尋ねてるんじゃんか。好意と悪意、どちらを見せるか選ぶのはそんなに怖いのかって』 「くっだらねェな。|俺《おれ》が———」 『事実』  黄泉川は|一方通行《アクセラレータ》の言葉を封じる。 『君は|打ち止め《ラストオーダー》からの好意は受け入れているものの、自分から|打ち止め《ラストオーダー》へ好意を向ける事を恐れている。君|達《たち》の関係一見良好に見えるけど、実際には|打ち止め《ラストオーダー》から好意の供給が絶たれれば|繋《つな》ぎ止める事のできない、とっても危ういモノじゃんか』  その声は平たく。  無理に力説しないが|故《ゆえ》に、余裕という名の真実味がある。 『怖いのかな、|一方通行《アクセラレータ》。|距離《きより》を縮める方法が分からないから、これ以上それを|離《はな》されるかもしれない行為に出るのは。自分の行いが裏目に出てさらに距離が遠ざかれば、もう自分から元に戻す事ができなくなるのが。でもね、それをしない事には始まらないじゃんよ』 「説教か」 『柄じゃないのは理解してるけど、私も一応は教師だからじゃん。ま、私ごとき|下《した》っ|端《ぱ》|警備員《アンチスキル》に、君の闇を知る機会なんてないとは思ってるけど[#「君の闇を知る機会なんてないとは思ってるけど」に傍点]』  ああ、と|一方通行《アクセラレータ》は理解する。  コイツはすでに彼の|素性《すじよう》について、|書庫《パンク》へ探りを入れてみたのだろう。  そこで行き詰まったから、こうして本人に尋ねているのだ。 「回りくどい野郎だ」 『君が昔いた所なんだけど……。出てきた名前が名前だけに、ね』 「特力研だろ」  |黄泉川《よみかわ》が口に出すのをためらった名前を、|一方通行《アクセラレータ》はあっさりと出した。  それは|書庫《バンク》の中でも特に厳重な領域に記録……というより封印された施設の名だ。、 「正式名称は特例能力者多重調整技術研究所。|俺《おれ》が九歳まで放り込まれてた『|学校《ホーム》』で、|敷地《しきち》内に死体処分場があるってウワサされてた地獄だな」  学校と死体処分場という、あまりにも|噛《か》み合わないワードが並んでいるのは、学園都市特有のものだ。この街では学校とは同時に能力開発の研究所や試験場も兼ねている。そこからウワサが派生していくと『非入道的な研究を行う殺人施設』という話が構築される。 「実際にゃあウワサ以上の施設だった。死体処分場なンてモンじゃねェよ。逆だ、生きた人間を処分するための掃き溜めさ。オマエも話ぐれエは聞いた事があンじゃねエのか」 『……、そりゃあね』  特力研は|多重能力者《デユアルスキル》の研究・実験を主体とした施設だ。今でこそ学生は一つの能力しか使えない、二つ以上の力を同時に発現させるのは不可能だという結論が出ているが、そのデータは主にここで採取された。  つまり、法則を発見するまで延々と『失敗』を|繰《く》り返していたのだ。  能力開発は暗示や薬物すら用い、脳の構造に直接|影響《えいきよう》を及ぼす、その『失敗』という二文字がどれほどの惨事を生んだかは想像しない方が良い。死んだ方がマシ、というふざけた言葉の意味を知る事になるからだ。 黄泉川は告げる、。 『あそこを制圧、解体したのは私の部隊だったから』 「そりやどォも」 『末期の特力研はきっと法則に気づいていた。能力者には一つの力しか宿らないってね。それでも自らの名声のために、完成された|多重能力者《ゆアユアルスキル》を欲し、多くの子供|達《たち》を|犠牲《ぎせい》にしたんじゃん。 特に「|置き去り《チヤイルドエラー》」を使って』 『|置き去り《チヤイルドエラー》』というのは学園都市の社会現象の一つだ。  学園都市は基本的に|全寮制《ぜんりようせい》で、それ以外のケースにしても同じ街のパン屋に|居候《いそうろう》するなど、学園都市内に住居を持つ事が原則となる。しかし、|稀《まれ》に最初から子供を捨てるために学園都市に入学費川だけを払って、子供が寮に入ったのを確認してから蒸発する者がいる、コインロッカーに幼子を詰め込むよりはマシだろうが、やっている事のレベルは同じである。  そうなった子供達を保護する制度が学園都市には存在する、、  だが、それを逆手に取った寄生虫のような研究チームなども存在する。『プロデュース』『暗闇の五月計画『暴走能力の法則解析用|誘爆《ゆうばく》実験』……。先進的な学園都市の内部でも認められない研究は、こうして実行されていく。 『……私も見たよ。重たい扉の向こうに横たわっている「それ」を』  黄泉川の声は重たい。  それを聞いて|一方通行《アクセラレータ》は笑った。  あの程度が地獄の底だと思っている[#「あの程度が地獄の底だと思っている」に傍点]、この一般人の良識に。  その貧困な想像力は、きっと|黄泉川愛穂《よみかわあいほ》が健全な世界に住む人問だという証拠になる。  |全《すペ》てを知って笑っている|一方通行《アクセラレータ》と違って。 「だが残念な事に|俺《おれ》はオマエの|活躍《かつやく》を見てねエな。さっきも言ったが、俺が特力研にいたのは九歳までだ。そこから|他《ほか》に移された。|何故《なぜ》だか分かるか」  |一方通行《アクセラレータ》は口の端を|歪《ゆが》めて、 「手に負えなくなったからさ[#「手に負えなくなったからさ」に傍点]。あの地獄の特力研でも、俺の力は|度《ど》し|難《がた》かった。あの|悪魔《あくま》みてェな白衣の連中でさえ、この俺に恐怖した。つまり俺はそオいう種類の怪物なンだよ」白い学生は携帯電話に向かって語る。「その後も同じだよ。くだらねエ。|虚数研《きよすうけん》、|叡智研《えいちけん》、|霧ヶ丘《きりがおか》付属……まァ、オマエじゃ端っこも|掴《つか》めねェぐれェの『深部』だが、反応は全部同じだった。知ってるか、悲劇ってのは意外と柔らかい[#「柔らかい」に傍点]ンだよ。だから俺の体はすり抜けちまう。そこで受け止め切れずに、さらにずぶずぶ沈ンでいっちまう。深く深くにな」  |一方通行《アクセラレータ》は|杖《つえ》をつく。  まるで路上に|唾《つば》を|吐《は》くように、ガツッと杖の下端がアスファルトに激突する。 「同じ場所に二ヶ月|保《も》った事はなかったぜ。そのたびに俺は自分の怪物性を再確認していったってワケだ。連中が悪魔的であれば悪魔的であるほど、ソイツらにすら恐怖される自分は一体何なンだろオなってなァ」  その手に負えずに受け取り先も少なくなってきた怪物を、|芳川《よしかわ》の所属する『|絶対能力《レペル6》』の研究所が引き取った訳だ。あそこの待遇は格別だったし、そのおかげもあって二ヶ月以上は保った。しかしそれは|一方通行《アクセラレータ》に対する恐怖の裏返しだろう。怒らせたくない、と顔に表れていた。違ったのは、あの『甘い』芳川ぐらいか。  最終的に一万人以上の人間を虐殺した研究者|達《たち》にしても同じ対応。  決して溶け込む事のない|距離感《きよりかん》。  恐怖。  |暗闇《くらやみ》からも拒絶された白色。  結局は、それが|一方通行《アクセラレータ》を示す言葉なのだ。 「好意を向けるなンざ不可能だ。|虚《むな》しいンだよ。一億の負債に対して一円を返済した所で何になる。利子だけで食い|潰《つぶ》される好意なンざ払う気も起きねエ。、考えるだけで|馬鹿馬鹿《ばかばか》しい。寒気がする。|全《すべ》てを払い終えて日差しの中で笑ってる光景なンてよォ」  無様な声だった。  借金の自慢なんかしてどうする、と|一方通行《アクセラレータ》は自分に毒づく。  黄泉川はしばらく|黙《だま》っていた。  それから、彼女は告げる。 『|綺麗事《きれいごと》かもしれないけど、それでも君は払う事を忘れた自分に|嫌悪《けんお》しているじゃん。その一億を支払う方法があるとすれば今すぐ食いつきたい。違う?』 「……、フン」  |一方通行《アクセラレータ》はろくに返事もしない。  対して、|黄泉川《よみかわ》の口調は変わらない。彼女は最初から真剣だった。 『例えばさ。私は子供に対しては武器を向けない。相手が能力者だろうが何だろうが、絶対に武器を向けない。これは私が自分に定めたルールなんだけど』 「あァ?」 『何で私がそんな事をしてると思う[#「何で私がそんな事をしてると思う」に傍点]?』 「……、」 『どうして子供に武器を突きつける事にためらってるか分かる[#「どうして子供に武器を突きつける事にためらってるか分かる」に傍点]?』  コイツ……、と|一方通行《アクセラレータ》は心の中で|眩《つぶや》く。  声から|漏《も》れる暗い感情の|匂《にお》いに、彼は思わず裏路地の光景を思い浮かべてしまう。 『そういう事よ。確かに君の「量」は私なんかと比べ物にならないかもしれない。けど、「質」の方は大して変わらない。ならやるべき事の規模は違っていても種類は同じじゃんか』黄泉川の声が|一方通行《アクセラレータ》を突き刺す。『……どんなに無様だろうが、 一円でも一銭でも払い続けるしかないじゃんよ。その積み重ねは必ず君の道を開く。なに、君は私と違って力がある。一気に返済する手はいくらでもあるじゃんか』 「笑える意見だな。あまりにも|微笑《ほほえ》ましくって顔が|歪《ゆが》ンじまう」 『最も安直な方法は|風紀委員《ジヤツジメント》として参加する事かな。君の名があるだけで学園都市の治安が今より三割ほど安定するんじゃん? 必要なら書類は|揃《そろ》えておくけど』 「|馬鹿《ばか》げてやがる」  |一方通行《アクセラレータ》は|一蹴《いつしゆう》した。  これはそういう種類の力ではない。両腕を振れば返り血を浴びるような、そんな力でしかない。種類としては原子力以下、平和利用の糸口が一切見えない絶大なる負の力。挑戦する事はできても、決して結果には|繋《つな》がらない。彼の行為はただ|破壊《はかい》しか生み出さない。  それでも。  もしも、と思った事はあるかもしれない。  もしも、この力を使って『実験』を止めていれば。  もしも、死の道へと突き進む|妹達《シスターズ》を押さえつける事ができていれば。  そして。  もしも、今からでも遅くはないのなら[#「今からでも遅くはないのなら」に傍点]。  彼の前で振り|撒《ま》かれてきた、そしてこれから振り撒かれるかもしれない死の数は、一体どれぐらい軽減されるのか。  絶対に実現のしない机上の空論だ。  できる訳がない。  分かっている。  いちいち|誰《だれ》に言われるまでもなく、その力を行使し続けた彼自身が何者よりも。  それでも、 「くっだらねェ」 『そのくだらないものの積み重ねが負債を返済していくじゃんよ』  |黄泉川愛穂《よみかわあいほ》はそう告げた。  |陽射《ひざ》しを浴びている者の声で。 [#改ページ]    行間 三  |風斬氷華《かざきりひようか》は学園都市を歩いていた。  地味な少女である。腰まである長い髪の色は自然のまま……と言ってしまえば聞こえは良いが、ようは手を加えていない。せいぜい頭の横で一房の髪をゴムで束ねて分けているぐらいか。整った顔立ち。も|野暮《やぼ》ったい大きな眼鏡に隠され、化粧っけが全くない。おまけに制服のスカートは|膝下《ひざした》まで伸びていた。どう考えても|繁華街《はんかがい》を歩くような格好ではない。  しかし彼女の姿は人の目を引く。  スタイルの優れた美人である事より、もっと不自然な現象が注目を浴びている。  ノイズだ。  ひっそりと咲く小さな花のような|雰囲気《ふんいき》の少女は、その輪郭が時々|歪《ゆが》む。風に流される|霧《きり》のように、受信状況の悪いテレビのように、ザザザザと|耳障《みみざわ》りな音を立てて、グニャグニャとシルエットが崩れ、また元へと戻っていく。夏のワイシャツが揺れたと思った時には、青い色のブレザーに包まれていた。  彼女はそれでも街を歩く。  通常なら|大騒《おおさわ》ぎになりそうな光景だが、周囲の反応は『注目を浴びる』程度でしかない。  ここは超能力と科学技術の街だから。  大抵の不自然な状況は、拒絶される事もなく受け入れてもらえる。  しカし 「おーい、|誰《だれ》だぁ?」  そう言って風斬の近くへ走ってきたのは|警備員《アンチスキル》の男だった。事件が起きれば銃器すら扱って制圧に乗り出すエキスパートだが、彼らの本職は教師である。なので、その男もエージェントというほどの鋭さはない。  この|警備員《アンチスキル》も、風斬の存在をいつもの街の一風景として受け入れている。  だから風斬氷華を排除しようという訳ではない。  だが、 「まったく、こんな立体映像なんか出しやがって[#「こんな立体映像なんか出しやがって」に傍点]。どこに能力者はいるんだ。随分と手の込んだイタズラだな」  彼の目は風斬を見ていない。  街の光景として受け入れてはいても、それは単なる現象としての話。  超能力と科学技術。  この街では大抵のおかしな現象は|全《すべ》て、それらの言葉で自己解決される。『あれは自分の知らない技術によって作られた現象または実験なのだ』で全てを納得できるのが学園都市だ。  だから|風斬氷華《かざきりひようか》はこうして街を歩く事ができる。  |誰《だれ》がどう見ても人間ではない、本人いわく『怪物』も、|排斥《はいせき》されずに受け入れられる。  それは幸運なのか。  または不幸なのか。  風斬氷華は能力者の手で作られた|立体映像《ノイズ》であり、一人の心を持った人間だと認めている訳ではない。  彼女は小さく笑う。  わずかに苦い、寂しさを交えた笑み。  それは人間らしいとしか表現のできない、あまりにも淡い表情だった。 「……また精密な幻像じゃないか。先生が照れるとでも思ってんのか?」  これも受け入れられた。  一番大切な部分だけを除いて。 [#改ページ]    第四章 緩やかに交差する二組 Boy_Meets_Girl (×2).      1  |御坂美琴《みさかみこと》はどこかへ行ってしまった。  何だか良く分からないが御坂妹や彼女と|一緒《いつしよ》にいた|小《ち》っこいのを見た途端に機嫌が悪くなったのだ。 『ねえちょっと、今日は|誰《だれ》の|罰《ばつ》ゲームとしてここにいると思ってんのよ!! 私のために一日働くんじゃなかった訳!?』  とか顔を其っ赤にして確認を求めてきたので、|上条《かみじよう》としては素直に、 『え? お前の目的はゲコ太だけなんだろ?』  と答えた所、|何故《なぜ》か美琴は自分の唇を小さく|噛《か》んで、 『……ッ!! な、あ、う、そうよ! ゲコ太とピヨン子が手に入ればアンタなんかもう用済みよ! 何が罰ゲームよ、この|馬鹿《ばか》!!』  そんな叫びと共に�蜷の榔が飛んできたため、現在上条は地下街の隅の方を転がっている訳である。上条は一応一〇億ボルトを右手で|弾《はじ》き飛ばす事に成功していたのだが、ビビッてそのまま後ろにコケていた。 (な、何が悪かったんだろう……?) 『もう良いわ!!』と美琴は叫んで猛ダッシュでどこかへ走り去ってしまうし、置いてきぼりにされた上条はこれで罰ゲームから解放されたのかも判然としないし、何だかグダグダなのだった。 (しっかし今日は御坂妹だの|白井黒子《しらいくろこ》だの何なんだ?)  上条は首をひねる。  一番の不審人物は御坂妹の近くにいた、一〇歳ぐらいの少女だろう。顔立ちは美琴……というか御坂妹とそっくりだったのだが、彼女は本気で誰だったのだろう? ミサカ後続シリーズとかでさらに二万人追加とかだったらやだなぁ、と上条はちょっと冷や汗を流す。この街ならそれぐらいありそうだから本当に嫌だ。  彼はため息混じりで、 「だぁー。一応後で御坂妹に尋ねてみよう。これを放ったらかしにしておいたら後でひどいツケが回ってきそうな気がするし」 「何を|莫大《ばくだい》な疲労感に肩を落としているの? ってミサカはミサカは|癒《いや》し系マスコットとしてあなたの背中に張り付いてみたり」  思わずこぼした独り言に妙な返事があったと思ったら、背中に、のしっ、という重みが加わった。背中に伝わる丸っこい感触に、|上条《かみじよう》はゾゾワァ!! と全身の毛を逆立たせ、 「な、なに!? |誰《だれ》だ、子泣きジジィか!!」 「ミサカの性別はメスだし学園都市でオカルトを語るのはナンセンスかも、ってミサカはミサカは安定感を得るためさらに身をすり寄せてみる。ここミサカの定位置にしたい、ってミサカはミサカはついでに要求してみたり」  のしーっ、と生温かい体温の塊がちょっとだけ重みを増す。  背中のゾワゾワ感がクライマックスに達した上条は、 「うおおわっ!! 何ですかこれーっ!?」  叫びつつ自分の両手を頭方向から後ろへ回し、背中にくっついているものをがっちりホールドするとダンクシュート状に顔の前へ引きずり出す。と、逆さまにぶら下がっているのは|御坂《みさか》妹を|小《ち》っこくした例の|謎《なぞ》少女だった。  誰だろうこの子? と上条は首を|傾《かし》げる。  上下反対になっている女の子も仕草を|真似《まね》て首を傾げていた。      2  一体何でこンな事になってンだ? と|一方通行《アクセラレータ》は肩を落としていた。  ここは地下街の入口を入ってすぐそこ……といった場所である。ファストフード店のオープンスペースとして、店の外にもいくつかテーブルが並べてある。が、地下街なので店内と外の区別は限りなく怪しい。  そのテーブルの一つに、真っ白な修道服を着た銀髪で緑色の|瞳《ひとみ》の少女がグベチャーと突っ伏していて、彼女は大量のハンバーガーやフライドポテトやサラダその他に埋もれていた。一応念のために言っておくがこれは|一方通行《アクセラレータ》が買い与えたものだ。この少女は一銭たりともお金を持っていなかったのだ。  そもそもこんな事になったきっかけは、|一方通行《アクセラレータ》が|打ち止め《ラストオーダー》を捜すために現代的なデザインの|杖《つえ》をついて地下街に入った所、いきなり横からこの謎少女が激突してきた事にある。  彼女はいかにもふらふらですといった足取りと口調で|一方通行《アクセラレータ》に向かって、 「あれえとうまじゃないとうまじゃないよとうまだと思っていたのに何でとうまじゃないのこの人とうまはどこに行ったの何でも良いけどお|腹《なか》が減って動けないんだよあの塩と|胡椒《こしよう》とお肉の|匂《にお》いがジュージューと漂っててとにかくあれ食べたいあれ食べたいどうすれば良いのあれ食べるにはどうすれば良いの?」 「……、」  |普段《ふだん》ならこの時点でこの女の全身を粉々にしてその辺に捨てておこうと考える|一方通行《アクセラレータ》だが、何とも間が悪い事につい数分前に|黄泉川《よみかわ》から『たまには良い事でもしてみたら?』的な発言をされたばかりである。いやはや慣れないトークなどするべきではないものだ。別に黄泉川との会話など|律儀《りちぎ》に心の隅に|留《とど》めておく必要などどこにもないのだが、ここで真っ白シスターを|殴《なぐ》り倒して先に進んでしまうと、何となく『お前の|煙草《タバコ》やめます宣言は三〇分しか|保《も》たなかったなあっはっはー』に似たニュアンスの|台詞《せりふ》を言われる気がするのでそれはそれで|癪《しやく》だ。  人の話を聞かずにしゃべり続ける所が少しあのガキと似ているなとも思ったが、それが気にかかったと認めるのは死んでも嫌だった。  よって、近くにあったファストフード店に空腹シスターを|蹴《け》り入れて財布を投げつけた所、『あれもこれも全部食べてみたい』という|馬鹿《ばか》げた台詞を|吐《よ》きやがったため、現在に至るという訳だ。  |一方通行《アクセラレータ》は過去に様々な|研究《プロジエクト》に体を貸している。金は使っていない口座にいくらでも放り込んであるのだから金銭面の問題はないのだが……しかしまぁ、これだけの数のハンバーガーをガツガツ消費していくこの修道女の許容量はどんなものなんだろう?  ちなみにこの修道女、両手で小さな|三毛猫《みけねこ》を抱えていたのだが、こちらはお|腹《なか》が減っていないのかハンバーガーに興味を示していなかった(どのみち、細かく刻んだタマネギが使われているので|駄目《だめ》なのだが)。コイツは地下街に迷い込んできた|野良猫《のらねこ》相手にミニャーミニャーと鳴き合っている。おそらく『今年の秋はしなやかな筋肉がくるらしいぜ』『ウソだろーっ!? オレずっと|爪研《つめと》いでたわーっ!!』みたいな事を話し込んでいるのだろう。この猫|達《たち》、|縄張《なわば》り意識とかはないのだろうか。  |一方通行《アクセラレータ》は、目の前に広がる暴食の光景を眺め、 「馬鹿げてやがる……。あのクソガキ相手にしたってここまで疲れたりしねェぞ」 「もが?} 「いちいち動き止めてねェで一気に食え。そして俺に何か言う事があンじゃねエのか?」 「ごきゅ。うん、ありがとうね」 「———一言かよオイ」  これは大変な人間と遭遇してしまった、と|一方通行《アクセラレータ》は首を|緩《ゆる》く振った。|日頃《ひごろ》からこんなのの相手をさせられている彼女の知人様にはご|冥福《めいふく》をお祈りする。  修道女は並べられたLサイズのジュースのボトルに口をつけ、ちょっとした小型ペットボトルほどの大きさの飲料をそれぞれ五秒で飲み干していくと、 「えとね、私の名前はインデックスって言うんだよ?」 「味分かンのかそれ?」 「とうまを捜してたんだけど途中でお|腹《なか》が減っちゃってね。というか、そもそもお腹が減ったからとうまを捜そうって思ったんだけど」  インデックスはジュースのボトルの中にあった細かい氷を口の中に放り込み、わずかに肩をふるふると|震《ふる》わせる。無邪気というか食欲|旺盛《おうせい》というか、口の周りにソースがついている事にも気づいていないようだ。こういうデメリットばかりが|打ち止め《ラストオーダー》に似ている。 「……チッ」  |一方通行《アクセラレータ》は舌打ちすると、ポケットティッシュを取り出して、無言でインデックスの顔に投げつけた。さらに彼女がビニール包装からティッシュを取り出すのに悪戦|苦闘《くとう》しているのを見て、ため息を|吐《つ》く。何だこの現代知識の欠如っぷりは。 (それにしても、コイツの目的も人捜し、ね……)  |一方通行《アクセラレータ》はついこの間まで毛布一枚でその辺をウロウロしていた不審人物の顔を思い浮かべた。、携帯電話のスイッチを入れ、小さな画面に|打ち止め《ラストオーダー》の顔写真のデータを表示して(カメラ機能があると言ったら奪い取られて勝手に使われた。フォーカスも何もなく、ただ画面いっぱいに顔があるだけ)、それをインデックスの方へ向けつつ、 「オマエ、こォいうガキを見た事あるか?」 「ないよ」  |一撃《いちげき》即答だった。  が、興味がなくて適当に言っているのではないようで、妙に自信に|溢《あふ》れている。 「私は一度見た人の顔は忘れないから、間違いないと思うけど」 「あン?」  |一方通行《アクセラレータ》は|眉《まゆ》をひそめたが、インデックスの方は大量のハンバーガーを食べたせいですっかり満足なのか、あんまり説明する気はないようだ。幸せそうな顔でテーブルにべちゃーと突っ伏す。 「いやー、でも良かった。もう一度言うけど本当にありがとうね。これでお|腹《なか》の事を気にせずとうまを捜しに行けるし。お腹がいっぱいになっちゃったからとうまを捜す理由も|薄《うす》くなっちゃった気がするけど、ここまで来たら見つけないと何となく気が済まないし」 「あァそォかよ俺は手伝わねェぞ」 「こっちに来てちょっと|経《た》つんだけど|未《いま》だに街の様子とか良く分からないし。私の頭なら道が分からなくなるなんて事はないんだけどなあ。もしかしたら単に覚えるだけじゃ|駄目《だめ》なのかも。でもどっちみちこうして学園都市の人と会えたんなら」 「そォかいヨソ当たれ」 「……、あなた、何やってる人? 忙しいの?」 「|生憎《あいにく》と大忙しだ」  |一方通行《アクセラレータ》は|杖《つえ》に力を込めて、|椅子《いす》から立ち上がる。  残念ながら、奇遇にも彼も人捜しなのだが。      3 「つまりお前は|御坂《みさか》妹とかを全部束ねてるホストコンピュータみたいなモンなのか?」  |上条《かみじよう》は目を丸くして尋ねた。  一通りの説明を終えた|打ち止め《ラストオーダー》(また偽名っぽいなあ……と上条は思ったが|黙《だま》っておく)は、その小さな両手をぶんぶんと振り回して、 「ホストというよりコンソールに近いかも、ってミサカはミサカは訂正してみたり。ミサカの中心点はどこにもなくて、ネットワークの中で特定の個休が『核』として存在する事にはあんまり意味がないの、ってミサカはミサカは偉そうに胸を張って講釈してみる」  何でも、大量の|妹達《シスターズ》が暴走を起こした時に、それを人間側の手で食い止めるために作られたのが彼女らしい。|妹達《シスタアズ》が作るある種のネットワークにそれ以外の者の手で介入するという、|最終信号《ラストオ ゲ 》との事だった。  その、話を聞くだけで何だかスゴそうなヤツ(正直、上条はあんまり具体的な実感が湧いていなかった)が、何でまたこんな所で油を売っているんだろう? と上条は疑問を抱く。 「あのねー、ミサカは『実験』の時にあなたに助けてもらったからそのお礼を言いに来たの、ってミサカはミサカは|鶴《つる》の恩返し的展開を提示してみたり」 「という建前で本音は何なんだよ?」 「|一瞬《いつしゆん》たりとも信用してないし! ってミサカはミサカは|地団駄《じだんだ》を|踏《ふ》んでみたり!! それはまぁあなたにお礼を言いに来たっていうのは偶然によるこじつけだけど、ってミサカはミサカは本心を明かしてみるけど!」 「じゃあ|俺《おれ》の不信感は正解じゃねえか」 「そのデリカシーのなさがミサカは頭にくるのーっ! ってミサカはミサカは両手を振り回してポカポカやってみる!!」  どうも怒らせてしまったらしい。  仕方がないので|上条《かみじよう》はあちこちを見回して、 「悪い悪い悪かったあそこでポップコーン売ってるからそれでお許しくだせぇ」 「女の子の|繊細《せんさい》な心理を食べ物ごときで|誘導《ゆうどう》できると思っているの!? ってミサカはミサカは|愕然《がくぜん》としてみる!!」  ありゃ? と上条は思う。  どうもインデックスを相手にした対処法が身に|染《し》みてしまったらしい。これはいけない、と上条は素直に反省したのち、 「ごめん。じゃあ断食な」 「食べるけど! ポップコーン大歓迎だけど! ってミサカはミサカはポップコーンはもらうけど怒るのはやめないという新技を|披露《ひろう》してみたり!!」  どっちなんだよもう、と上条はややウンザリしたが、|打ち止め《ラストオーダー》がぐいぐいと上条のズボンを引っ張っている所を見ると、やはり最終的には食べ物系で話は収まりそうだ。  上条はキャラメル系の甘ったるい味付けがされたポップコーンの円筒ボックスを買ってくると、それを|打ち止め《ラストオーダー》の小さな体にぐいーっと押し付ける。 「おお、ミサカの頭と同じぐらいの大きさがあるかも、ってミサカはミサカは徳用サイズに感心してみたり」 「……しまったな。どう考えてもお前の胃袋よりもビッグサイズな気がするんだけど」  まあ、知り合いの修道女はシャチでも難なく|平《たい》らげてしまいそうなぐらいだし、問題にするほどでもないかな、と上条は考えていた。  二分後。  ポップコーンの巨大な容器を片手で抱え、もう片方の手で口元を押さえ、思い切りうずくまってプルプルと|震《ふる》えている幼女が一人発見された。  いたたまれなくなった上条は、|打ち止め《ラストオーダー》の細い肩へと手を置いて、 「……残してもオツケーだぞ?」 「みゅ、ミサカはいただいた物を粗末に扱うようなお|馬鹿《ばか》さんではないゲブ」  ついさっきまでの事務的っぽい口調が|完壁《かんべき》に崩れている。そもそも、あの骨ったるいポップコーンを飲み物なしで完食しようというのが間違っているような気がしないでもないが。 (うーん。|御坂《みさか》のヤツもこれぐらい簡単に機嫌が直ると楽なんだが……)  やっぱり迫い駆けるべきだったかな? と思っていると|打ち止め《ラストオーダー》が飲み物を求めてきた。  仕方がないので|上条《かみじよう》は小さなペットボトルのミネラルウォーターを買ってくる、それで|喉《のど》を|潤《うるお》す事によって、ようやく|打ち止め《ラストオーダー》は本来の調子を取り戻した。  彼女は言う。 「ミサカはこれをかっぱらってきたの、ってミサカはミサカは戦利品を自慢してみたり」 「いきなり山賊宣言かよ。やるな御坂上位個体……って、ありゃ。何だこれ、ゴーグル? これ御坂妹とかがいつも着けてるヤツだよな……」  |打ち止め《ラストオーダー》がぐいぐいと指差しているのは、彼女の首にぶら下がったゴツいゴーグルだ。暗視装置のようにいかにも重たそうな軍用電子機器だ。御坂妹が奪われたとか何とか言っていたのはこれの事かもしれない。 「どうもこれはミサカのために作られたものじゃないから|上手《うま》く装着できないの、ってミサカはミサカはちょっとしょんぼりしてみる」 「はぁ? ようはゴーグルを固定するバンドの長さを調節すりゃ良いんじゃねーの?」 「?」 「貸してみ」  上条が言うと、|打ち止め《ラストオーダー》は彼の正面に立って、心持ち|顎《あご》を上げて|爪先《つまさき》で立った。これは単に首に下がっているゴーグルを取りやすいようにしただけである。この仕草に何らかの深い意味を感じ取ろうとしてはいけない。  指で触ってみると、バンドはゴム製だった。水中ゴーグルを思い浮かべれば分かりやすいかもしれない。ゴーグルの根元辺りに、長さを調節するための金具が備え付けてあった。 「ちょっとごめんなー」  言いながら、上条はゴーグル本体を|掴《つか》んだ。そちらの方が金具を引き寄せるのが簡単だったからである。分厚いゴムのバンドは上条に引っ張られて、みょーんと伸びた。  |打ち止め《ラストオーダー》はバタバタと暴れ、 「痛っ、いたたたた、ってミサカはミサ」 「わっ!?」  |驚《おどろ》いた上条はゴーグルから手を|離《はな》してしまう。  みょーんと伸びていたゴムバンドが元のサイズに戻っていき、  ばちーん!! と|打ち止め《ラストオーダー》の顔から良い音が聞こえた。 「……、」  ごろんごろんとその辺を転がっている|打ち止め《ラストオーダー》に、何となく話しかけづらい上条である。どうしたものかとオロオロしている彼に、やや涙目の幼女はそれでももう一度ゴーグルの下がった首を誇示するように、|爪先《つまさき》で立つ。 (いやぁ、今度。ばっかりは失敗できないなあ)  そういう事を考えている時に限って連続するものである、  ばちーん!! と詳細は省くが似たような音が|響《ひび》いた。  ここで|上条《かみじよう》は|打ち止め《ラストオーダー》に|蹴《け》り倒されてボコボコに|踏《ふ》まれまくったのだが、それで一応の気が晴れると、さらに彼女はゴーグルを上条へ差し出してくる。  健気だ。  その心意気に|応《こた》えるべく細心の注意を払う上条は、ようやく。ゴムバンドの長さを整える事に成功すると、それを|打ち止め《ラストオーダー》のおでこに引っ掛けてやる、そもそもゴーグル本体の大きさが彼女のサイズに合っていない感じだったが、何とかおでこからずり落ちずに済んでいた。  おおーっ!! と|打ち止め《ラストオーダー》は|嬉《うれ》しそうな顔で両手をおでこのゴーグルに当てて、くるくるとその場で回っている。  そう言えば、と上条は首を|傾《かし》げる。 (……コイツ、一人でこの辺をぶらぶらしてるのか? さっきまで|一緒《いつしよ》だった|御坂《みきか》妹もいなくなってるし、|離《はな》れ離れになっちまったのかも)  地下街だから実感は湧かないが、時刻はもう午後六時前で、そろそろ日も暮れる、こんな危なっかしい子供はさっさと保護者の下に届けてしまうべきだと思うのだが、さてその保護者は近くにいるのだろうか? (うーん、何だろう。もし保護者さんが近くにいるとして、その人から見た俺っていうのはどういう風に映るんだろう? やだなぁ、ウチの子に何するザマス的発言が飛んできそうな気がするなぁ)  と。  そこで上条は視線を感じた。  嫌な予感がする。 「どうしたの? ってミサカはミサカは素朴な疑問を投げかけてみる」  |打ち止め《ラストオーダー》の無邪気な声にも答えず、上条は己の背後を振り返る。  ゆっくりと、恐る恐る。 「|嘘《うそ》だろ……」  そこにいた人物を見て、上条は思わず|呻《うめ》き声をあげた。      4 「でね。とうまはいつもいつもいっつも私を置いてきぼりにしてどこかに行っちゃうんだよ。あれはもう|放浪癖《ほうろうへき》の一種なのかも。気がついたら旅に出ている人なんだよ」 「……、」  |一方通行《アクセラレータ》は現代的なデザインの|杖《つえ》をつきながら、昼と夜の区別がいまいちつきづらい地下街を歩く。電車やバスの終電が最終下校時刻に設定されているせいか、通路を行き来する学生|達《たち》の足取りは心なしか忙しい気がする。 「あれは何なんだろうね。別に今立ってる場所が嫌いって訳でも、これから向かう場所が特別好きって訳でもないのにさ。ふらふらふらふらふらふらふらふらーってどこかに行っちゃうの」 「……、」  とりあえず分かったのは、その『とうま』という人物が何者かは知らないが、話を聞く限りソイツはとんでもなく嫌なヤツだという事だけだ。なんというか、名前が出てくるたびにイライラする。  インデックスはその辺をウロウロしていた|三毛猫《みけねこ》を捕まえつつ、 「ところであなたはここで何してるの?」 「人捜しだ」 「さっきのケータイデンワーの子?」 「だったら何だよ」  |一方通行《アクセラレータ》は投げやりに答えた。  別に隠しておく必要はないし、この手のガキは下手に隠すと何度も何度も何度も聞き返してきそうで|鬱陶《うつとう》しい。少し似ている人間を知っているから分かる。  と、インデックスは三毛猫を抱き上げると小首を|傾《かし》げて、 「ねえねえ、そういえばまだお礼をしていなかったね」 「|黙《だま》って帰れクソガキ。オマエみてエな面倒臭いガキが|関《かか》わると余計に手間取りそォな気がするしよォ」 「まだお礼をしていなかったね」 「……、」  なかった事にされた。  |一方通行《アクセラレータ》がうんざりした目を向けていると、インデックスはお構いなしに、 「さっきの子なんだよね? とうまが見つかるまでだったら|一緒《いつしよ》に捜してあげても良いよ」  にっこりと笑ってそう言った。  自分が話しかけているのが一体どんな人間なのかも知らずに。 「……クソッたれが」 |完壁《かんぺき》なまでに無邪気な言葉に、彼は思わず吐き捨てた。  これは今日初めて知った事だが、他人の善意に付き合うのは思ったよりも疲れる。      5  そこにいたのは青髪ピアスと|土御門元春《つちみかどもとはる》だった。  彼ら二人は、一度|上条《かみじよう》の顔を見て、それから|打ち止め《ラストオーダー》の顔を見て、さらにもう一度上条の顔を見た。  それから彼らは言う。 「「この子ったらーっ!!」」  何だよその分かりづらいリアクションは!? と上条は叫び返す。すぐ|側《そば》では、早くも警戒し始めた|打ち止め《ラストオーダー》が上条の背中に隠れつつある。  土御門と青髪ピアスはお構いなしだ。 「にゃーっ! いや|小萌《こもえ》先生とかならまだ実年齢とか色々あるから分かるけどこれってどうなんだにゃー申し開きはできるのかにゃーっ!!」 「てっ、テメェ!! 節操なしにもほどがあるやろォォがァァ!! カミやんはどこまで全方位死角なしの体勢築いてやがんねん! もう縁側で背中を丸めて|膝《ひざ》に猫を乗せとる|可愛《かわい》らしいおばあちゃんとかにも声かけてそうやし!」  だが! と青髪ピアスと土御門は同時に上条の顔を|睨《にら》みつける。  彼らは最高の笑みを浮かべ、 「「友人として! 成功を祈る!!」」  この見るからに有害発言者な二人を|撤去《てつきよ》すべく上条は|拳《こぶし》を握る。 「お前ら……」  |幻想殺し《イマジンブレイカー》という名前は良い。まさにこういう時に振るうべきだと教えてくれる。  ボカボカポカポカーッ!! と|大乱闘《だいらんとう》を|繰《く》り広げる上条|達《たち》に、|打ち止め《ラストオーダー》は恐る恐る話しかけてくる。 「あ、あの、お友達? ってミサカはミサカは確認を取ってみたり」 「子供は見ちゃいけません! コイッらの生き様及び|馬鹿《ばか》トークはまだ刺激が強すぎます!!」  馬鹿どものおでこにR指定のスタンプを押すつもりで上条は拳を振るう。安息の日々はまだまだ遠そうだった。      6  |美琴《みこと》は腕を組み、ムカムカしながら早足で地下街を歩いていた。  こんな時でも|常盤台《ときわだい》中学の制服というのはとても目立つらしく、道行く学生達がチラチラとこちらに視線を投げてくる。いつもは全く気にならないのだが、今日に限って妙に神経を浅く浅くつついてくる。 (|罰《ばつ》ゲーム、ちゃんと約束したってのに、あの野郎……)  頭の中だけでブツブツと|眩《つぶや》く。  こんな内容でイライラしている事自体が|美琴《みこと》にとっては不快だった。どんな感情であれ、思考のウェイトの大半をあんなのに占められる事が納得いかない。  あの場(というかあの少年)から|離《はな》れる際にも、美琴はチラリとだけ後ろを振り返っていた。そんな中で、何よりも冷静に処理できなかったのは、 (……、ホッとしてやがった)  がつん、と思わず地下街の床を軽く|蹴飛《けと》ばしてしまう。  ため息が出た。 (そりゃそうよね、単なる罰ゲームなんだもん。自分で言ったくせにそれを忘れてるだなんて。まぁ、あっちだって嫌々あちこち引きずり回されて、一刻も早く解放されたいって一冒い分は当然なんだけどさ)  こうなると一人ではしゃいでいた自分が|完壁《かんぺき》に間抜けだ。  美琴は電話会社の小さな紙袋へ目を落とした。そこから顔を|覗《のぞ》かせている、小さなカエルのマスコットを見ながら、 (……当然なんだけど、さ……)  何だかものすごく置いてきぼりにされた気分だった。  ピカピカに|磨《みが》かれた地下街の柱に、口を|尖《とが》らせている自分の顔が映った。それだけで美琴は己の顔に平手打ちを|叩《たた》きつけたくなる。 (あの|馬鹿《ばか》の行動は別に罰ゲームのルール違反って訳じゃない。あの子[#「あの子」に傍点]が|側《そば》にくっついてたって問題ない。なのに、私は一体何をやってんのかしら)  冷静になるとかなり大人気なかったかもしれない、と美琴は思った。  何が罰ゲームだクソッたれ。  こんな気分になるぐらいなら最初から|大覇星祭《だいはせいさい》で勝負などしなければ良かった。結局なんだかんだで損をしているような気がする。美琴本人はもちろん、周りの連中にまで。  ちょっと部屋の隅で|膝《ひざ》を抱えたくなってきた。  なんというか、今すぐここでやり場のないストレスをどうにかしたい。  なんかないのか。 (……、)  辺りを軽く見回すと、娯楽系のお店はゲームセンターが一軒あるだけだった。そのお店の前には難易度激高で知られるスキルアタックというゲームが置いてある。ようは能力測定機械を応用したもので、耐ショック機構を備えたミット型の『標的』に能力を叩きつけて、その力の強さを数字で出力するというだけのストレス解消マシンだ。  |美琴《みこと》はふらふらとそちらへ近づいた。ここでゲームセンターの|隣《となり》にある洋菓子店が|完壁《かんべき》に見えなくなっている時点で、彼女の神経がどれだけささくれているかが|窺《うかが》えるだろう。  今の彼女に|乙女《おとめ》らしさとかはない。  一〇〇円玉を何枚か投入する。  肝心の『標的』部分は看板みたいなデザインだった。鉄パイプ製の柱にウレタンっぽい素材の四角い|打撃《だげき》ミットがくっついている。マシン全体に比べて標的部分だけが妙にピカピカしている所を見ると、おそらく使い捨てなのだろう。一日おきに交換しているのかもしれない。 (どうせ|超能力《レベルら》には対応してないんでしょうね)  はー、とため息をつく美琴。  この手のマシンは大体、|大能力《レペル4》までが限界で、そういう売り文句であっても一般的には|強能力《レベル3》ぐらいに抑えるのがマナーである。 (ったく、ストレス解消にまで手加減しなくちゃいけないだなんて……)  口の中でブチブチ文句を垂れている美琴は、ふと小さな注意書きを見つけた。  そこにはこうある。 『最新バージョンは能力の使用を前提としています。|超能力《レベル5》使用解禁を目標に実地データを収集していますので|是非《ぜひ》ご協力を!』 「……、」  美琴はピタリと動きを止める。  それから、体中のストレスが内側から測き出てくるように、彼女はニヤリと|微笑《ほほえ》んだ。  彼女のサラサラした前髪から、バチン、と不気味な火花の音が散る。  |御坂《みさか》美琴は深く深く、|黙《だま》って息を吸い込んでいく。  ご協力する事にした。  割と全力で。 「あんのクソ|馬鹿《ばか》!! 人の! 交わした! 約束をッ! 何だと思ってんのよ!! わ・た・し・が、|大覇星祭《だいはせいさい》の時にはいちいち得点表を細かくチェックしてまで頑張ってたってのにーっ!!」  バチィドゴンバギンバリバリ!! という|轟音《ごうおん》と共に能力測定機械を応用したゲームマシンが前後左右上下に揺れまくる。ある程度の耐ショック機構ぐらいは備わっていたのだろうが、本体と床を|繋《つな》いでいた|耐震《たいしん》補強具を引き|千切《ちぎ》るほどの勢いに負けて、プープーと間の抜けた警告音を周囲に鳴らし始める。ほのぼのした地下街の空気は一転し、周囲を歩いていた学生選が『うぎゃあ!?』『な、何だありゃーっ!』『待ってちよっと待っでーっ!!』と逃げ惑う。  ぜーぜーはーはー、と思いの丈をぶつけてみた美琴が肩で大きく息をする。  ピロリン♪ と小さな電子音が鳴った。  見ると、どうやらハイスコアを更新したらしい。 「……、むなしい」  |美琴《みこと》はポツリと|眩《つぶや》く。 「……、」  結局、大型機体から|離《はな》れて、来た道を戻る事にした。  一人で怒っていても仕方がない。大人気がなかったのは認めて謝る事にしよう。別に|妹達《シスターズ》がプレゼントをもらう事には何のミスもないのだ。あの|馬鹿《ばか》に対して素直に頭を下げられるかどうかは|甚《はなは》だ疑問だが、ここはちょっと大人になってみよう……とか何とか考えながら彼女は一度深呼吸する。  ただ、|罰《ばつ》ゲームは罰ゲーム。  せっかくもぎ取った|大覇星祭《だいはせいさい》の戦利品を、あれで終わりだと思われるのも心外だ。  いずれにしても、もう一度会って話してみないと、と美琴は歩調を速めた。      7  何とか青髪ピアスと|土御門元春《つちみかどもとはる》に反省を促す事に成功すると、|上条《かみじよう》は携帯電話の時計機能を確認した。すでに午後六時を過ぎている。地下街の外、地上はもう|陽《ひ》が落ちて夜になっているだろう。 「ううむ、個性的なむ知り合いだったかも、ってミサカはミサカは腕を組んで首をひねってみたり。そして|未《いま》だにやや消化不良な部分があるのはどうしてなんだろう、ってミサカはミサカは放たれた言語を一つ一つ再チェックしてみる」  |打ち止め《ラストオーダー》はこのような事を言っていたが大した問題にはならないだろうと上条は|踏《ふ》んでいた。意味が分からないのであればそれでよいのだ。 「む、もうこんな時間だ、ってミサカはミサカは少々|焦《あせ》ってみたり」  唐突に彼女はそう言った。  見た所、壁掛け時計のようなものは存在しないし、地下街では空の様子も見えない。だとすると、ウワサのミサカネットワーク経由で何らかの情報を得ているのだろうか。  |打ち止め《ラストオーダー》はこちらをくるりと振り返ると、 「あのねー、ミサカはそろそろ帰らないといけないの、ってミサカはミサカは残念なお知らせをしてみたり」 「ま、時間が時間だからなぁ」  上条としては、こういう子供はもう帰るべきだろうと考えていたのでちょっと安心だ。  うん、と彼女は小さく|頷《うなず》いて、 「本当はもっと|一緒《いつしよ》にいたかったんだけど、ってミサカはミサカはしょんぼりしてみたり、ここで会ったのはたまたまだったんだけど、お礼をしたかったって気持ちは本当だし、ってミサカはミサカは心中を|吐露《とろ》してみる」  |打ち止め《ラストオーダー》はおでこのゴーグルに両手をやった。  これもやってもらったしね、と彼女は言う。 「でも、あの人[#「あの人」に傍点]は心配すると思うんだ、ってミサカはミサカは思い出しながら先を続けてみたり。あんまり遅いと今度はミサカの事を捜すために街に出てくるかもしれないし、ミサカも迷惑とかはかけたくないから、ってミサカはミサカは笑いながら言ってみる」  ふうん、と|上条《かみじよう》は適当に|相槌《あいつち》を打った。  |誰《だれ》だか知らないけどその相手は良いヤツっぽそうだな、と漠然と感想を抱く。 「弱いんだよ」  |打ち止め《ラストオーダー》は続けた。 「あの人はいっぱい傷ついて、手の中の物を守れなかったばかりか、それをすくっていた両手もボロボロになっちゃってるの、ってミサカはミサカは断片的に情報を伝えてみたり。だからこれ以上は負担をかけたくないし、今度はミサカが守ってあげるんだ、ってミサカはミサカは打ち明けてみる」 「そっか」  言っている事の意味の半分も理解できていないだろうが、上条は|頷《うなず》いた。  |打ち止め《ラストオーダー》の口調に|偽《いつわ》りはない。  良いヤツっぽいんじゃない。きっとソイツは、間違いなく良いヤツだ。 「格好良い所もあるんだよ、ってミサカはミサカは補足してみたり。だって血まみれになってもボロボロになってもミサカのために戦ってくれたんだ、ってミサカはミサカは自慢してみる」  何だろう。ソイツの行動パターンにはものすごく親近感を覚えるのだが、根拠のない事は口には出さないようにしておく。  ばいばーい、と手を振って駆け去っていく|打ち止め《ラストオーダー》を、上条はしばらく見送っていた。最終下校時刻、つまり終電の時間が迫っているせいか、にわかに|慌《あわただ》しくなり始めた地下街の人混みの中をすり抜けていく小さな体は、あっという間に見えなくなった。  さて帰ろうか、と上条はきびすを返そうとした所で、ふと視界に見覚えのある人物を|捉《とのつ》えた。 「ん?」 『彼女』はこちらへ近づいてくる。      8 「あ、とうまだ……」  |傍《かたわ》らにいたインデックスがピタリと動きを止めた。  彼女は通路の先を見ている。 「オマエが捜してたヤツか」 「うん」  |一方通行《アクセラレータ》はそちらへ漫然とした視線を向けたが、人混みのせいでそれらしい影は見当たらなかった、そもそもこの状況で、|誰《だれ》を指して『捜し人』だと言っているのかも分からない。  インデックスは|一方通行《アクセラレータ》の顔を見上げてくる。  彼は言った。 「行けよ」 「でも、あなたの知り合いの方は?」 「心配すンな」 |一方通行《アクセラレータ》は|吐《は》き捨てるように一言。「こっちも今見つけた」  彼がそう言葉を投げかけた方向も、インデックスと同じく前方だった。中高生メインの人混みを捌き分けるように、小さな女の子がこちらに向かって走ってくるのが見える。  |一方通行《アクセラレータ》は彼女の名前を知っている。  それが本名であるかどうかなど知らないし、研究者が書類を作成するためだけに作り上げた便宜上の名前にどれほどの価値があるかも分からない。しかし、それを言っては|一方通行《アクセラレータ》も同じだ。彼の本当の名前を知っている者などどこにもいないだろう。  どんなものであっても、呼び名が一つしかないのなら、やはりそれが彼女を示す名前だ。  だから|一方通行《アクセラレータ》は声に出す。 「ラストオーダーッ!」  呼ばれた事に気づいて、小さな少女はより一層足を動かす勢いをつけていく。|馬鹿《ばか》みたいに|嬉《うれ》しそうな表情がその顔に張り付いている。  それを見ていた|一方通行《アクセラレータ》の横で、とん、と小さな足音が聞こえた。 「じゃあ行くね。ありがとう」  インデックスはそれだけ言うと、 「とうま!!」  軽い足音に力が|籠《こも》る。ほんの数十分の問だけ行動を共にした少女は、彼の元を|離《はな》れて人混みの向こうへと走っていく。  彼女は振り返らない。  |打ち止め《ラストオーダー》が振り返らないように。  二人の少女は地下街の一点で交差し、すれ違い、お互いに気づかないまま、|距離《きより》を離す。  それぞれの行くべき場所へと走っていく。  |打ち止め《ラストオーダー》が|一方通行《アクセラレータ》の元へ飛び込んでくるまで、一〇秒もかからなかった。 「ただいまー、ってミサカはミサカは定番のあいさつをしてみたり……って痛ッ! 何で無言かつ連続でチョップするの!? ってミサカはミサカは頭を押さえて|嘘泣《うそな》きしてみる!!」  ビシビシと少女の頭を|叩《たた》き続ける彼は、不満の|全《すベ》てをぶちまける。 「っつか、オマエは今さっきまでナニしてたワケ?」 「遊んでもらってたの、ってミサカはミサカは正直に答えてみたり」  ふン、と|一方通行《アクセラレータ》は息を|吐《は》く。  あのはた迷惑なシスターの方はどうなったのか、ともう一度だけ人混みの向こうを見た。  しかしそこから得られるものは何もなかった。  ただ、漠然とした『人混み』があるだけだった。  いつも通りに。 [#改ページ]    行間 四  現象管理縮小再現施設。  サーシャ=クロイツェフが席に着いている建物の名前がそれだった。  より厳密には、ロシア成教が作り上げた建造物の集合体だ。ロシア成教は主に|心霊《しんれい》現象の解析や解決を目的とする団体だが、彼らは事件が起きると、その現場と全く同じ施設を原寸大で作り上げる。  その|徹底的《てつていてき》な|緻密《ちみつ》ぶりは『|容赦《ようしや》がない』と表現するのが一番だろう。  十字教においては、死んだ人間の|魂《たましい》は天国、|煉獄《れんごく》、地獄のいずれかに向かう。従って、この世に|留《とど》まる魂など存在しない。……事になっている。なので、地上で『生前を|騙《かた》る何者か』は|全《すべ》て『死の|哀《かな》しみに付け入る|偽物《にせもの》』である、と考えるのがロシア成教の考え方だった。ジグソーパズルの欠けたピースのように『消失する事で出現する作用』などと定義する訳だ。  ただ、ジヤック・オー・ランタンのように、ごく|稀《まれ》に(本物の)さまよえる魂が出現する事もある。が、そういったものは『天国へ行く資格もなく、地獄からも|締《し》め出された』罪人の魂であると十字教では判断される。  生前を騙る者はすべからく死すべき者。  結論はその一点だ。  本物だろうが偽物だろうが、いずれにしても敵なのだ。その手の面倒臭い連中は『|一緒《いつしよ》にまとめて処分する』というのがロシア成教のやり方だ。|幽霊《ゆうれい》の未練とか思い出話とか恨めしやーとかはどうでも良いのだ。地上をさまよった時点で悪。そういう細かい事情は騨で笑って|叩《たた》き|潰《つぶ》すのが|流儀《りゆうぎ》である。  もちろん例外として『神の子』や一二使徒などの手によって生き返った人間の話はある。が、それは『神の子』や聖人の中でも歴史上トップクラスの者だからこそ|為《な》せる|業《わざ》であり、そこらの罪人だの恨み持つ死者だのに、そんな事ができる訳がない。  そういった『問答無川で敵を倒す』ための捜査情報を手に入れる施設。  それがここだ。  ハリウッド映画の撮影で砂漠の真ん中に街を作ってしまうような感じだが、その精密さは裏側がハリボテの撮影大道具の比ではない。  また、当初は一件二件の物件だったものが、その周りに次々と新たな『参考物件』を築き続けたせいで、現在では街の二つ三つが丸々収まるほどの広さに膨らんでいた。この辺りが、ユーラシア大陸を丸々横断するほどの|莫大《ばくだい》な国土を持つ、ロシアならではのやり方と言える。  サーシャが紅茶にブランデーを垂らし、書物を片手にカップを傾けているのは、とある宮殿を|完壁《かんぺき》に模した建物だった。現象管理縮小再現施設という、この長ったらしい名前の映画村みたいな施設の中でも一番の古株とも言える『参考物件』だ。  様々な文化の入り混じった宮殿は、オカルト的には十字教圏の下地を持つものの、屋根のてっぺんにはタマネギのように|膨《ふく》らんだオブジェが乗っかっている。 「……、」  サーシャは小柄な体型に似合わず、まるで甘党が砂糖をドバドバ入れるようにブランデーを紅茶に何度も振る。香りづけではなく、これでは単なる紅茶味のアルコール飲料である。  彼女が手にしている分厚い本には、『異形としての天使の実像』とタイトルが|箔押《はくお》しされている。『原典』は『宮殿』にあるはずだが、その本はこの施設の小道具として、一文字に至るまで完壁に再現されている。|魔道書《まどうしよ》図書館でもないのに『写本』の数が多い事でも有名な施設なのだ。 (——天使を人体に降ろした場合の注意事項)  サーシャの手が、目的のページでピタリと止まる。  その小さな指先が、まだ印刷技術の確立されていなかった|頃《ころ》の手書きの文字をなぞる。|普段《ふだん》あまり慣れていない暗号解読技術に時折|眉《まゆ》をひそめているが、それでも彼女は休まない。慣れない作業をするだけの理由があるのだ。  彼女の体には異変が起きている。  目に見えて分かる部分では不定期な指先の細かな|震《ふる》え。そして目に見えて分からない部分では|魔力《まりよく》の異常感知体質……というより、一種の拒絶反応に近い。度合いにもよるが、大きな魔力を間近で使われると胸に圧迫感のようなものを受けるのだ。  それは八月下旬から感じていたのだが、サーシャ自身には全く心当たりはない。大掛かりな施設で体を調べさせた所、どうも高密度の『|天使の力《テレズマ》』を長期間にわたって身に宿し続けた状態に似ているとの事だったが、そういった魔術実験を行った節もない。  自分の体に何が起こったのか。  それを調べるのは、サーシャ個人ではなく、すでにロシア成教全体で秘密裏に承認されている|懸案《けんあん》事項と化していた。『|天使の力《テレズマ》』自体は十字教徒なら|誰《だれ》でも借りているものだし、それを人の身に直接宿す事も珍しくない。サーシャだって|戦闘時《せんとうじ》には使っている。だが、今回のような特殊な『症状』が出るのはこれが初めてだった。  彼女の所属する『|殲滅白書《Annihilatus》はおろか、その枠を超えたロシア成教全域がサーシャの件に注目しているのも気になる。何かあるな、とサーシャは|勘繰《かんぐ》っているものの、今はとにかく自分の体が先決なのだった。 『この世で最も大規模な「|天使の力《テレズマ》」が人に宿ったのは言うまでもなく受胎告知その時である。「神の子」の総量、つまりこの世界を支え導くほどの絶大な「|天使の力《テレズマ》」を|胎《はら》に収めた場合、通常なら間違いなく爆死する。しかし聖母は神たる父性の|対《つい》となる己の特性を最大限に———』  ふむふむ、と文字を追って|頷《うなず》いているサーシャは気づかなかった。  すぐ背後から迫る|魔《ま》の手に。 「サーシャちゃぁん♪」  恐るべき猫なで声に、彼女の無表情な顔全体がビクゥ!! と|震《ふる》える。  しかしもう遅い。  サーシャの両脇の下から二本の手がニュッと飛び出てくると、彼女が警戒態勢を取る前に小さな胸を、ぎゅむーっとホールドしてしまった。  背後の声は語る。 「いやー読み物に夢中で周りが見えていない勤勉家なサーシャちゃんに息抜きタイムだよー? って、ぬぅおおおあ!?」  後半部分が絶叫になっていたのは、サーシャが腰に差していた|金槌《かなづち》とL字の|釘抜き《バール》を取り出し臨戦状態へと突入したからだ。何らかの|魔術的《まじゆつてき》な処置が|施《ほどこ》されているのか、金槌の|打撃面《だげきめん》に触れただけでテーブルが、ベコォ!! とクレーター状に大きくへこんで爆発する。  サーシャ=クロイツェフは凶器ごと振り返る。  今まで背後に|潜《ひそ》んでいた人物は顔を真っ青にして、 「さ、サーシャちゃん? ここは事件現場を|霊的《れいてき》に完全再現させている施設であってここの備品をそう簡単にポンポン|壊《こわ》されちゃうと施設としての役割とかがね———ッ!!」 「第一の解答ですが、始末書ならニコライ=トルストイ司教様へどうぞ」 「いやそれを書くのはサーシャちゃんなんですよ! ちくしょうでもそんなトボけたサーシャちゃんがとってもラヴリーに見えるのはどうしてーっ!!」  わたわたわたわたわたーっ!! と両手を振りまくるその人物に、サーシャはため息をつく。  彼女は、サーシャの直接の上司だ。  名前はワシリーサ。その自い肌に|若干《じやつかん》の衰えが見え始めている女性で、何だか紫外線とかお肌の|染《し》みとかを極端に気にしていたりもした。『あらざる者』との戦いは夜間が基本だというのに、ここ最近は『|徹夜《てつや》はお肌に悪いよねー』とか言って一人で勝手に帰宅しようとする|悪癖《あくへき》が浮上してきたため、サーシャが投げ|縄《なわ》をワシリーサの胴体に引っ掛けて『標的の群れ』のど真ん中へ放り込む事も多い。  それにしても『ワシリーサ』だ。  何でロシア民話におけるヒロインの名前を引っ張ってきたかは知らないが、当然のように偽名だった。歳は二〇代の後半ギリギリらしいが、正確な数字は講も知らない。女は識が多い方が! とか言っていたが、ようは誕生日に誰も祝ってくれないんでしょうと返したら半日はうな垂れていた。  この上なく大人気ない上司に、サーシャはさんざん迷惑をかけられている。過去形ではなく現在進行形な辺りがポイントだ。  ワシリーサはサーシャの読んでいた本のページを追い駆けると、 「またカビ臭いの読んでるわねー。あれかな、結局サーシャちゃんの体の異変の正体はまだ|掴《つか》めてないのかな? それならこの私の身体検盗でえへへあは」  サーシャは手の中でくるくる回していた|金槌《かなづち》をワシリーサの頭頂部に振り下ろした。  ゴン!! という鈍い音と感触を確かめつつ、 「第一の質間ですが、金槌とドライバーはどちらがお好みですか?」 「すでに振り下ろしてから尋ねるような質問じゃないわねぇ。サーシャちゃんたら相変わらず常識知らずな|破壊力《はかいりよく》を誇ってるんだからー」  対人|拷問《ごうもん》用の|魔術《まじゆつ》効果を持つ金槌を受けても顔色一つ変えない上司には言われたくない。おちゃらけているが、実力は確実にサーシャ以上だ。 「そう言えば、サーシャちゃんに宿っていた『|天使の力《テレズマ》』って|後方の青色《ガブリエル》なんでしょ?」 「第二の質問ですが、だから何なのですか」 「それも普通では考えられない、下手すると一二使徒以上の総量だって話なんでしょ?」 「第三の質問ですが、それが」 「ぶぷー。『神の力』って受胎告知を引き受けた天使だったのよねぇ。しかも一二使徒以上の力を女性の体内へ押し込めたって事はー、あら? あらあら? サーシャちゃん。あなたもしかしてー、お|腹《なか》がふっくらしちやってブゴゥーッ!?」  サーシャがノコギリを振り回し、ワシリーサは笑顔で|直撃《ちよくげき》した。  傷一つない。 「やーごめんごめん。そうよね、|日頃《ひごろ》からそんなヘビーな拘束服を装着しているサーシャちやんは快楽ナシの子作りなんて耐えられないよねー?」 「第四の質問ですが、神聖なる新約の一ページを|汚《けが》すなクソ野郎。付け加えて解説しますと、そもそもこの拘束服は貴様が職権乱用させて強引に着せたもののはずです」  サーシャの着ているものは、赤いマントの下にインナーそのもののようなすけすけのスーツと黒いベルトで構成された拘束服という、その辺の夜道に出てくる|変質者《オツサン》みたいなものだった、。ワシリーサは『「あらざる者」に体を乗っ取られそうになった際、最後の手段として自分で自分を|縛《しば》るんだよー』とか言っていたが、どう考えてもこれは上司の|趣味《しゆみ》だ。  サーシャとしてはこんなふしだらな拘束服など触れたくもない訳だが、残念ながらワシリーサは彼女直属の上司であり、彼女の書類上の誓約は守らなくてはならない。こんなしょうもない事に反発して修道院(という名の営倉)送りにされるのも|馬鹿馬鹿《ばかばか》しい。  当然ながら、ロシア成教のシスターが全員こんな格好をしている訳ではない。ロシア成教とはそんな変態の集まりではない。  サーシャは赤いマントで改めて自分の体を隠しつつ、己の上司を|睨《にら》みつける。  |至極《しごく》まっとうな、赤色の修道服に身を包んでいるワシリーサはケラケラと笑い、 「えー、そんなに気に入らない?」 「第二の解答ですが、その質問自体が私の人格を|侮辱《ぶじよく》していますね」 「じゃあ衣装を変更しよう」  あっさり言われた。 「……?」  ちょっとだけ面食らったサーシャは、|邪魔《じやま》っけな自分の前髪越しに上司を見る。ワシリーサは自分の足元に置いてあった古臭い|鞄《かばん》の中をごそごそ|漁《あさ》ると、 「いやぁー。今ねー、所用で学園都市の事とか島国のオカルト事情とかを調べてるんだけどねー」 「……、」  嫌な予感がする。  あの鞄の中身を見てはいけない気がする。  占星施設の助けを借りてもいないのに|何故《なぜ》か|薄《うす》ら寒い『予感』がビシバシ伝わってくる。 「あのねー、学園都市の中には特有の文化があるのよ。ここでいう文化っていうのはもちろんアレよ。日本って国は本当に参考になるわ。もー、ちょっと本格的な資料を手に入れて、気合込めて一針一針|縫《ぬ》っちゃいました。あは♪」  サーシャは扉の方を見る。  厚さや材質はどんなものだったのかを計算し始めた所で、 「ねえサーシャちゃあん。|超機動少女《マジカルパワード》カナミンって知ってる?」  L字の|釘抜《バール》きで重たい扉をぶち破って逃げた。  ワシリーサが満面の笑みを浮かべてベロンと広げている『衣装』を見て、|迂闊《うかつ》にもサーシャは涙が出るかと思った。フランス経由で日本の怪しげな〇TAK!!文化を収集しているのは知っていたが、いくら何でもあそこまでセンスが飛んでいるとは思いもしなかった。  あんなテカテカでピカピカの格好だけは|駄目《だめ》だ。  サーシャ=クロイツェフはロシア成教の特殊部隊『|繊滅白書《Annihilatus》』に属する|戦闘《せんとう》修道女だ。この世の『あらざる者』の絶滅を望む彼女|達《たち》の戦いは|過酷《かこく》なものであり、あんなヒラヒラのペラペラで戦場を走り回って良い道理はない。  部署を変えた方が良いかもしれない。  |誰《だれ》だって、あんなハードな衣装をまとって戦死したくはない。 [#改ページ]    第五章 曖昧に過ぎていく日没 Hard_Way,Hard_Luck.      1 「おおー、雨が降ってる、ってミサカはミサカは夜空を見上げてみたり。ミサカはお月様を見たかったのに、ってちょっとしょんぼりしてみる」  |打ち止め《ラストオーダー》は真っ暗になった街の中で、|掌《てのひら》で雨滴を受けている。  学園都市は最終下校時刻を過ぎると電車もバスもなくなるため、ほとんどの住人は表からいなくなる。後に残っているのは、今日は帰らなくても良いやと考えているようなガッツの入った夜遊び派だけだ。近くに見えるトタン屋根の簡素なバス停にも、今は|誰《だれ》もいない。  パラパラと雨が降っている。  傘を差すほどではないが、それでも表通りからは、そういった夜遊び派の学生|達《たち》も消えていた。路上でダベらずに、どこかの店に入って|騒《さわ》いでいる事だろう、  |一方通行《アクセラレータ》は、落ち着きなくあっちこっちをうろうろしている|打ち止め《ラストオーダー》をうんざりした目で眺めて、 「|鬱陶《うつとう》しいからその辺で固まってろ」 「あ、あそこのバス停で雨宿りしているのは最近この辺りをウロチョロしている子犬ちゃん!? ってミサカはミサカは猛ダッシュで追跡を開始してみた———ッ!!」 「首輪とリードが必要かなァクソガキ!?」  むんずー、と小さな少女の首の後ろを|掴《つか》んでおく。ここでもう一度逃げられたら再び追い駆ける気力は出ない。八つ当たりでその辺のビルが倒れるかもしれない。  |打ち止め《ラストオーダー》は両手をパタパタ振って、 「ミサカはここまで過保護にされなくても|大丈夫《だいじようぶ》かも、ってミサカはミサカは自由と解放を求めてみたり」 「ナニをフロンティア精神に|溢《あふ》れた寝言|吐《は》いてンだコラ。そもそも保護してねェしこれ以上手間ァ取らせると腹ァ|殴《なぐ》ってブッツリ意識切っちまうぞ。そっちの方が楽そうだし」 「またまたー、そんなに照れなくっても、ってミサカはミサカは人差し指でつんつんしてみた———|何故《なぜ》そこで力強く|拳《こぶし》が握られるの? ってミサカはミサカは激情|緩和《かんわ》用にこやかスマイルを浮かべて尋ねてみたり」  面倒臭ェ、と心の中で|眩《つぶや》きつつ、彼はため息を|吐《つ》いた。  |小綺麗《こぎれい》な日常の|全《すべ》てが光り|輝《かがや》いている訳ではない。不満なんてどんな世界にも必ず存在する。 |全《すべ》ての面で自分にとって都合の良い究極の世界とは、突き詰めれば他人の事情を全く無視した独善の空闘を指すだけなのだから。  この気だるげな面倒臭さは、この世界に住むために払う契約料のようなものだ。  分かっている。  |一方通行《アクセラレータ》は自分の内面に、皮肉げな笑みをさらす。  慣れというのは恐ろしい。  今ここにある環境を当然のように受け入れて、あまつさえ不満すら|漏《も》らしている自分自身というのは、一体何様のつもりなのだろう。  あれだけの事をしたのに。  ここに立っていられるだけでも雲の上にいるらしい神様とやらに感謝すべきなのに。  と、歩きながらつらつら考え事をしている|一方通行《アクセラレータ》の耳に声が届く。 「痛っ!! ……転んだー、ってミサカはミサカは地べたで状況報告してみたり」 「単なる泣き言だろォがよ」 「すりむいた、ってミサカはミサカは|掌《てのひら》をじっと眺めてみる」  雨で|濡《ぬ》れた道路から起き上がった|打ち止め《ラストオーダー》はちよっと泥で汚れていて、路上の水分で濡れた両手には小さな傷ができていた。赤い色が、じんわりと|染《し》み出てきている。 「消毒が必要かも、ってミサカはミサカはちょっと涙目になってみたり」 「ツバでも付けとけよ」 「消毒が必要かもーっ!! ってミサカはミサカは全く同じ|台詞《せりふ》を号泣気味に絶叫してみたりーっ!!」 「……どこまでも|鬱陶《うつとう》しいヤツ。イイからさっさと|黄泉川《よみかわ》ントコ帰るぞ」 「———、」  |打ち止め《ラストオーダー》が無言になった。  |一方通行《アクセラレータ》がそちらを見ると、彼女は小さな唇を|噛《か》んでポツリと言った。 「分かった、ってミサカはミサカは納得してみたり。ここは痛いけど|我慢《がまん》してみる、ってミサカはミサカはテクテク歩いてあなたの後ろをついていってみる」  彼の言う事を守ろうとしているのか、|打ち止め《ラストオーダー》は正面を向いて、もう掌の傷の方へは視線を投げたりもしない。  しかしそれは、無理に傷口から目を|逸《そ》らそうとしているようにも見えた。  |打ち止め《ラストオーダー》は小さな口を引き結んで、何も言わずに|一方通行《アクセラレータ》の後に続く。言葉がないのがかえって妙なプレッシャーを与えてきた。今にも泣きそうな空気というヤツである。 「……クソッたれが」  チッ、と|一方通行《アクセラレータ》は舌打ちする。  |騒《さわ》がれても鬱陶しい。彼は現代的な|杖《つえ》をついていない方の手で|打ち止め《ラストオーダー》のおでこに指を当てると、そのまま後ろへ押した。大した力ではないのだが、意表を突かれた彼女の体がそのまま倒れていく。 「わっ! ってミサカはミサ———ッ!?」  バタバタ両手を振った|打ち止め《ラストオーダー》だが、バランスは取り戻せずにそのまま|尻餅《しりもち》をつく。  そこは硬いアスファルトではない。  屋根のついたバス停のベンチだ。  |打ち止め《ラストオーダー》はキョトンとした顔で、トタンの簡単な屋根に守られたバス停のあちこちを見回している。  |一方通行《アクセラレータ》はそちらを見ないで言った。 「そこで待ってろ。勝手に動いたら|叩《たた》き|潰《つぶ》すぞ」  路上に|唾《つば》を吐く。  |忌々《いまいま》しげに舌打ちすると、彼は現代的なデザインの|杖《つえ》をついて薬局へと向かった。二〇〇メートルほどの|距離《きより》しかなかったが、それだけを歩くのがすごく面倒臭い。  店内に入る。  だだっ広い薬局は、様々な棚が縦横無尽に置いてあり、それだけ見ると圧迫感がある。が、|天井《てんじよう》までの高さが棚の五倍ぐらいあるので、そのためにいくらか感覚が軽減されていた。  最終下校時刻を過ぎているせいか、店内にはほとんど客がいない。  薬局という特性上ずっと店を開けていないといけないのだろうが、正直店員を見るとさっさと閉めてテレビが|観《み》たいと顔に書いてあるようだった。  消毒液と包帯……と思い、それから考え直して|絆創膏《ばんそうこう》にした。本当に小さな傷だ。包帯を用意するまでもない。 (過保護)  生意気な|台詞《せりふ》を思い出して|一方通行《アクセラレータ》は苦い顔になった。  買い物カゴを腕に下げ、気遣わしげな顔で絆創膏の箱と|睨《にら》めっこをしているなんて、尋常ではない。一体|一方通行《アクセラレータ》はどこのネジが外れてしまったのか。|苛立《いらだ》った顔で絆創膏のパッケージをカゴへ投げ込み、杖をついてレジへ向かう。  財布を開けると小銭しか残っていなかった。  インデックスと名乗る変な修道女の食費に消えたと思い出したのは少し|経《た》ってからだ。 「……、クソッたれが」  ポソッと|呟《つぶや》くと、レジの奥に立っていた店員がビクッ!! と肩を|震《ふる》わせた。|一方通行《アクセラレータ》の正体までは勘付いていないだろう。だが、体から発散されているオーラが危険すぎた。  と、レジカウンターのすぐ近くに備え付けられた棚に、カラフルな絆創膏が並べてあるのを発見した。どうやら子供向けのものらしい。|大覇星祭《だいはせいさい》に合わせてフェアを組んでいたものの余りらしく、簡単な|怪我《けが》のためのキットがあれこれ並んでいる。 「これは何だ。普通のヤツとどォ違う?」  尋ねると、店員は口から心臓が飛び出しそうな顔で必死に答えた。どうも傷口に|染《し》みない消毒液や、傷口にくっつかない|絆創膏《ばんそうこう》、薬臭さを消すために甘い|匂《にお》いのついた包帯など、まさしくガキ向けの工夫。が|凝《こ》らされたものらしい。  子供向け、と|一方通行《アクセラレータ》がわずかに考え込んだ所で、 (過保護)  ゴン!! と片足でレジを蹴っていた。  店員が失神しそうな顔で笑みを浮かべている。ただ、|一方通行《アクセラレータ》が子供向けと書かれた消毒液と絆創膏をカゴへ投げ込むと、店員の表情がわずかに|緩《ゆる》んだ。見た目によらずカサブタが嫌いな子とでも思われたのかもしれない。  代金は何とか小銭だけで済んだ。  どうせ電車も|停《と》まっている時間帯なので、財布の中に金を残しておかないと困るような事態にもならない。  |一方通行《アクセラレータ》は店から出ると、小雨の降り始めた街の中、街灯に照らされた薬局の袋を持ち上げた。そこにはデフォルメされたマスコットキャラクターの笑顔が描かれている。 「……、|馬鹿《ばか》げてやがる」  思わず吐き捨てた。  |黄泉川《よみかわ》はこういった行いに慣れないのか、と尋ねていたが、決まっている。慣れるはずがない。大体、これは何だ。|一方通行《アクセラレータ》とは、こういったものから最も遠い位置にいたはずだ。一万人以上の人間を|叩《たた》き殺しておきながら、ちっぽけな傷を|癒《いや》すための絆創膏を|後生《ごしよう》大事に抱えて夜の街を急ぐなんてどうかしている。常軌を逸しているのだ。こんな光景を見。せられた側だって困るだろう、鼻で笑う以外にどんなリアクションを取るというのか。  慣れても良いのか?  |些細《ささい》なすり傷の]つぐらいで、心配しても良いのか?  軽く一万リットル以上の血を流してきた、こんな怪物に。 「クソッたれが」  |一方通行《アクセラレータ》は舌打ちした。  それに対する答えは、八月三一日に一応下した。たとえ自分がどれほどのクズであっても、|側《そば》にいるあのガキには関係がない。だからあのガキが傷つけられようとしている時だけは、どれだけ場違いでもまっとうに動いてみせる。  良い意見だ。  だが、それだけでは足りない。  結局は、あのガキに自分の負担を押し付けているようにも受け取れる。  原動力に責任を|転嫁《てんか》しているのではないか。 (ナニを求めてやがる……?)  |一方通行《アクセラレータ》は奥歯を軽く|噛《か》み、 (イラっちまってる理由は何だ。|俺《おれ》はナニが足りねエと感じてンだ。ハッ、そこから分かンねェなンてな。自分探しなンてガラじゃねェのはテメェが一番分かってンだろオがよォ)  そこで彼の意識は途切れた。  ゴン!! と。  猛スピードで突っ込んできた黒いワンボックスカーが、|一方通行《アクセラレータ》の体に激突したからだ。  背後からの|一撃《いちげき》だった。  彼の立っている場所は車道から区別された歩道だった。  車道と歩道の問は分厚いガードレールに|遮《さえぎ》られていた。  しかし、  そんなものを軽々と引き|千切《ちぎ》って|漆黒《しっこく》のワンボックスは|一方通行《アクセラレータ》のいる歩道へ突っ込んでいた。ブレーキをかけた様子もない。自動車のライトやバンパーなどの破片が周囲に|撒《ま》き散らされ、細かく砕けたフロントガラスが|小豆《あずき》をぶつけるような音を立てる。千切られたガードレールの鉄板が宙を舞い、歩道に面した雑居ビルのシヤッターへと激突した。|轟音《ごうおん》がさらに癒音を招く。  まるで爆心地のような一角。  その中で、  一方通行は[#「一方通行は」に傍点]、三秒前と同じ格好で平然と突っ立っていた[#「三秒前と同じ格好で平然と突っ立っていた」に傍点]。  彼の手は、首の横に当てられている。  ゴキリと骨を鳴らす。  細い指が触れているのは、チョーカー型の電極———その制御スイッチだ。 『反射』が起動している。  核兵器の直撃を受けても傷一つつかない学園都市旧収強の|超能力者《レベル5》が君臨している。 (何だァ……?)  |一方通行《アクセラレータ》は振り返る。  突っ込んできた黒いワンボックスを眺める。  砲弾でも受けたように、前面中央の鉄板にクレーターを作り、そこを中心としてグシャグシャにひしゃげてしまった、車と呼ぶか|残骸《ざんがい》と呼ぶか迷いそうな障書物を。  すでに|陽《ひ》も落ちているのに、フロントライトは消えていた。ぶつかった拍子にライトが|壊《こわ》れたのではない。最初から|点《つ》けられていなかった。 (……まるで背後から近づいてくるのを勘付かれたくねェみてェなやり口だよなァ)  おまけにナンバープレートには強引に付け替えたらしき跡があるし、フロントガラスが砕けるほどの|衝撃《しようげき》を受けてもエアバッグが起動した様子はないし、そもそもこの黒いワンボックスそのものが盗難車らしく、ドアの|鍵穴《かぎあな》にこじ開けた形跡がある。 (つまり、まァ、あれか)  極めつけに、ひしゃげた運転席で|呻《うめ》いているのは黒ずくめの男だった。  特殊部隊のような装甲服に、頭をスッポリと|覆《おお》う同色のマスク。スキーヤーのような分厚いゴーグルで目元まで|完壁《かんべき》に隠した|徹底《てつてい》ぶりを見せている。 (……|俺《おれ》に恨みがあるかァ、俺を利用しようと|躍起《やつき》ンなってる。研究機関かァ、そのどっちかっつー訳だ)  |一方通行《アクセラレータ》の笑みが横に裂ける。  運転席の男の胸元に差してある軍用|拳銃《けんじゆう》のグリップを見て、楽しそうに楽しそうに。 (来やがったな。来ると思ってたンだ。こオいう|馬鹿《ばか》が。俺を連れ戻そォとする[#「俺を連れ戻そォとする」に傍点]クソみてェな馬鹿が。空気も気配も|雰囲気《ふんいき》もルールも何にも読めねェクズ野郎が)  |一方通行《アクセラレータ》は顔を上げる。  自分よりもわずかに高い位置にある運転席の男の顔を見上げて、にっこりと|微笑《ほほえ》む。 「———ブチ、殺す」  ゴン!! という|轟音《ごうおん》が暗い街に|響《ひび》き渡る。  |一瞬《いつしゆん》だった。  |一方通行《アクセラレータ》の腕がフロントガラスのなくなった窓から運転席へと突っ込んだ。細い腕はそのまま黒ずくめの男の顔面へと吸い込まれる。より正確には口に。人差し指から小指までの四本が、そのまま男の口の中へと飛び込んだ。黒い|防刃《ぼうじん》マスクをぶち破って、その白い手を|喉《のど》の奥まで侵入させる。残る親指で、|顎《あご》を下から押さえつける。  腕を手前に引く。  ゴキリ、という音が鳴る。|顎《がく》関節が外れる音だ。 「あははぎゃはあはははひひひぎゃははあはアハあははははッ!!」  |一方通行《アクセラレータ》は爆発的な笑みと共に、まるでマグロの一本釣りのように男の体を運転席から引きずり出し、そのまま自分の後方へと投げ捨てた。歩道を飛び越えた黒ずくめの背中が、ノーバウンドで雑屠ビルのシャッターへと激突した。  ズパァン!! という落雷のような轟音が|炸裂《さくれつ》する。  黒いワンボックスの奥の後部座席から、『ひい』という息を|呑《の》むような音が聞こえた。  まだいる。  |一方通行《アクセラレータ》の赤い|瞳《ひとみ》が|蠢《うごめ》く。 「ンンーう? 楽しい。あはは。やベェよオイ最高にトンじまったぞクソ野郎ォ!!」  フロントガラスのなくなった所から、彼は|獣《けもの》のように車内へ|突撃《とつげき》する。  助手席のシートを雑草のように引き|千切《ちざ》り、そのまま後部座席へと|踏《ふ》み込んでいく。ベキベゴベギン!! と車体全体が不気味に。|震動《しんどう》した。まるで金属や内装の方が勝手に|一方通行《アクセラレータ》を|避《さ》けていくように見える。フレーム全体が|歪《ゆが》んだせいか、あちこちでボルトの|弾《はじ》ける音や窓ガラスの砕ける音が連続する。さながら、鋼鉄の風船を強引に|膨《ふく》らませるように。  後部座席にはもう一人の男が乗っていた。  彼が慌てて銃を抜く前に、|一方通行《アクセラレータ》は黒ずくめの頭を|掴《つか》んで真下に|叩《たた》きつける。ズボン!! という間の抜けた音と共に後部座席が弾け、男の頭が綿の中へと沈み込んだ。  ひゅうひゅうという|喉《のど》が鳴る音だけが|響《ひび》く。 「ははは。……だー、飽きたなちくしょう。興が冷めた。俺も鬼じゃねェ」  |一方通行《アクセラレータ》は笑う。 「クソ、殺しゃしねェよ、面倒臭せェしな。今ならお買い得の五割引きで許してやる」 「あ、ぅえ……」 座席の綿が口の中まで入り込んでいるのか、男の声は|不明瞭《ふめいりよ う》だ。  それでも黒ずくめは必死になって言葉を|紡《つむ》ぐ。 「……、ぁが。五、割。か、金……?」 「いいやァ」  |一方通行《アクセラレータ》はゆるゆると首を横に振って、 「オマエの|皮膚《ひふ》の五割を|剥《は》いでやる。それでもまだ生きてたら許してやるっつってンだよ」  ぎぃぃ!! と虫のような悲嶋が|響《ひび》いた。  |一方通行《アクセラレータ》は笑う。  楽しそうに、嬉しそうに、幸せそうに、面自そうに、ダイエット明けにアイスクリームでも|舐《な》めているような顔で。  と。  ガリガリガリ!! と路面を削る音が響き、|一方通行《アクセラレータ》を囲むように三台の黒いワンボックスが急停止した。彼は砕けた窓から外の車を眺める。あれも盗難車だろうか。同じ車種を探してくるのも大変だったろうに、と彼は心の中で息を|吐《は》く。 「退屈だ」  ともあれ、特別サービス五割引きは中止だ。  |一方通行《アクセラレータ》は昆虫みたいな男の顔を、バスケットボールのように五指で|掴《つか》み取る。  プン! と金属バットを振るうような音が鳴った。ガラスのない窓から無造作に黒ずくめの男を適当に投げ捨てる。  敗者がアスファルトの上を横滑りする。その|滑稽《こつけい》な様子を確かめるまでもなく、|壊《こわ》れたワンボックスを取り囲む三台の自動車の後部スライドドアがガラリと開けられる。  しかし人間は降りてこない。  そこから|覗《のぞ》くのは無数の銃口だ。  それを見た|一方通行《アクセラレータ》はため息を|吐《つ》くと同時に、その|鬱憤《うつぷん》を晴らすように真下へ|拳《こぶし》を突っ込んだ。ベクトル制御された]|撃《いちげき》はただでさえ|歪《ゆが》んでいた車体フレームに致命的なダメージを与え、各種配管に|亀裂《きれつ》を生み、そこへ火花を|撒《ま》き散らす。  ドッ!! という爆風と熱波が四方八方へ撒き散らされ、辺り一帯を|呑《の》み込んだ。  三台の車からくぐもった悲鳴が連続した。車内にいるとはいえ、マスクで顔面を覆っていたとはいえ、至近|距離《きより》で高温の風の塊を受けたのだ。|喉《のど》の奥まで|火傷《やけど》にさらされた何人かがのた打ち回り、さらには自分で開けたスライドドアから路上へ転がり落ちる者まで現れる始末だ。 「演出ゴクロー。———華々しく散らせてやるから感謝しろ」  炎の中から声がした。  |一方通行《アクセラレータ》はザクロのように赤く開いた火炎と|残骸《ざんがい》の中から悠々と歩を進めてくる。『反射』の制限時間は一五分だが、これなら何の問題もなさそうだった。というより、ここまで足並みを乱せば後は一〇秒で始末できる。  と 「だーから言ってんじゃねえかよお」  自分を取り囲んでいる自動車の一台から、男の声が聞こえた。 「あのガキ|潰《つぶ》すにゃこんなもんじゃ|駄目《だめ》なんだよ。ガキイ相手だからって甘い事ばっかしやがって。だから最初から|俺《おれ》が出るっつってんじゃねえか」  開きっ放しの後部スライドドアから、黒ずくめの男が|蹴《け》り落とされた。その後からのっそりと現れたのは、白衣を羽織った長身の男だ。その表情にダメージらしきものはない。研究者のくせに顔面に|刺青《いれずみ》が彫ってある。その両手には、細いフォルムの機械製グローブがはめられていた。マイクロマニピユレータとかいう|馬鹿《ばか》長い名前で、確か文字通り一〇〇万分の一メートルクラスの|繊細《せんさい》な作業を可能とする精密技術川品だったはずだ。 「……、」  |一方通行《アクセラレータ》はわずかに|眉《まゆ》をひそめた。  その研究者の顔を知っている。 「ぶっ」  そして、見た|瞬間《しゆんかん》に吹き出した。 「ギャハハハハ!! キハラくんよォ、ンだァその思わせぶりな登場はァ!? ヒトのツラァ見ンのにビビッて目ェ背けてたインテリちゃんとは思えねェよなァ!!」  |木原数多《きはらあまた》。  かつて、学園都市最強の|超能力者《レベル5》の能力開発を行っていた男だ。  それはつまり、学園都市でも最も優秀な能力開発研究者である事をも意味している。 「いやぁ、俺としてもテメェと会うのはお断りだったんだけどな。上の連中が言うから仕方ねえじゃねえかよ。何でも|緊急《きんきゆう》事態だとかで手段を選んでる余裕はねえんだと、だから、まぁ、悪りいんだけどここで潰されてくんねーか」  白衣の男は虚勢を張っているが|一方通行《アクセラレータ》は無視した。  |一方通行《アクセラレータ》の研究に|携《たずさ》わった者は皆、例外なく彼の高すぎる才能に恐怖していた、はっきり言えば、同じ研究施設に二ヶ月といた試しはない。研究者がどれだけの野望を抱いた所で、それをはるかに|凌駕《りようが》する資質を持つ者を見た途端に部屋の隅で|震《ふる》え上がる。  木原数多もそういった。研究者の一人でしかない。  というより、|一方通行《アクセラレータ》はそれ以外の研究者像を知らない。  唯一、|芳川桔梗《よしかわききよう》を除けば。  木原は白衣の肩を軽くすくませ、 「そう言うなよ。|誰《だれ》がテメェのチカラを発現してやったと思ってんだ?」 「あ? ナニ? 何ですかその義理と人情に|溢《あふ》れた|台詞《せりふ》。もしかしてこの|一方通行《アクセラレータ》に恩返しとか期待しちゃってるヒトとか? いやァ駄目だわ。っつかよォ」  |一方通行《アクセラレータ》は左手の人差し指をこめかみの辺りに当てる。  その指をくるくると回すと、 「イカれンなら一人でやれや、|俺《おれ》の体アいじくった研究者の数なンざ両手の指じゃ足ンねエンだよ。いち。いちオマエ一人の思い出なンぞ|留《とど》めておくと思ってンのか通行人A。眼中ねエからさっさと消えてくンないかな?」 「つーか本気でムカつくガキだよなぁ、テメェは」  |木原《きはら》は冷え性に悩むように自分の両肩を抱く。  くすくすと、|窺《うかが》うような笑みを浮かべ、 「いやぁ殺したいわ。メチャクチャ殺したいわー。実を言うと前からその顔|潰《つぶ》したくってたまらなかった訳よ。そりゃ昔は研究素材だったし、何よりガキのガキのクソガキだったから踏み|止《とど》まってたけどよお。こりゃー|駄目《だめ》だ、やっぱあの時きちんと殺しておくべきだったんだよなぁ。あー失敗だ。あっはっは、何やってんだかなぁ俺」  電気収縮する人工筋肉や小型のモーターで補強された、超精密作業用のグローブをはめた両腕を目一杯に広げ、まるで恋人でも迎えるような仕草を取る。  そのまま木原|数多《あまた》は|一方通行《アクセラレータ》へと近づいていく。  |無謀《むぼう》にも。  研究者は唇の端を|歪《ゆが》め、  一言。 「そんな訳で[#「そんな訳で」に傍点]、殺すわクソガキ[#「殺すわクソガキ」に傍点]」  金属製の細いグローブに包まれた|拳《こぶし》が|一方通行《アクセラレータ》の顔面に飛来する。  それでも|一方通行《アクセラレータ》は笑みを崩さなかった。  ナニ考えてンだこの|馬鹿《ばか》、と|眩《つぶや》く。  ガードなど考えず、むしろ両手を広げて木原数多の拳を迎え入れて、さあこの馬鹿の腕を|徹底的《てつていてき》にへし折って片結びにでもしてやろうかと考えた所で、  ゴン!! と。  機械製の拳が、|一方通行《アクセラレータ》の|皮膚《ひふ》を削り取り、|頭蓋骨《ずがいこつ》を揺さぶった。 「が……ぃ……ッ!?」  予想外の|一撃《いちげき》に、彼の脳が余計にショックを受ける。  チョーカー型電極のスイッチはつけていた。 『反射』は効いていた。  今の状態なら、核爆弾を抱えて自爆しても傷一つつかないはずだった。  なのに、  何故か[#「何故か」に傍点]、ベクトル反射が全く通用しない[#「ベクトル反射が全く通用しない」に傍点]。 「っつかよお」  ぐらぐらと揺れる意識に、|木原数多《きはらあまた》の声が届く。  いかにも失望したような、人を見下した声。 「テメェごとき眼中ねぇのはこっちも同じなんだよクソガキ[#「テメェごとき眼中ねぇのはこっちも同じなんだよクソガキ」に傍点]。多少チカラァあるからって付け上がってんじゃねえのか。もういっぺん言ってやるけどよ、そのつまんねーチカラは一体どこの|誰《だれ》が与えてやったモンだと思ってんのよ。ほーれ、思い出したかー?」 「ぁ……」  |一方通行《アクセラレータ》が何か言う前に、さらに木原の|拳《こぶし》が飛んだ。  ガシュン!! とグローブが妙な音を放つ。  上から下へと|金槌《かなづち》を振り下ろすような|一撃《いちげき》。またしても『反射』は意味を|為《な》さなかった。頭を強打された|一方通行《アクセラレータ》は、そのまま|濡《ぬ》れた路上へと倒れ込む。現代的なデザインの|杖《つえ》が手から|離《はな》れる。薬局のビニール袋が地面に落ち、その中身がバラバラと散らばった。 「さっさとひしゃげちまえよ。こっちにも目的がある。テメェ|如《ごと》きと遊んでる時間もねえしな?」  木原の靴底が、|絆創膏《ばんそうこう》の箱を|踏《ふ》み|潰《つぶ》した。  子供向けに調整された、|打ち止め《ラストオーダー》のために買っておいた絆創膏だ。  |可愛《かわい》らしいパッケージが、雨水と泥にまみれて汚れていく。 「似合わないねぇ」  木原はニヤニヤと笑う。  腕の調子を確かめるように、機械製のグローブを軽くさすりながら、 「まぁ、アレ[#「アレ」に傍点]はこっちで回収しといてやるからよ。テメェは安心してここで潰れて壁の|染《し》みにでもなっててくれ。そっちの方がテメェらしいだろうしな?」 「……ッ!!」  |一方通行《アクセラレータ》の頭が、カッと熱を上げた。  木原数多は、目的は|一方通行《アクセラレータ》ではないと告げた。そして、いつも|一方通行《アクセラレータ》の|側《そぼ》にいるらしい『アレ』を回収すると言った。  つまり目的はそちら。 『アレ』と呼ばれた人物を、|一方通行《アクセラレータ》や木原数多のいる血まみれの世界へ引きずり落とすと言っているのだ。 「ナメ、てンじゃ……」  |一方通行《アクセラレータ》は、|這《は》いつくばったまま声を出す。  自分の間近で———言い換えれば無防備に接近し、こちらを見下ろしている木原や黒ずくめの男|達《たち》を、彼は地面に体を押し付けた状態で|睨《にら》み付ける。  わずかに泥を含む雨水を唇に含み、 「……ねェぞ|三下《さんした》がァああああああああああああッ!!」  |轟《ごう》!! と風が渦を巻く。  彼の能力はベクトル操作。わずかでも力を持っものなら、その方向性を例外なく操るものだ。そしてそれは風———地球上に存在する大気の流れであっても例外ではない。  局地的な|嵐《あらし》が起こる。  制御された風速一二〇メートルの暴風は、|竜巻《ハリケーン》としても最大級のM7クラス。自動車や家屋の屋根すら引き|剥《は》がす大気の暴力は、もはや並のミサイルを越している。  殺せ、と|一方通行《アクセラレータ》は絶叫した、  だが[#「だが」に傍点]、 「|駄目《だめ》なんだよなあ」  ピーッ、と。  妙に乾いた音が周囲へ|響《ひび》いたと思った途端に、|一方通行《アクセラレータ》が制御していた暴風の塊が吹き消された。風船の口が開いたように、集められた風が四方八方へと散っていく。 「ッ!?」  必殺と思っていた|攻撃《こうげき》が、あまりにもあっけなく打ち消されていく。  |愕然《がくぜん》を通り越し、もはや|呆然《ぽうぜん》とする|一方通行《アクセラレータ》に、 「だから死んどけって、な?」  |木原《きはら》はその辺にあった鉄。パイプを拾い、ゴン!! と|一方通行《アクセラレータ》の顔面を|殴《なぐ》りつける。  メキメキと顔の表面が嫌な音を立てる。痛みのせいでとっさに出た声が、出口を失ってくぐもった響きを|奏《かな》でる。木原はそれを耳にしてから、鉄パイプを適当に放り捨てた。 「お、ご……」  |朦朧《もうろう》とする意識の中、|一方通行《アクセラレータ》は思う。  これと同じような現象を、知っている。  自分が絶対だと思っていた|超能力《レベル5》の力を、|掌《てのひら》で触れただけであっさりと打ち消してしまう、あの男。『反射』という不可侵の能力すらも打ち砕き、この|華奢《きやしや》な体に重たいダメージを次々と|叩《たた》き込んできた、あの男。  まさか、 「オマエ……自分の体に、超能力の、開発……」 「ギャハハ! あーあー違う違う、そうじゃねえよ。何で|俺《おれ》が実験動物の|真似事《まねごと》なんかしなくちゃならねえんだ。そういうのはモルモットの仕事だろうがよ。これはそんなに大それたモンじゃねえ。あんな|馬鹿《ばか》げた力ァ使わなくても、テメェ一人潰す事に苦労なんかしねえんだよ。っつかよ、テメェみてえな馬鹿一匹潰すのに何でそこまで体を張らなくちゃならねえんだ? あ?」 「……、」 「いや、気分が良いなあ、害虫駆除は気分が良い。今日はコイツの調子も優れてっし」  言いながら、|木原《きはら》はマイクロマニピュレータの指を開閉させる。  ピクリ、と|一方通行《アクセラレータ》の肩が。|震《ふる》えた。  まだ終わらない。  ここで簡単に|潰《つぶ》れる訳にはいかない。 「おおォ!!」  |一方通行《アクセラレータ》はベクトルを制御し、バネのように地面から飛び上がった。そのままがむしゃらに腕を振るう。右腕に固定されていた、現代的なデザインの|杖《つえ》がすっぽ抜けるが、気にしてなどいられない。  木原|数多《あまた》へ五本の指を|叩《たた》きつける。  一度目は失敗した。  だが、二度目の|爪《つめ》が木原に触れる。|一方通行《アクセラレータ》は『力』を注ぎ込む。彼のはめるグローブへと。ベクトルを一点に集中させ、機械で作られたグローブを粉々に砕く。  破片がばら|撒《ま》かれた。 「!?」  木原の|驚《おどろ》いた顔が、宙に浮かぶ|残骸《ざんがい》の向こうに見える。  そこへ|一方通行《アクセラレータ》は開いた五本の指を突き入れた。 (とりあえず死体決定だクソ野郎!!)  機械破片の膜を突き破り、必殺の腕は木原数多の顔面へ叩き込む。  だが、 「そっかそっか。力の秘密はグローブだと思ったのか?」  平然とした声。  首を振っただけで|一方通行《アクセラレータ》の|一撃《いちげき》を軽々と|避《さ》けた木原の顔に浮かぶのは、  相変わらずの笑み。 「そうじゃねえんだわ! ぎゃはは! ごっめんねえ、期待させちゃったかなぁ!!」  ドッ!! と|一方通行《アクセラレータ》の|脇腹《わきばら》に|拳《こぶし》が突き刺さった。  吐き気が胃袋で爆発し、しかしそれすらも強引に押し|留《とど》められる。  木原の笑い声が鼓膜に|響《ひび》く。 「ははっ! いつまで最強気取ってやがんだぁ[#「いつまで最強気取ってやがんだぁ」に傍点]? このスクラップ野郎が!!」  思わず体がくの字に折れ曲がった所で、ちょうど前へ突き出す形になった頭へさらに拳が飛ぶ。オモチャのように、彼の体が路面を転がっていく。 「テメェの『反射』は絶対の壁じゃねえだろうが」  木原はゆっくりと歩いてくる。  |一方通行《アクセラレータ》は、動けない。 「ただ向かってくる力のベクトルを『反対に』変えてるだけだ。なら話は簡単でよぉ、テメェをボコボコにするためには|直撃《ちよくげき》の寸前に|拳《こぶし》を引き戻せば良いんだよ。言っちまえば寸止めの要領だな」  楽しげな声。  新しく思いついた手品の仕組みを語るような笑み。 「テメェは、自分から遠ざかっていく拳を[#「自分から遠ざかっていく拳を」に傍点]『反射[#「反射」に傍点]』させてる[#「させてる」に傍点]訳だ。って事はよお、テメェはわざわざ自分から|殴《なぐ》られに行ってるって話なんだわ。分かってくれたかなぁマゾ太君!? いやぁガキの頭にゃ難しすぎたかなぁ!!」 「!!」  |一方通行《アクセラレータ》は起き上がろうとするが、その前に|木原《きはら》の足が飛んだ。  上から|踏《ふ》み|潰《つぶ》すように、何度も靴底が|襲《おそ》いかかる。体の色々な部分が踏み潰され、引きつった|皮膚《ひふ》が切れ、血が雨水と混ざり合ってにじんでいく。 (なン……だと?)  木原はこちらの能力を逆手に取っているらしいのは何となく分かる。が、それが実感としてどういうものなのか、机上の空論ではなく現実の問題として実行可能なのかどうか、|一方通行《アクセラレータ》にはサッパリ分からない。ともあれ、『反射』は使い物にならないと判断した彼は、 「がァァァ!!」  今度は空気の流れのベクトルを制御して暴風を起こそうとするが、そちらもピーッと乾いた音が聞こえただけで吹き消される。 「同じ事だよ」  木原は言う。 「テメェの能力はベクトルの計算式によって成立する。なら、ソイツを乱しちまえば良い、だから風を操んのも|無駄《むだ》なんだわ。ただの『反射』に比べて『制御』はより複雑な計算式を必要とする。プログラムコードと同じだな。記述が多ければ多いほどバグが生じる可能性も高くなる。———もちろん、人為的な介入もな。ようはちよっとした『音波』を空気に通せば、『風の攻撃』は|全《すベ》て|妨害《ジヤミング》できんだよ。テメェの計算式の死角に|潜《もぐ》り込むような波と方向性を持った『音波』を放ちゃあ、な?」  取り出されたのは携帯電話……いや、それに付けられたストラップか。柔らかい素材でできていて、押すと音が出る仕組みらしい。たったそれだけで、彼の力は封じられていた。 「く、そ」 「どーよ。泥の中で踏みにじられる気分ってのは。テメェの特徴、計算式、『|自分だけの現実《パーソナルリアリテイ》』、全て把握済みだ。こっちも|伊達《だて》にそのチカラあ開発してねーぞ」  ゴン!! ゴギッ!! ベゴ!! と、鈍い音が連続する。  |木原《きはら》の顔に血が数滴跳ねる。  息が切れるまで|蹴《け》り続けると、木原は赤色に汚れた靴を雨で|濡《ぬ》れた路面へ|擦《こす》り付けた。それが、この上なく|醜《みにく》い汚れであるかのように。 「んー? 害虫ってのはなかなか死なねーモンだなぁ。おい、車ん中にあったヤツを持って来い。あれだよあれ、後ろの方に押し込んであった、|埃《ほこり》の|被《かぶ》ってるヤツ」  木原が軽く手を伸ばすと、その動きに応じた装甲服の一人がダメージを引きずるような動きで車の後部座席へ入って行った。その中から取り出し、木原が受け取ったのは、|金槌《かなづち》やノコギリなどが丸々収まった、ズシリと重たい工具箱だ。 「武器ってなあ雑っつーか|大雑把《おおざつぱ》な方が効き目が高い、暗殺用の非金属ナイフより材木用のチェーンソーの方がエグいみてえにな」  |一方通行《アクセラレータ》は倒れたまま、ろくにしゃべらない。  雨水に打たれながら、彼はただ木原の顔を見上げる。 「なぁ|一方通行《アクセラレータ》。テメェは『アレ』の意味を理解してねえんだよ」  木原は笑う。  アレというのは、あの小さな少女以外に考えられない。 「大体よー、そもそも|絶対能力進化《レペル6シフト》計画の前の、|量産能力者《レディオノイズ》開発計画だっけか。軍用量産モデルとしてゴーサインが出たっつー時点で怪しいじゃねえか。だったら第三位の|超電磁砲《レールガン》じゃなくてよ、第一位のテメェのクローンを作るべきだろうがよ」 「———、」 「何でテメェのクローンは作られなかった? 何で第三位のアイツで計画はスタートした? ナニかがあるんだよ、そこにはな、テメェがちっとも理解していねェ何かが、だ」  ハッ、と|一方通行《アクセラレータ》は笑う。 「クソッたれが……」  呟く。  唇が切れるどころか、もう歯の間から|喉《のど》の奥まで血の味で満たされていた。 「……|俺《おれ》以上にあのガキを分かってねェオマエが、テキトーなコト言ってハシャいでンじゃねェよ」 「んー?」  木原はニコニコと笑って、重たい工具箱の角を両手で|掴《つか》み、握り心地を確かめる。  彼は笑って言う。 「感動的だねぇ[#「感動的だねぇ」に傍点]。本人だって大喜びだ[#「本人だって大喜びだ」に傍点]」  |一方通行《アクセラレータ》の心臓が止まるかと思った。  彼の体は動かない。  それでも、倒れたまま、|這《は》いつくばった姿勢で顔だけを動かす。  一〇〇メートルほど|離《はな》れた場所。  そこに、  その先に。  黒ずくめの男に二の腕を|掴《つか》まれ、  だらりと残る手足を揺らしている、小さな少女がいた。 「回収完了、って所だな」  |木原数多《きはらあまた》の声が、|一方通行《アクセラレータ》の耳から遠ざかっていく。  地面に倒れた彼の視界の先に、三人の人間がいた。二人は、並んで歩く黒ずくめの男。あとの一人は荷物のように掴まれている|打ち止め《ラストオーダー》だ。まるで重たい物を入れたビニール袋のようだった。足の裏が地面に接触していない。垂らした|紐《ひも》のように、ただただ足の甲の方が力なく地面とぶつかっていた。  ここからでは、彼女の表情は見えない。  手足と同様、枝のように揺れる首はうな垂れていて、前髪と影によって表情が隠れてしまっている。ただ、相当苦しそうな姿勢であるにも|拘《かか》わらず、身じろぎの一つもなかった。おそらく意識はない。近くに寄れば、その幼い体のあちこちに生傷がある事も分かると思う。  片手で持っのが疲れたのか、男は|隣《となり》にいるもう一人の仲間へ、乱暴に|打ち止め《ラストオーダー》を押し付けた。それでも手足が|頼《たよ》りなくふらつくだけで、彼女は全く反応をしない。  木原は笑って言った。 「あーあー、ありゃあもう聞こえてねえかもな。一応本命[#「本命」に傍点]は生け捕りってハナシになってんだがよ、アレは本当に生きてんのか? こんなんで始末書なんて真っ平だぞ」  ふざけンな、と|一方通行《アクセラレータ》は口の中で|眩《つぶや》いた。  彼女はまだ生きている。死んでいるはずがない。もしも|打ち止め《ラストオーダー》が死んでいるとしたら、|妹達《シスターズ》の代理演算に頼っている|一方通行《アクセラレータ》の方にも|影響《えいきよう》が出るはずだ。……と、思う。 (クソ、確証なンかねェよ……)  |一方通行《アクセラレータ》は冷たい地面に転がったまま、歯を食いしばった。 (あのガキが死ンだら、具体的に影響が出ンのか出ねェのかなンざ知らねェよ! そンなモン試そォと思った事もねェから分かる訳ねェだろオがよォォ!!)  打ちひしがれる|一方通行《アクセラレータ》などお構いなしに、ぐったりした|打ち止め《ラストオーダー》を抱える男|達《たち》はこちらに近づいてくる。より正確にはワンボックスに向かって、か。  木原は自分達の目的は|打ち止め《ラストオーダー》だと言った。  どこへ連れて行くつもりかは知らないが、そこらに|停《と》まっている自動車に押し込まれたら、もう終わりだ。  あの少女はもう一度、血と|闇《やみ》にまみれた世界へ引きずり戻される羽目になる。  そして。  次にそこから帰って来られる可能性は、おそらくゼロだ。 (やら、せるか)  |一方通行《アクセラレータ》は、雨に|濡《ぬ》れた地面に指を|這《は》わせる。  ボロボロになった体に、わずかに残された力を注ぎ込む。 「|打ち止め《ラストオーダー》ァァああああああああああああああああッ!!」  顔を上げて叫んだ。  ピクン、と呼ばれた少女の肩がわずかに動いた[#「少女の肩がわずかに動いた」に傍点]気がした。  倒れたまま、腕を振り上げる。  ベクトル操作で、|木原数多《きはらあまた》は|弾《はじ》けない。空気を操った暴風を使っても、即座に|打ち消《ジヤミング》されてしまう。これらの|攻撃《こうげき》方法を使ってもこの白衣の男は倒せない。そもそもこの状態で|叩《たた》き|潰《つぶ》す事は考えるべきではない。もっと優先すべき事があるのだから。  ならば、 「———ッ!!」  |一方通行《アクセラレータ》は歯を食いしばり、己の手を濡れたアスファルトへ叩きつける。  ゴッ!! という|破壊音《はかいおん》。  |膨大《ぼうだい》な力に吹き飛ばされたアスファルトの破片が四方八方へ飛び散り、それによって木原がわずかに後ろへ下がる。  |猶予《ゆうよ》は一秒もない。  その限られた時間の中、|一方通行《アクセラレータ》は今度こそその手に『風』を|掴《つか》む。  暴風がうねる。ベクトルを制御する。 「チッ!!」  木原の舌打ちが聞こえた。暴風の|槍《やり》はそんな木原の真横を突き抜け、黒ずくめの男に|掴《つか》まれている|打ち止め《ラストオーダー》の元へと突っ込んだ。  風速一二〇メートル。  自動車や家屋の屋根すら引き|剥《は》がす烈風が、少女の小さな体を黒ずくめの太い腕からもぎ取り、地面から飛ばした。一〇メートル以上の高さのビルをいくつも飛び越え、|打ち止め《ラストオーダー》が風景の陰へと消えていく。  ごぼっ、と|一方通行《アクセラレータ》の|喉《のど》が変な音を出した。  押さえつけようと思う前に血の塊が吐き出され、彼の顔は。再び雨に|濡《ぬ》れる路面へと落ちる。バッテリーの残量はあっても、もう『反射』に意識を割けない。血と泥の混ざった雨水が、唇の端から舌の上へと入り込んでくる。 「あーあーあーあー」  |木原《きはら》がのんびりした声をあげた。 「ゴルフボールじゃねーんだからよー。ヤード単位で人間を飛ばすんじゃねーよなーもう。|飛距離《ひきより》抜群じゃねーかよ。一体|誰《だれ》が回収すると思ってんだ。|俺《おれ》はやんねーけどな」 「どうしますか」  黒い装甲服に身を包んだ男|達《たち》の一人が、ぽそぼそと指示を仰ぐ。  木原はグローブの|残骸《ざんがい》のついた右手でボリボリと頭をかいて、 「だぁー……あれよ、班を三つに分けろ。本命を追うのは一班だ。二班は俺の元に残れ。後始末だのそっちで|潰《つぶ》れてる部下の回収だの色々あるしな」 「しかし、最優先命令は|最終信号《ラストオーダー》の捕獲にあるため、班の構成は———」 「おや」  木原|数多《あまた》はキョトンとした顔で部下を見た。  何気なく尋ねる。 「お前さ。この『|猟犬部隊《ハウンドドツグ》』に最近補充されたヤツだろ」 「え、いや」 「良いって良いって。別に|素性《すじよう》を探ろうって訳じゃねえ。汗臭い男の末路なんざ聞いてもつまんねーしな。ただ、ルールが分かってないようなら教えてやる」  んン、と木原は退屈そうに|咳払《せきばら》いして、 「テメェらはクズの集まりだ。人権なんてものはねえ。クズの補充なんざいくらでも効く。大事な大事な作戦を|邪魔《じやま》ァすんならぶっ殺しちまっても構わねえんだよ。分っかるかなぁお前、今、一度死んだぞ? 確認するぞ、分かってんのか」  ぬめるように体を伝う雨粒の感覚が、消える。  声をかけられた黒ずくめの男から、不快感すら消失する。 「こっちは自分の手でスケジュール組んでんだよ。あんなクソみてえなクソガキどものためにわざわざ頭悩ませてよぉ。|馬鹿《ばか》みてえだよな。ここまできてさらにテメェっつークソ野郎の事で頭ぁ悩ませなくちゃならねえのか。あ?」  ザザザリザリ!! と、木原の体から周囲へ肌寒い感情が駆け抜けていく。  思わず部下が無言で一歩退いたのを見て、木原は簡単に|頷《うなず》いた。 「よし、分かりゃあ良いんだ。今ァそれほど|切羽詰《せつぽつ》まってねーし、質問も受け付けてやる」 「……え、ええ。|最終信号《ラストオーダー》は生け捕りとの事でしたが、ああなってしまうと」 「その辺はこのガキだって考えてんだろ。どっかの川に落としてるとかな」 「水面の場合、|最終信号《ラストオーダー》が気を失っていた事を考えると、|溺死《できし》の危険性もありますが……」 「馬鹿だな、着水のショックで目ェ覚ますだろ。それ以前に意識ぐらいはあったと思うがな。とにかくクッションになりそうなものをピックアップして、その周辺を調べりゃあ良い。多少の逃走スキルを持ってたとしても、基本的なスペックはガキの足だ。これで標的見失ったら腹ァ抱えて笑ってやるよ」  了解、という声がいくつか重なった。  ほとんど相談する事もなく、口や指の合図だけで彼らの一班は散り散りに路地へ消えていく。  |木原《きはら》は|水溜《みずたま》りの上に転がっている|一方通行《アクセラレータ》の成れ果てを見下ろして、 「さて、と」 「そちらは回収ですか?」 「いやぁ、殺すよ。この手の努力しちゃってるヒト見てるとイライラすっからさー。捕らえておく理由もねーし。コイツ|鬱陶《うつとう》しいだろ。こういう思い詰めちゃう派の根暗な自己満足野郎はここで殺しておいた方が無難だよなぁ」  木についた毛虫を眺めているような口調だ。  装甲服の一人が|拳銃《けんじゆう》を差し出したが、木原は首を横に振った。|一方通行《アクセラレータ》の反射対策は、微妙な手足の『返し』の動作によって成立する。弾丸では再現できない。  もちろんこれは、|一方通行《アクセラレータ》の能力を直接開発した彼だからこそ可能な|攻撃《こうげき》方法だ。仕組みを説明された所で、そのコンマ何秒というデリケートなタイミングを実戦レベルで扱えるのは木原だけだろう。  木原は|屈《かが》み込んで、持っていた工具箱を振り上げる。  |金槌《かなづち》よりもはるかに重たい、原始的な鈍器を。  地面に署いた空き缶を|潰《っぶ》すような動作で、|一方通行《アクセラレータ》のボロボロになった顔を|狙《ねら》う。 「せっかく不意をついたんなら|俺《おれ》を殺さなくっちゃーなぁ。起死回生の一手のつもりか知んねーけど、アレは一〇分もしねー内にカゴの中だぜえ?」 「……、|黙《だま》れ」  吐き捨てるように、|一方通行《アクセラレータ》は言う。  おや? と木原は目を丸くした。本当に起きているとは思っていなかったのだろう。 「クソッたれが。オマエにゃ……一生、分かンねェよ」 「そーかい。じゃあ殺すけど、今のが遺言でイイんだよな?」  汚ねェ|染《し》みになっちまいな、と木原は|嘲笑《あざわら》う。  くそ、と|一方通行《アクセラレータ》は顔には出さずに眩く。  木原の言う通り、このままでは|打ち止め《ラストオーダー》は捕まってしまう。彼女にもある程度の逃走能力はあるが、それでも圧倒的に不利だ。  |黄泉川《よみかわ》は何をやっているのか、|芳川《よしかわ》は拳銃を持ってやってこないのか、と|一方通行《アクセラレータ》は思う答えは分かっている。もちろん来ない。そんなに都合良く来てくれるはずがない。自分の力で何とかできない状況に遭遇した所に、パズルのピースのようにその解決方法を|携《たずさ》えた人間がポンと現れるようなら誰だって道を踏み外さない。人類皆兄弟。みんなで笑ってみんなが幸せ、極めて優しい幻想だが実際にそんな事が起きるはずがない。 (……、|誰《だれ》か)  それでも、|一方通行《アクセラレータ》は思う。 (起きろよ|幻想《ラツキー》……。手柄ならくれてやる。|俺《おれ》を|踏《ふ》みにじって|馬鹿《ばか》笑いしても構わねェ)  雨に|濡《ぬ》れた地面に転がり、|頭蓋骨《ずがいこつ》を|叩《たた》き|潰《つぶ》される直前で、どこまでも無様に。 (誰か、誰でも良いから、あのガキを……)  願いが届くはずがない。  |工具箱《ハンマー》は|容赦《ようしや》なく振り下ろされる。  その直前で、 「———そこで何してるの?」  あ? と|木原《きはら》は振り上げた腕を止める。  装甲服を着込んだ連中が声のした方へ振り返る。  |距離《きより》は二〇メートルもない。そこらの細い|脇道《わきみち》から、不意に出てきたのだろう。小雨の降り注ぐ夜の街の中、傘も差さずに立っているその人影は、街灯の光を照り返してぼんやりと|輝《かがや》いている。  その影は腰まである銀の長い髪を持ち、色白の肌に緑色の|瞳《ひとみ》を備えていた。格好は紅茶のカップのような、白地に|金刺繍《きんししゆう》を|施《ほどこ》した|豪奢《ごうしや》な修道服。だが、その所々を安全ピンで留めている、とてもアンバランスな服を着込んでいた。その両手には、こんなギスギスした世界とは縁のなさそうな|三毛猫《みけねこ》が抱えられている。  |一方通行《アクセラレータ》は、倒れたまま思い出す。  彼女は。  彼女の名前は。      2 「くっそー。インデックスの野郎、出会ったと思ったらすぐに消えちまいやがって。一体どこまで行っちまったんだ?」  |上条当麻《かみじようとうま》はあちこちをキョロキョロ見回しながら|咳《つぶや》いた。  地下街は最終下校時刻が過ぎると人が少なくなっていった。相変わらず昼も夜も、今の天気も読めないような白々しい蛍光灯の世界なのだが、こういった人の流れとか店内放送の音楽の種類の違いなどで、少しずつ時間の流れが感じられる。  上条としては、そもそもインデックスが何で学生|寮《りよう》を飛び出して地下街までやってきたのか、そこから理解できなかったりする。  ちなみにインデックスと出会った時の会話はこんな感じである。 『学園都市って複雑で面倒で良く分からない構造をしているよね。おかげでとうまを捜すのにすごく手間取ったんだよ。まあいいや、早く帰ろう?』 『っつか、何でそこまでして|俺《おれ》を捜しに来た訳?……まぁ大体、お|腹《なか》が滅ったからだって相場は決まってんだけどさ』 『もう、とうまのばか!!』 『ごぁぁ!! 唐突に|噛《か》み付かれましたよ今!?』 『私がいっつもお腹がすいただけで動くと思ったら大間違いかも!!』 『むしろお前はそれ以外の理由で動く方が珍しいじゃねえかッ!!』 『とうまは|配慮《はいりよ》が足りないよね。ここに来る前に出会った白い髪の人は、事情も聞かずにハンバーガーを食べさせてくれたぐらいなのに。とうまもああいう優しい人にならなくちゃ』 『へーへー。どうぜ俺はそういうヤツとは縁がないっすよ。そうそう、ちゃんとその人にありがとうって言ったか。|他《ほか》にもなんかもらってないだろうな?』 『む、私はちゃんとお礼は言える人だよ。でも、言われてみればこんなの借りたかも』 『何だ、ただのポケットティッシュか』 『ハッ! あの人がこの最新鋭日用品がなくて|今頃《いまごろ》困ってたらどうしよう! と、とうま、私はちょっとこれから返してくるんだよ!!』 『え? でも、ただのティッシュだぞ。しかも丸まってグショグショになったのなんて返されても困るんじゃ———って、全力疾走してないで聞けよインデックスーっ!!』  携帯電話で連絡を取るのが手っ取り早いのだろうが、どうせあのシスターはいつも通り電源を切りっ放しにしているだろう。そう思った|上条《かみじよう》は地下街をウロウロして近辺のファストフード店などを|覗《のぞ》いてみたがインデックスは見つからない。人捜しをしているようだし、地下にいないと|踏《ふ》んで地上の方に出たのかな、と上条は思う。と言っても、あのシスターは完全|記憶《きおく》能力を持っているくせに学園都市では素で迷子になったりするので理由とかはないかもしれない。  上条は階段を上がり、地下街から外に出た。 「ありや!? 雨かぁー……」  上条は夜空を見上げて思わず|眩《つぶや》いた。パラパラと小粒の雨滴が路面を黒く|濡《ぬ》らしている。、|流石《さすが》に九月末日となると、辺りの空気も�気に冷え込んできていた。 (……確か|布団《ふとん》は干してなかったよなぁ。インデックス、窓はちゃんと閉めて出てきたんだろうか。まぁ、まずはインデックスを捜すトコから始めよう)  と、分厚い雲に|覆《おお》われた夜空に目をやったまま、上条は何となしに歩き続ける。雨は降っているのだが、傘を差すほどではないかもしれない。学生|寮《りよう》が近くにある事、雨天のたびにコンビニ傘を買って帰るので寮の傘立てがいっぱいになっている事などを考えると、地下街に戻って雨具を手に入れようという気も|削《そ》げるのだった。 (……にしても、なんか|警備員《アンチスキル》の数が多いような……?)  時聞帯のせいか、天気のせいか。真っ暗になった通りには、珍しく学生|達《たち》がいない。あちこちを歩いているのは|警備員《アンチスキル》ばかりだ。  積層プラスチックや|耐衝撃《たいしようげき》ウレタンなどでゴテゴテと固められた防具満載の|警備員達《アンチスキルたち》がウロウロしている。元々防水性のある装備なのだろうが、やや冷え込んできた雨の中、傘も差さずに巡回している様子を見ているとちょっと|可哀想《かわいそう》だ。 (うーん。あんまり遅い時間まで外を出歩いてるとあっちに補導されるかもなんだよな。|俺《おれ》みたいなのならすり抜ける方法も知ってるけど……インデックスは|駄目《だめ》そうだ。話をこじらせて詰め所までご案内されそうだ)  面倒事になる前にさっさと連れ帰ろう、と|上条《かみじよう》は|警備員《アンチスキル》から視線を戻そうとした。  その直前で。  ゴトリ、と妙な音が聞こえた。 「……、?」  上条の動きが固まる。  すぐそこに立っていた、防具満載の|警備員《アンチスキル》が、何の前触れもなくいきなり地面へ崩れ落ちたのだ。うつ伏せに転がったその体が、路面を|濡《ぬ》らす|水溜《みずたま》りに浸されていく。それでも身じろぎ一つなかった。いかに防水機能があるとしても普通の反応ではない。例えば、|雨合羽《あまがつぱ》を着たまま水溜りに飛び込む|馬鹿《ばか》がいるだろうか。 (……まさか、意識が?)  上条は彼らの着ている正式装備の|着心地《きごこち》がどんなものか知らない。  だが、着ぐるみのようなものだったら、脱水症状や熱中症に近い状態になるものなのかもしれない。上条にとっては少し肌寒いが、あんな分厚い装備で固めた人にとっては関係がない可能性もある。 (まずいな)  上条は周囲へ視線を走らせる。  普通の学生達はいないが、|警備員《アンチスキル》ならたくさんいる。  それでも、上条は一応倒れた|警備員《アンチスキル》の方へ向かった。  その時、  今度はあちこちから。  バタリ、という音が上条の耳を打つ。人間が倒れる|響《ひび》きだ。しかもそれは一つではない。バタバタと何度も何度も重なって一つの長い雑音を作り上げていた。 「な……」  |上条《かみじよう》は|怪誘《けげん》な顔で周囲を見回して、そこで凍りついた。  夜道を巡回していた|警備員達《アンチスキルたち》が全員倒れていた。何かの|衝撃《しようげき》を受けた訳でもなく、ただ漠然と地面に転がっているだけ。それでいて、指先一本動かすどころか体を|震《ふる》わせる事もない。遠目に見ただけで分かる。彼らの意識は|完壁《かんぺき》に|削《そ》がれている。 「ちょ、何だよこれ。おい!!」  今度は慌てて走る。  最初に倒れた|警備員《アンチスキル》の下へ向かった。|水溜《みずたま》りの中でうつ伏せに倒れているのは、どうやら男らしい。この状態であっても窒息するかもしれない、と考えた上条は、とりあえず水溜りから男の体をどけて、仰向けに体勢を変えた。  男の体はズシリと重たい。  それが装備品によるものか、人間の体重本来の重さなのかは区別がつかない。 (|他《ほか》の人達は……)  あちこちを走ったが、窒息しつつあるような人はいなかった。できれば全員を地下街に運び込みたかったが、それだけの体力がない。人間の重さは、まるでサンドバッグのようだった、  人を呼ぶのも大変そうだ。  この辺りは結構大きな通りだが、基本的に学生街の集合体である学園都市は、一部教員用の歓楽街を除くと、ほとんどが日没と共に機能を停止する。今も明かりのある店は深夜営業の許可が下りたコンビニやレストラン程度のものだ。電車やバスの最終便も過ぎた後で、片側三車線の道路には一台の車もない、心細い事この上、なかった。現にこれだけ多くの人達が倒れているのに|騒《さわ》ぎが起きる気配はない。周りの人が何とかしてくれる、という考えは捨てた方が良さそうだ。 (本来、こういう事態のために|警備員《アンチスキル》がいるはずなんだけど……)  上条は|警備員《アンチスキル》の顔を|覗《のぞ》き込む。  体のほとんどを非金属パーツで固めているため、脱がさない事には|怪我《けが》の様子は分からない。が、少なくとも衣服が真っ赤に染まっているような事はなかった。映画やドラマであった動作の見よう見まねで首筋に手を当てて、脈を測る。命の鼓動を伝える脈拍は、力強いサインを上条の指先に返す。口元に|掌《てのひら》をかざしてみると、安定した吐息が感じられた。  命に別状はない……ように見える。  しかし、怪我でないとしたら、原因は何なのだろうか? (麻酔ガス……? いや)  だとしたら、上条だけが無事だった理由が説明できない。  ともあれ、|素人《しろうと》判断で放っておくのもまずいだろう。  救急車を呼ぶしかない。  上条は携帯電話を取り出し、三|桁《けた》のナンバーをプッシュしてコールセンターに接続した。こういった|緊急用《きんきゆうよう》の番号は通話ボタンを押すだけで緊張するが、通報はこれが初めてではない。頭は混乱気味だったが、それでも何とか状況を説明できた。  二つ折りの携帯電話をパチンと閉じる。  ズボンのポケットに収めるために一度立ち上がってから、電話をしまう。  その時、 『……ざ、ザ……』  足元から雑音が聞こえた。|上条《かみじよう》は視線を下に送る。倒れている|警備員《アンチスキル》は相変わらず、指先一つ動かさない。彼の肩の辺りから、ラジオの雑音のようなものが飛んでくる。 『ザ、ざざザザざ……、に、侵入。繰り返す……ゾゾザザゾザ!! ……、ゲートの|破壊《はかい》を確認! 侵入者は市街地へ———|誰《だれ》か聞いていないのか? こちらの部隊も正体不明の|攻撃《こうげき》をゴァ!?』  ブツッ!! と、テレビを切るような音が|響《ひび》く。  音の正体は無線機だった。相手は|他《ほか》の場所にいた|警備員《アンチスキル》だったのだろうか。|切羽詰《せつぱつ》まった|台詞《せりふ》が気になるが、四角い機械はサーッという均等な雑音を流しているだけだ。パッと見だと飾り気のない携帯電話にも見えるが、仕組みは全く違うのだろう。触れてみる気も起きなかった。  何だ今の……と、上条は視線を外した。  上条は無線機から流れてきた雑音混じりの言葉を思い出す。 (……侵入者)  と言うからには、何者かが学園都市の外からやってきた事になる。それが目の前で|警備員《アンチスキル》が倒れている状況と関係しているかははっきりしない。が、そうであろうがなかろうが、上条の頭に浮かぶのは、 (インデックスの方は|大丈夫《だいじようぶ》なんだろうな……)  学園都市の敵対者だからと言って、その|全《すべ》てが|魔術《まじゆつ》側の人間であるとは限らないし、たとえ魔術師だったとしてもその全員がインデックスを|狙《ねら》ってくるという法則もない。しかし、やはり真っ先に考えてしまうのは彼女の事だった。  まずいな、と上条は思考を切り替える。  念のため、安全を確認するという意味でもここは早く合流しておいた方が良さそうだ。  そこへ、 「?」  ドン、と上条の腹に小さな|衝撃《しようげき》が走った。  |誰《だれ》かがぶつかったらしい。……と思うには、やけに衝撃の当たった場所が低い。胸の辺りではなく、お|腹《なか》の下辺りに衝撃がきた。  目を下にやる。  ぶつかってきたのは、小さな子供だった。上条よりも頭一つ以上も身長が低い。せいぜい一〇歳ぐらいだろう。茶色い髪は肩に届くかどうかといった所だ。  確か名前は……、 「|打ち止め《ラストオーダー》だっけか?」  うう、という|岬《うめ》き声が答えた。  その返事がくぐもっているのは、その小さな顔を|上条《かみじよう》のシャツに押し付けているからだ。ぶつかってきたというよりも、ほとんど抱きついているような状態に近い。ぶるぶると小刻みに。|震《ふる》える振動が、雨に打たれてすっかり冷たくなったその体温が、シャツ越しにも伝わってくる。その体は、ちょっとした小雨の下にいただけとは思えないほどずぶ|濡《ぬ》れになっていた。  どうしたんだろう? と上条は首を|傾《かし》げる。 「助けて……」  |打ち止め《ラストオーダー》は、上条のシャツのお|腹《なか》を|掴《つか》んだまま、顔を上げた。  その大きな|瞳《ひとみ》は真っ赤に充血していて、透明な液体が|頬《ほお》を伝っていた。  冷たい雨に打たれていても、頬を伝う一滴だけはすぐに見分けられた。  彼女は。  彼女は叫ぶ。 「お願いだから、あの人を助けて……ッ! ってミサカはミサカは|頼《たの》み込んでみる!!」  二人の少女は交差し、二人の能力者への道が|繋《つな》がる。、  本来ならば決して交わる事のない、完全に平行した二つの道。  彼らの道が一点へと集束する時、  学園都市を舞台にした、本当の物語が始まる。 [#改ページ]    行間 五  バタバタと人間が倒れていく。  冷たい雨の降りしきる中、抵抗もなく、雑音もなく、鮮血もなく、悲鳴もなく、ただひたすらに人間の倒れる|響《ひび》きだけが暗い暗い夜の街を伝っていく。彼らは一様に耐ショック機構を備えた装甲服を着込んだ大人ばかりだ。街灯の白々しい光が、|水溜《みずたま》りに沈む銃器をギラリと照らし出している。  学園都市の治安を|司《つかさど》る|警備員達《アンチスキルたち》だ。  倒れた彼らは動かない。  指先一つ。  それとは別に、カツン、コツンという細々とした足音が嶋る。  |濡《ぬ》れた路面へと静かに横たわる|犠牲者《ぎせいしや》達の間を|縫《ぬ》って進むように、ゆらりゆらりと細い女のシルエットが雨天の街を歩いていた。  街灯の下に出た女は傘を差していなかった。糸のような細い雨に、少女のような|痩身《そうしん》が打たれている。服装はワンピースの原型となったカートルという女性衣類に、腰には細い革のベルト、手首から二の腕にかけてはスリーヴと呼ばれる着脱可能な|袖《そで》が取り付けられていた。銀行員や郵便局員などが腕につけているものを、より華美にしたものと思えば良い。頭には一枚布の|被《かぶ》り物があり、髪の毛は全部隠されていた。  多少、歴史や考古学などに興味のある者なら、一五世紀前後のフランス市民の格好だという事が分かったかもしれない。  しかし、基調となっている色が派手な黄色であるため、あまり原型を|留《とど》めているとも言えなかった。  ジャリジャリと、金属が触れ合う細かい音が聞こえる。  女の顔に取り付けられたピアスのものだ。耳はもちろん、鼻、唇、まぶたにまで穴が空けられている。唇を割って舌を出すと、|鎖《くさり》が落ちた。ネックレスのように細い鎖は舌先につけられたピアスに連結し、腰の辺りまで伸びている。そこには十字架を模したアクセサリーがぶら下がっていた。  それら|全《すべ》ては顔が崩れるのを承知で実行されたものだ。  十字教では『金属の貫通』という言葉には深い意味がある。そもそも『神の子』は釘と|槍《やり》を刺されて殉教したからだ。突き刺す箇所を吟味すれば自由に術式を組み立てる事も可能となる。 「ふむ」  顔面に風穴を空けた女は周囲をぐるりと見回して、それから足元に転がっていた無線機の一つを|蹴《け》り上げた。空中を舞う四角い機械を片手でキャッチする。泥水に|濡《ぬ》れたその感触に、彼女はわずかに|眉《まゆ》をひそめた。  |拳銃《けんじゆう》のように手の中でくるくる回すと、女は無線機のマイクへ口を近づける。  耳元にささやくように告げる。 「ハッアァーイ、アレイスター」  ザザッ、という雑音と共に耳に返ってきたのは、困惑する聞き手の|警備員《アンチスキル》の声だった。しかし女は無視して続ける。聞こえていないはずの|誰《だれ》かに向かって話しかけるように。 「どうせアンタはこーいう普通の回線にもこっそり割り込んでるってコトでしょう。さっさとお相手してくれると|嬉《うれ》しいんだけどな」  ブツッ、というスイッチの切り替わる音が聞こえる。  明らかに音質がクリアになる。 『何の用だ』 「聞く気があるなら話してやっても良いってコトなんだけど?」 『一応確認するが、その程度の挑発に私が乗るとでも思うか』 「そう。統括理事会の顔を三つほど|潰《つぶ》してきたトコだけど、『その程度』では|堪《こた》えない、か」  女は手の中で無線機をくるくる回す。  顔には少しだけ落胆の色があった。 「確か統括理事会って一二人しかいないってコトなのよね」 『補充なら|利《き》くさ。いくらでもな』 「問題発言よね、ソレ」 『ねじ伏せるだけの力もある』 「私はねぇ、アレイスター。アンタは実は存在しない人間なんじゃないかってコトを考えてたのよ。立体映像か、もしくは死体の中に|得体《えたい》の知れない機械でも詰め込んで動かしているだけなんじゃないかってワケ」 『夢のある意見だな。君は学者ではなく発明家向きだ』 「アンタの意見。の裏にゃ統括理事会の総意が隠れている……って踏んでたんだけど、こりゃ当てが外れちゃったかなぁ。全然|焦《あせ》ってる様子もないコトだし」  もう少し統括理事会の顔を潰してみるか、と女は小さく眩いた。  無線機はやめうと言わない。  その程度では|響《ひび》かないとでも宣言するように。 「まぁいいや。私の名は分かっている?」 『さあな。賊については取り調べで聞く事にしているので』 「神の右席」  サラリと。  女は|魔術《まじゆつ》サイド最大の深部の名前を口に出した。  世界最大宗派ローマ正教の|闇《やみ》の闇の闇の闇の闇の闇の闇の闇の闇の果てに沈んでいる一つの名前。二〇億の信徒の中でも知っている者は一握りであり、たとえ知っていたとしても『知るに|相応《ふさわ》しくない人物』だと判断された場合は即刻処刑されるほどの|隠密性《おんみつせい》に満たされた単語だ。  しかしアレイスターもスラスラと答える。  感情に起伏は、ない。 『おや。テロ行為指定グループにそのような名前はあったかな』 「ふうん」 『名を売るための行為だとすれば、少々|無謀《むぼう》が過ぎたようだが』 「|白《しら》を切るってコトならそれでも良いけど、今ココで命乞いをしなかったコトを最後の最後で後悔しないようにね」 『この街を甘く見ていないか』 「アラ。自分の街の現状すら|掴《つか》めていないだなんて、すでに報告機能にも支障が出てんの? 失敬失敬、私は自分の|潰《つぶ》した敵兵の量を数えられないからなぁ。はは、オペレーターまでぶっ倒れてるか」 『……、』 「六割。七割。八割は|流石《さすが》に行き過ぎかな。まぁジキに一〇割全部倒れるコトになるだろうけど。|警備員《アンチスキル》に|風紀委員《ジヤツジメント》だっけ? そんなチャチなモンで身を守ろうとかしてるからあっさりクビを取られんのよ。自分がもう終わりだってコトぐらいは分かってんのよね?」 『ふ』 「?」 『その程度で学園都市の防衛|網《もう》を砕けたと思っているのなら、本当におめでたいな。君はこの街の本当の形をまるで理解していない[#「この街の本当の形をまるで理解していない」に傍点]』 「ヘェ」 『隠し玉を持っているのは君だけではないという事だ。もっとも、君はそれを知る前に倒れるかもしれんがな} 「何であれ、私は敵対する者を|全《すべ》て|叩《たた》いて潰す。コレは私が生まれた時からの決定事項だ」  互いは会話を交わしているように見えて、両者共に一方的な言葉を浴びせているだけだ。  女は泥水のまみれた無線機に目を寄せる。 「私は『前方のヴェント』。二〇億の中の最終兵器」  最後に告げる。 「この一晩で全てを潰してあげる。アンタも、学園都市も、幻想殺しも、禁書目録も、その全てをね」  言葉と共に、ヴェントと名乗る女は握力だけで無線機を押し|潰《つぶ》した。 『人間』アレイスターは、窓のないビルの一室にいた。  その四角いスペースの真ん中には円筒形の生命維持装置が|鎮座《ちんざ》していて、彼はそこで逆さまに浮かんでいる。満たされた赤い液体は彼の口や鼻から体内へと浸透していき、細胞の一つ一つに干渉していく。  |普段《ふだん》は照明らしい照明は何もなく、ただ広い部屋の四方の壁を埋め尽くす機械類のパイロットランプなどが星空のように細かい光を放っているだけなのだが、現在は断続的に|瞬《またた》く赤い警告色が|莫大《ばくだい》な空間を照らし出していた。  前述の通り、この部屋に照明機器はない。  赤い光の正体は、モニタ一つ一つから表示される無数のエラーの集合体だ。つまり現在はそれだけの異常事態が学園都市企域を|蝕《むしば》んでいるのだ。  ただ一人の|魔術師《まじゆつし》によって。 『神の右席』の一名のみによって。  あの『|使徒十字《クローチエデイピエトロ》』ですら揺らがなかったこの学園都市が。 「———、」  ほんの数十分で、すでに学園都市の治安を|司《つかさど》る|警備員《アンチスキル》の七割弱が|犠牲《ぎせい》となっている。生体信号を探る限り死者はないようだが、彼らが国を覚ます前にここが陥落すればもう立て直しは図れない。街のあちこちから被害報告や増援要求などの通信が入るが、いちいちそれらに答えるのも|億劫《おつくう》だ。  街は死に掛けている。  しかし、  それでも、 『人間』アレイスターの口元に浮かぶのは、ただひたすらに笑み。  喜怒哀楽の|全《すべ》てに当てはまり、同時にどれもに当てはまらない説明不能の笑み。 「面白い」  彼はささやく。 「最高に面白い。これだから人生はやめられない。こちらもようやくアレを使う機会が現れたか。時期は早すぎるが……プランに|縛《しば》られた現状では、イレギュラーこそ最大の娯楽だな」  口の中で転がすようにその感情を|弄《もてあそ》びながら、同時にアレイスターは生命維持装置の内部から計器類に無数の操作命令を飛ばす。無線装置の一つに干渉し、周波数や暗証番号などを飛ばして学園都市の|闇《やみ》に|蠢《うごめ》く者|達《たち》へと接続する。 「|猟犬部隊《ハウンドドツグ》———|木原数多《きはらあまた》」  アレイスターは告げる。  相手の短い返事を受けて、彼は追加の注文を行う。 「虚数学区・五行機関……AIM拡散力場だ。少し早いが、ヒューズ=カザキリを使って『|奴《やつ》ら』を|潰《つぶ》す。手足は|弾《はじ》いても構わん。現在逃走中の|検体番号《シリアルナンバー》二〇〇〇一号を捕獲次第、指定のポイントへ運んでくれ。———早急かつ、丁重にな」  笑みと共に、彼は言った。 「さあ。久方ぶりの楽しい楽しい|潰し合い《ショータイム》だ」 [#改ページ]    あとがき  一冊ずつご購入していただいている|貴方《あなた》はお久しぶり。  一二冊もの物量をまとめ買いにしていただいた貴方は初めまして。  |鎌池和馬《かまちかずま》です。  コメディとバトルが交差する(らしい)本シリーズですが、今回はコメディに特化しています。あっちもこっちもほのぼのしていると思います。一一巻では触れられなかった|御坂美琴《みさかみこと》の|罰《ばつ》ゲームなども取り上げていたり。たまにはこういう争いのない|雰囲気《ふんいき》も良いものですね。  テーマは衣替えです。  どいつもこいつも制服が夏物から冬物になっていたりといったストレートなものから、あるキャラクター(というか組織名)の登場による作品全体の流れまで、いろんな所に衣替えという意味を込めていたりします。  全体的に学園都市の中での出来事なので、どちらかというと科学サイドっぽいお話になりました。なので、まあ……例の白い子はいつもの通りな感じです。次ではもっともっと|活躍《かつやく》の場が出てくると思います。  イラストの|灰村《はいむら》さんと担当の|三木《みき》さんにはいつもながら感謝を。今回、キャラクター|達《たち》の衣替えなんていう面倒臭い催しにお付き合いいただき本当にありがとうございました。  そして読者の皆様にもいつもながら感謝を。鎌池がこうしてあとがきを書いていられるのも|全《すべ》て皆様のおかげです。  それでは、今回はこの辺りでページを閉じていただき、  次の巻も開いていただける事を願って、  本日は、ここで筆を置かせていただきます。  ば、罰ゲームはまだ終わっていません![#地付き]鎌池和馬 [#改ページ] とある魔術の禁書目録12 鎌池和馬 発 行 2007年1月25日 初版発行 著 者 鎌池和馬 発行者 久木敏行 発行所 株式会礼メディアワークス 平成十九年一月十ニ日 入力・校正 にゃ?